月の下で出会った。

arm1475

月の下で出会った

 その夜、魔王は上機嫌で鼻歌交じりに酒場からの帰路に就いていた。

 月下で細やかに流れる鼻歌の軽快なメロディは、歌詞もタイトルもその世界では魔王以外誰も知らないものであった。


「……月夜はおよしよ♪」


 人気の無い路地裏へ入った時、魔王が不意に足を止める。


「……、吾を追放するだけに飽き足らず刺客まで送ってきたのかしら」

 

 魔王の背後で、すうっ、と影が浮き上がった。

 魔王は振り向かず、無言で影の様子を伺うが、影はじっと魔王の背を見つめているだけだった。


「……どちらさまで?」


 魔王はようやく影に心当たりが無い事に気づいて訊く。

 しかし影は何も応えない。


「殺意は無いようね」


 魔王は振り向くと、その影は一瞬にしてかき消えた。


「ふむ」


 魔王は影が佇んでいた場所まで歩き、しゃがんで地面を探った。


「……残留思念? この街に来てから時々感じていたけど、魔界とは関係ない?」


 魔王はゆっくりと身を起こすと、右人差し指で地面を指した。

 その指先が朧気に光る。するとそこから光の糸が吐き出されたゆっくりと紡ぎ始める。

 光る糸の正体は概念を伴った「魔素」である。魔導を駆使する上でもっと重要な触媒であり、この世界の大気中に満ちている物質でもある。

 魔導はこの触媒を操作することで奇跡のような力を駆使するのだが、魔素を自在に操れる魔族と異なり、人類はこれを生身で感知する術は無く、魔術回路によってようやくその存在を感知出来る。

 従って今魔王がしているような、魔素を紡いで細い糸に変質させ、編んで立体物を構築するような高度な技術は人類にはほぼ不可能な術である。

 魔王が編んだ物は、少女のような姿をしていた。

 否どう見てもそれは少女である。微動だにしないそれは人形の域を超えていた。

 魔族はこの術をドッペルゲンガーと呼んでいる。魔素を通じて概念を送り込まれた対象物が変化する現象を応用したものだが、ここまで精緻なモノを魔素のみで構成出来るのは魔王レベルの魔族しか出来ない高度な技術でもある。


「貴女は誰?」


 魔王は魔素で作り上げた精巧な人形に問いかける。

 ドッペルゲンガーの口が開き、掠れた声が聞こえたがどうやら自分の名前を応えたようである。


「出来たてだから聞きづらかったけど、まあ名前は別にいいか。で、貴女ここでなんで吾を見つめていた?」

(とても綺麗な人だったから)

「あらやだわぁ正直な子」


 魔王は照れくさそうに笑う。


「てコトは、たまたまだったのか」


 するとドッペルゲンガーは首を横に振った。


(あたしここで死んだの)

「そう」


 魔王はまるで知っていたような口ぶりだった。


「残照――地縛霊。でもやっぱり存在するのねぇ」


 魔王は何処と比較しているのかわからなかったが、少女の正体はあらまし気づいていたようである。


「それで、ここで無念なにを遺してるの」

(夢があったから)

「夢?」

(夢――成りたかったことが)


 魔王は、ああ、と呟いた。辛いよね、と。

 それはきまぐれだったのかも知れない。美味い酒に浮かれていた事もあった。

 少女の中に埋もれていた記憶から彼女の身に起きた悲劇を視てみた。

 他愛の無い日常で起きた、誰も気にとめない小さな事故だった。

 自分もこんな感じだったなぁ、と振り返る。魔王になる前の記憶走馬燈が励起するが、今の自分には魔王の地位も含め要らない記憶ものである。

 捨てきれないとこういう残照ゆうれいになってしまう。自分の場合は割り切れたが、全てのものが割り切れるほど強くは無い。

 月下でのこの巡り会いは何かの因縁なのかもね、と魔王は指先を震った。


 おかあさんみたいにになりたかったの。



「ここで何やってるんですか魔王さん」


 路地裏で佇んでいた魔王を見つけたリンが声を掛ける。


「ああ、リンちゃん。……昔、ここで、ちょっと、ね」

「昔? ってここ城下町ですよ、そんな昔からここに住んでいたんですか?」


 リンは困惑した。


「やぁねぇ、昔ってそんな昔じゃ無いわよぉ、最近よ、さ・い・き・ん」


 魔王は苦笑いした。そしてもう一度、あの残照が佇んでいた辺りを視る。

 黒猫がいた。よく視るとその周りに甘い声で鳴く数匹の子猫がいた。

 黒猫は暫し魔王をじっと見つめていた。

 魔王が笑みをこぼすと、黒猫は子猫たちを引き連れて闇に溶け込んでいった。




                    おわり

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