酒を飲み、そして肉を喰らう

篠騎シオン

私の幸せ

「プロジェクトの成功を祝して、乾杯~!」


「「「かんぱーい!」」」


私の音頭に続いて、たくさんの声が重なる。

和やかで和気あいあいとした雰囲気の、仕事の打ち上げパーティー。

それもそのはずだ。

数年かけて取り組んできた会社の躍進を賭けた一大プロジェクトで、私たちは大成功を収めたのだから。

今日は無礼講だし、羽目を外しても誰も責められないし、羽を伸ばしてもいいのだ。


「愛衣しゃん、もっと飲んでくださいよ~」


「はいはい。上司を下の名前で呼んでたら奥さん嫉妬しちゃいますよ~。最近奥さん元気ですか?」


でも、プロジェクトリーダーでそして会社でも責任ある立場の私はそうもいかない。

私は部下の努力をねぎらいながら、各々の仕事への、家族への想いをさりげなく聞いていく。

愚痴、要望、努力、なんでもいい。

どんな些細なことでも、彼らがより良い環境で働けるようにするための情報になる。


仕事人間、男勝り、女を捨てている……。

名前の愛衣とは正反対のヒト。

いろいろ陰で言われているのは知っている。

でも、私はこの仕事が、今の自分が嫌いじゃない。

平凡な仕事能力しかない私でも、努力をし、人を最大限に生かすことを意識して仕事をしてここまで登ってくることが出来た。

それが誇らしかった。

一人で私をここまで育て上げてくれた父にも、自慢できる。

もっとも見せる相手は、父も、それからもう誰もこの世にはいないけれど。


飲み会という仕事を終えて、深夜2時。

テンションの高い男連中の4次会、5次会と付き合っていたら、こんな時間になってしまった。

まったく、女性をこんな時間まで飲ませて一人で帰らせるんじゃない、と思ったりもするけれど、彼らも私以外の女子社員は早く返していたので最低限の分別はあるのだろう。

まあ、それは私が女として全く見られていないという証拠でもあるのだが。


「んっ……」


飲みすぎたか、それともプロジェクトが終わって最後の仕事である飲み会も終わって緊張がほぐれたせいか、その事実がやけに心に堪える。

まっすぐ立っているはずなのに、視界が揺れ動く。

私はとっさに目をこすってその水分をぬぐうと、近くにあったバーの扉をくぐった。


一人で何も考えず、飲もう。

明日は休日だし。

幸い、お酒には強い方なのだから。






――そう思った、昨夜の自分を殴りたい。

私は目の前で巻き起こっている光景が信じられなくて、いや信じたくなさ過ぎて自分のほっぺたをつねり、殴り、髪を引っ張り。

数々の痛みを巻き起こしてみたが、目の前のそれは消えてはくれなかった。


「あ、お姉さん。おはよ」


天使のような顔してつぶやく、それは。

いや、その子は。


「君、さ……10歳くらいだよね? どうして私の家に??」


布団を引き寄せ引き寄せしながら、私はその子、見かけ10歳くらいの少年から必死に遠ざかる。

まさか、と心配になって、布団の中を見て、自分が服を着ていることに安心したものの、そんなことを考えてしまう自分に罪悪感。

いや、それを心配するよりこの状況は紛れもない、犯ざ――


「深夜に酔っぱらった状態で散歩中だったお姉さんに、家出していくとこない俺が拾われた。それだけ」


えっへん、というように腰に手を当てて説明する少年の、目鼻立ちは非常に整っていて、不覚にも可愛いと思ってしまう。

いやいや、それを言い出したら、もっと罪の香りが深まってしまう。

私はぶんぶんと頭を振って、やましい思考を霧散させる。


OK、仕事と一緒だ。

困難な問題にぶち当たったら、一つずつ解決していかないと。


「家出って、君家はどこ?」


「俺、お腹すいたなぁ」


私の質問をさっとかわして、少年はベッド(同じベッドに寝ていたらしい!!)から立ち上がる。

そして、次の瞬間、布団から現れたその全身に私はノックアウトされてしまう。


いや、私の昨日来てたシャツ、に生足!!!

彼シャツ的な、ヤバめの匂いがしますよ、これは。

ちょっと待って、社会人になってから恋人なんていたことのない、いや恋すらしていない私には刺激が強すぎるよ。

しかも美少年である。もう一度言う、美少年である!!!


