ボブの散歩

天西 照実

ボブの散歩

 吾輩の名前はボブである。

 名前はまだ……だから名前はボブだ。

 近所の猫どもに流行はやりの文句らしい。

 名乗ると『名前はまだない?』と、聞いてくる。


 吾輩は、黒柴のメスだ。

 深夜になると鎖の繋がる首輪を外して、勝手な散歩に出る。



 シャッターの閉まった煙草屋の横に、男がふたり。

政宗まさむねさぁん」

「今日はマルメンだよ」

「ありがとぉ」

 ああいう声を、猫なで声と言うらしい。


 煙草を、もらっているのがあるじだ。

 正しくは主だ。すでに他界している。

 だが煙草が吸い足りないと言って、この世に残っている。


 煙草屋のマサムネという男は、主を認識している。

 他の人間たちは、した人間を見る事がない。

 触れる事も話す事もできない。

 寂しい話だ。


 売れ残りを銘柄関係なく吸っていると言うマサムネは、ポケットの煙草を1本、主に分け与えてくれる。

『主よ』

「おー、ボブ。煙草もらったから、散歩行こうぜ」

『うむ』

「やあ、ボブちゃん。車には本当、気を付けてよ」

『……』

 マサムネという男は、犬の吾輩とも言葉を交わす。

 彼は生者なのだが。



 吾輩は、煙草を咥えた主と並んで歩き出した。

「アヤちゃん、元気?」

『相変わらずだ。フミが紳士的だからな』

「あはは。さすが俺の息子。3歳なのに頼もしいなぁ」

『自分と母の元から、お前が居なくなった事を理解しているのだろう』

「……そうだね」

 煙草が吸い足りないなどと言って、本当は妻と息子に未練があるのだ。

『まだ、守護霊にはなれないのか』

「修行が足りないってさ。ガキの頃、馬鹿やってたからなぁ」

『努力は積まれている』

「うん。ありがと」


 近所を、ひと回り。

 いつもの散歩コースだ。

 ずっと、続くものと思っていた。


「このままじゃ、ボブに先越されちゃうな」

『そうだな』

「そうしたら、一緒に守護霊しよう」

『散歩もしてくれるのだろうな』

「もちろん」

 もうすぐなのだ。理解している。

 あらがわず、進むだけだ。


 深夜の散歩は続く。

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ボブの散歩 天西 照実 @amanishi

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