月のきれいなある夜に

国見 紀行

どこにでもいる気まぐれの通行人

 とても天気がいい日は、月明かりが街を隅々まで照らしてくれる。

 しかしそんな美しい景色も、手元のビニール袋が立てる音で雰囲気は現実に戻される。

「あーあ、なんで夕飯買い忘れるかなぁ」

 いつもなら仕事帰りに寄るコンビニがなくなっていたのを当日の帰りに知り、結局買うのを忘れていたのだ。

「今日の残業はいつにもまして面倒で体力使うやつだったしなぁ」

 家についたのが深夜十一時。今はもう日が変わっている。本体なら食べずに寝たほうがいいのだが、空きっ腹で寝るほうが体に悪い。どうせ四時間もしないうちにまた出社しないといけないのだから。

 冬の寒さも通り越し、かといって深夜はまだ冷える。外に出る格好も定まらず、とりあえず手に取った季節外れの厚着で外に出た俺は、何となく煌々と輝くコンビニが目に入り、そこで飯を買ってきた。

 新しくできたと思われるコンビニでおにぎりを二個と小さな菓子パン、大きめのお茶を買って今に至る。

 昼間は暖かかったのだろう地面からは、ほんのりと感じる温もりが心地よく、逆に遠くから流れてきたであろう強く吹く風からはまだ熱を奪ってやるという強い意志が感じられた。そんな風が俺の持つビニール袋に細かな体当たりを繰り出し、中身をよこせとせっつく。やらんぞ。

(あ、でも帰ってから食うとゴミが鬱陶しいな)

 エコの塊である俺は寒くないことをいいことにそのまま近くの公園で飯を食ってしまおうと企んだ。幸いこんな時間に人はおらず、惨めなひとり飯を目撃するものなど……

(ありゃ、先客か?)

 公園の数少ないベンチに、スーツ姿の女性が座っていた。所在なく立ったままの俺は、流石に怪しまれるかと別のベンチを探す。

(いやまてよ)

 どうせ何をしたって怪しいおっさん四十二歳だ。怪しくないムーブをどれだけこなそうが変わらないなら、自分から怪しい通行人Aを演じるのも面白いかもしれない。

 俺は何となくその女性におにぎりをたべながら近づいてみた。

「女の子がこんな時間に、一人でいたら危ないよ?」

 一応風呂には入ったあとだったが、残業続きでもあった自分の男臭さが気になり、それなりに距離を取ってなるべく優しいトーンで話しかけてみた。距離は大事。

「あ、いえ、家の鍵を忘れちゃって」

 あら、答えが帰ってきた。

 よく見るとそこそこの美人さん。三十手前くらいの黒髪ロングは、夜だというのに艶やかさを感じるほどに手入れされている。月明かりマジックだろうか。

「春先っていっても、まだその格好だと冷えない?」

 話しているうちに二個目を開ける。よく顔を見ると少し赤い。そしてどちらかというと彼女のほうが臭う。たぶん酒だ。

「ええ、その…… 鍵の入った上着ごとお店に置いてきたみたいで」

「あららー。取りに行かないと」

 そこで彼女の顔が曇る。

「実は、飛び出してきちゃったんです。お店から」

 俺は知っている。ここで下手に声をかけてはいけない。彼女は悩んでいる。言うべきか言わざるべきかを。俺はこういうのを察するのだけは鋭い。

「大丈夫です。友達が上着ごと持ってきてくれる事になってますから」

 しかし、しばらく経ってもそれ以上は彼女の口からは何も語られなかった。そして、おにぎりもパンもなくなった。所在なく立ったままここに居続けるのは困難だ。彼女も酔いが覚め始めたのか、少し寒そうにしている。

 なら、こうするのがベストだろう。俺は着ていた古いダウンを彼女に着せる。

「え?」

「近くなんだろ? またあったときでいいから」

 俺は足早に公園をあとにした。

「そんな、困ります!」

「だったら捨ててくれても。古いから買い替えたいって思ってたんだ」

 いい人であり続ける。なんて、善人ムーブでその場を去る。親切の押し売りは得意技だ。さ、ゴミをコンビニに捨てて帰るか。

 途中、タクシーとすれ違った。いつかタクシーで帰れる身分になりたいものだ。


「あれ、五月さつき、上着着てるじゃん」

「あ、これ知らない人にもらったの」

「古いダウンじゃない、ゴミ?」

「さっきまで着てたやつだからそんなことは……」

「はい、上着。ごめんね。むりやり合コン誘って。あんな奴らだと知ってたらセッティングしなかったのに。こっちどうする?」

「一応返すつもり」

「ふーん…… あ、ポケットになにか入ってる」

「名刺? ん? この会社……」

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月のきれいなある夜に 国見 紀行 @nori_kunimi

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