「あ、ダメだ」


ぱたん、とベッドへ倒れこむ私。

キャパオーバー。

体に残っていたお酒もなんだかまた回ってきた気がする。

そうして私は再び、意識を手放してしまった。




「ふふふ~ふん♪」


誰かが歌っている鼻歌が耳に心地よく届く。

懐かしい曲。早くに亡くしたお母さんが歌ってくれた子守唄と一緒だ。


段々と覚醒していく中で、体の機能が順々にその力を取り戻していく。

まずは、鼻、良い香りが私を包み、それに刺激されてお腹がぐーと、空腹を告げる。

体を起こす。

暖かい日差しだ、そして、目を開けると、そこには――

やっぱり変わらずあの少年がいた。


「夢になっててほしかったー!!」


私は再びベッドに倒れこむ。

過労とかお酒で見た幻覚だったらよかったのに、これはどうも現実らしい。

机の上に並べられつつある食事も、美少年も消えてくれはしない。


ため息を一つつく。

流石にもう、向き合わなきゃいけないね。


「あ、お姉さん、やっと起きた。ねぼすけさんなんだから」


そう言って少年が微笑む。

と、その瞬間、何か私の頭の中で引っかかるものがある。

待って、覚えがある気がする。

いや、この罪の香りに包まれたシチュエーションに覚えなんてあってたまるものか、って思うけれど、なにか……


「早くしないと覚めちゃうよ、さ、食べよ」


頭の中のもやもやをつかむ時間を少年は与えてくれず、私を食事へといざなう。

小さな少年に腕をひかれながら、私は食卓へと座った。


それは10歳の少年が作ったとは思えない、和食のフルコースだった。


「おいしそう……」


再び、お腹が鳴る。

ええい、罪だろうと何だろうと、腹が減っては戦が出来ぬ、だ。

仕事だって、お腹すいてたら生産性が落ちる。

この大犯罪に立ち向かうためには、まずは腹ごしらえだ。


味噌汁のお椀を持って口に含む。

広がるだしと、みその優しい香り。

しかもだしは煮干しからちゃんととったやつ。

なんだか懐かしいその味を皮切りに、私はどんどんと食事に手を付ける。

絶妙なホロホロ具合の豚の角煮に、ホウレンソウのお浸し、サツマイモの甘露煮、それからニンジンのたらこ和え。

冷蔵庫のお弁当用の残り物と備蓄野菜、それから冷凍庫の保存用の食材をうまく使ったとても美味しい食事だった。


「ごちそうさまでした」


米粒一つ残さず、ぺろりと食べて手を合わせる。

そして自分を優し気に見つめている少年の存在に気付く。

その瞳に幸せを覚えそうになって、次の瞬間ハッとする。


大の大人が、何やっているんだ私は。


え? 

ちょっと待って。私は、家出だか何だかしらないけど、第三者からするとさらってきたとも見える未成年に作ってもらったご飯食べて幸福感に浸ってる???

それ、どう考えてもギルティだよね。

おまわりさーん、ここに悪い大人がいますよ~!


「君どこに住んでるのご両親が心配しているはず両親の家に帰りたくないなら親戚の家とか警察とかとにかくここにいちゃだめ!」


なんだかまたこの美少年に流されてしまいそうで、私は一気に言葉を吐き出す。


「そんな……お姉さん、僕お姉さんに気に入ってもらえて嬉しかったのに。僕を追い出すの?」


少年は言葉では悲し気にふるまっているが、その自信満々な顔は変わっていない。

と思ったのだが、急にくるりと背を向けてベッドの方へ行ってしまった。

心なしか嗚咽が聞こえる気もする。

え、あれ、対応間違った??

私は慌てて彼の後を追いかける。


小さく丸まって座り込む彼の背中に話しかけながら、私はベッドのふちに座る。


「ねえ、私も別にあなたの事嫌いになったわけじゃないの。でも、親御さんのことを考えたら、私の家にいるのってよくないと思う。わかるよね?」


「俺の愛衣あいは、ずいぶん無防備になっちゃったんだなぁ」


言葉を耳にしてすぐ、私の世界はひっくり返っていた。

天井が見える。


私は少年にベッドに押し倒されていたのだ。

でも、私はその事実に驚くよりも、なんだか先ほどの少年のトーンに聞き覚えがあるような気がして、そちらのほうがずっと気になって振りほどく気持ちが起きなかった。耳も心もぞくぞくする。

この声は。心が過去に飛ぶ。大人の自分から抜け出して、遠い過去へ。

私は、この人を知ってる? この人が――


彼と目が合う、瞳と瞳が絡み合う。

頬が紅潮する。


「好き」


私の口から出たのは、状況を考えたら決して言ってはいけないそんな言葉で、私の口から出たその言葉に少年は驚きつつもにやりと嬉しそうに笑った。


その熱くて、ぐちゃぐちゃで蕩けた時間の間。

少年はずっと私が罪悪感にさいなまれないように、こうささやいてくれていた。

”愛”の妖精のせいだから、気にしなくていいんだよ。

それはぞくぞくする声ではなく、少年のかわいらしい声だったが、私は心のどこかで あの声が聞きたいと、そんなことを思っていた。

そして同時に、視界の端にまたたく何かの光を見たような気がした。








……って、いやいやいやいや????

なんだか幸せな話に持っていこうとしているけれど、また私は最高に最高の罪を犯しましたね!?

しかも、酔って少年を家に上げたまでは、まだ100歩譲って情状酌量の余地あるけど、これは、正真正銘やばすぎるでしょ!?


「辞表……けいさつ……」


よろよろと家の中の家具のあちこちに体をぶつけながら歩く私。

そんな私を見てか、後ろで小さなため息が聞こえる。

そうだよね、頼った大人がこんなんじゃいやだよね。

ごめんね少年よ、馬鹿なお姉さんが君の無垢を奪ってしまって。


情けなくて涙が出てくる。


「愛衣の好みになろうと思って、純粋な少年演じてたけどもういいや」


「へ?」


あのぞくぞくする声が後ろから聞こえて、私は思わず素っ頓狂な声を上げて振り返る。

ていうか、待って、私の事愛衣って呼んだよね今?

私、いつ名乗ったっけ? 酔った勢い?


「もう、いい加減思い出せよ。本当はちょっとわかってるんだろ。非現実的なことに目をつぶれば」


言葉とともに、その真剣な目が私を突き刺す。

聞き覚えのある声、そしてあの子守唄、そして懐かしい食事の味。

母親が亡くなって、泣いていた私。

忙しくて家事のできない父と二人で、コンビニ弁当ばかりの日々。

そんな日々の中でご飯を作りに来てくれるようになった……。


「ゆうと兄?」


写真さえ持っていないせいで、今や顔も思い出せなくなっていた。

母親を亡くしてすぐのころの私を支えてくれた近所のお兄さん。


「そうだよ」


「でも待って、ゆうと兄は私より年上だし。それに、遠いところで亡くなったって」


私の言葉に、少年、いやゆうと兄は頭をかく。


「いや、それがちょっと厄介なとこでさ。死んだんだけど、死ななくて。死んだら妖精と出会ってというか……」


いまいち要領を得ていない説明だ。

私は一つ一つその言葉を解きほぐしていく。


「つまり、父親の転勤で私から離れた後、事故にあってもう死ぬかと思ったとき、死ぬ代わりに不思議な部屋に飛ばされた。そこで、本を選んで本に宿った妖精とともに旅をすることになって、おかげで体が全快し、紆余曲折あったのちに今、私のもとに現れることが出来た」


私の言葉に、ゆうと兄はうなずく。

にわかには信じられないことだがそういうことらしい。

確かに私の小さいときの話にはすべて答えられるし何者かがゆうと兄を語っているとは考えられない。

この見た目も、妖精と契約したら時が止まってしまうー、みたいなことだろう。


「それにしても”愛”の妖精ね。それで私があなたに落とされっちゃったってわけか」


私がそういうと、ゆうと兄は目をまん丸くして首をかしげる。

可愛い。

いやでも、なんでそういう反応になるのだろう。的を射ていると思うのだけれど。


「愛衣、何言ってんの?」


「へ? だって、”愛”の妖精の力を使って私のことを落としたんでしょ?」


「違うよ。俺の妖精の力は、”若さ”。この見た目を作っているのが、この子の力」


そう言ってゆうと兄は空中に手を向ける、するとそこにはまたたく妖精が瞬時に現れた。先ほどちらちらと視界の端に見えていたのはこの子だったらしい。

いや、違う。

うん。

ねえ、ってことはさ……私は、自分より10以上も年下の見た目の少年に心も体も許しちゃったってこと??


「違うよね、ほら、あの、さっきの時! ”愛”の妖精って言ってたし」


「それは聞き間違いだよ。俺は愛衣のための妖精って言ってたんだ。愛衣に好かれるためには、この姿は必要不可欠だったから」


「え? なんでそんなこと」


「だって、別れる寸前、俺が告白したら、年上のゆうと兄なんて嫌い、年下の可愛い男の子のほうが好きって言ってただろ? だからこういう見た目が好きなんだなって」


思わず吹き出してしまう。

20年も前の私の言葉を信じてたってこと?


そして私はまんまと、それに乗せられてしまったってわけだ。


「ふふふふ」


笑いがこみ上げる。おかしくって仕方がない。

だって、なんだか馬鹿らしくって、でも幸せで。

相手がゆうと兄だったら、犯罪でもなんでもないし、それから、勘違いだけどちょっとだけ狙い通りで私は今のゆうと兄の姿が結構、本気で好みな変態さんだったりして。

いろんなものが一気に解放されて、なんだかほっとして、私はゆうと兄に抱き着く。


「ゆうと兄、好き。ずっと昔から」


「俺もだよ、愛衣。これからはずっと一緒だ」


そう言ってお互いの体温を感じて、幸せをかみしめる。

一人で頑張ってきたけれど、ここに今、二人の、幸せがある。


「愛衣」


「何?」


「もっかいする?」


「馬鹿」


ゆうと兄の頭をはたいて、それからじゃれ合う。

そのあとの話は、私たちだけの秘密だ。

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