記念日

あきこ

記念日

 今日の空は澄んでいて、月も星もとてもキレイ。


 このマンションは前がひらけているので8階の部屋からでもオフィス街の高層ビルの夜景がとてもキレイに見える。


 部屋の中だから寒くないし、彼氏とワインを飲んでまったりしながら夜景を楽しむこの時間は私にとっては至福の時間。


 大きな窓に向けて置いたソファーにふたりで並んで座り、ワインを飲みながら夜景を眺めていると、彼が座ったままカメラに手を伸ばした。

「ガラス、邪魔でしょ?ベランダに出たら?」

「ここからで十分。外寒いし」


 彼は、ソファーに座ったままで、フォーカスリングを回し、シャッターを何度か押した。シャッターを押す彼はいつもより二割増でカッコよく見えるから不思議だ。


「ちょうど一年前の話しなんだけどさ…」

 彼はカメラを置き、ワイングラスに手を伸ばしながら話し始める。

「今みたいに……天気も良くて、月が綺麗な夜だったから、夜景を撮りたいなぁと思って、散歩に出たんだよな」

 そこまで言って、彼はグラスのワインを飲み干した。

「冬ってさ、寒いけど、星とか街の明かりがキレイじゃん?」

 空になったグラスをテーブルに戻す彼、すぐに私はワインボトルを手にし、「そうね」と相づちを打ちながら、彼のグラスにワインを注ぐ。

「駅前の公園まで歩いてさ、ゆっくり散歩してたんだよね。そしたら、そこで猫に会ったんだよ」

「猫?」

「うん。普通の日本猫」

「ふーん」と相槌を打って、私は自分のグラスを口に運ぶ。

「その猫、幸運を呼ぶって言われてて、この辺じゃあ、わりと有名なネコなんだよね」

「へえ」

「で、面白いからその猫について行ったらさ、俺にとっての人生のターニングポイントなる出来事が起きた」

「え?どういう事?」

「知りたい?知りたいよね?夜の散歩に行ってみたくなったよね?」

 あ!…私は、彼の言葉にハットする。このパターンは、いつものやつだ。

「たばこね?たばこ無くなったのね?そうなんでしょう?」

 出不精の彼は、いつもいろいろ理由をつけて私にコンビニまで買いに行かそうとするのだ。「買いに行ってきて」と素直に言えばいいのにいつも遠回しに言うから不思議だ。今も彼は笑っている。やっぱりそうだ!

「もう…、仕方ないわね。一緒に行ってあげるわ!」

 そう言って私は二人のコートを取りに行った。


 ◇◇◇


「さむいね」

 震えた声で彼が言う。

 今は2月の始め。深夜0時をまわった時間帯。寒くないわけがない。

 私たちは、公園を通って、駅前のコンビニを目指していた。


 歩いていると、みゅーと、猫の泣き声が聞こえてきた。

「お、ブチ、今夜は会えるとおもってたよ」

 彼は突然現れた猫に声をかけた。

「その猫なの?ほんとに居たんだ」

 猫に関しては、私にたばこを買いに行かせるための作り話ではなかったらしい。


「ああ、僕らのキューピッドだよ。」

「え?」どういう事?訳が分からない。

「君は覚えてないよね、めちゃくちゃ酔ってたし」

 ん??

「1年前の今日、僕らが初めて会ったのはここだよ」

 え????

「あの日、ちょうど今ぐらいの時間にブチに会って、ついて行ったら…そこ、そのベンチで君は寝ていたんだ。相当酔ってたからね。寒いし、このまま放置できないと思って、僕が助けたんだけど、覚えてないよね」

 ????

 去年の今頃といえば、仕事でいろいろあって荒れていた頃だ。

 確かに週末は、浴びるほど飲んでいたが…

「あなたと初めて会ったのは、会社のビルで…」

「うんそう、僕が君に声をかけた。だって、ずっと気になってたからね」

「え?どう言う事?」

「打ち合わせに行ったビルで、”ああ、あの子だ”って気が付いて見ていたら、一生懸命な所がだんだんと可愛く見えてきてさ」


 確かに――

 声をかけられる前から私を見てたのは知っている!

 ”あの人、絶対先輩に気がありますよ”なんて後輩達にからかわれていたぐらいだ。


 え?ちょっとまって、何、あの熱い視線だと思っていたアレは、”あの酔っ払いの子だ”を見る視線だったの???

 ウソでしょ?恥ずかしくなってきた。


「まってよ、そんな話、一度もしなかったじゃん」

「うん、まあ、完全に覚えてないみたいだったし、まあ、いいかなって」

「全然記憶になんか無いわよ!嘘なんでしょ?」

「朝,起きたら、インターネットカフェだった、ってことない?」


 あ!…ある!…たしかにそういう事があった!

 急に、奥の奥にしまいこんでいた記憶が蘇ってきた。


 なんて事!

 あの日、私は自分をほめたのよ。

 記憶はなくとも自分でちゃんとネットカフェまで来たんだ、偉いぞ私って!

 なのに、何て事!!


 私は自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

「なんで言ってくれないのよ、はずかしい!」

「はは、まあ、言われたら嫌かと思ってね…」

 彼は恥ずかしそうにしている私をみて楽しんでいる。

 なんか悔しい…と、思う私にかまわず話を続ける。


「でも、僕にとっては忘れられない深夜の散歩だったのに、君にとっては、いつもの飲みすぎた夜だった…っていうのもなんだか悔しいなぁ、って思ってさ」


 何??さりげなくすごく恥ずかしい事を言ってない??

 私の顔はきっと真っ赤になっている。


「だから思ったんだ。君にも同じ日、同じ時間の深夜の散歩で、忘れられない人生のターニングポイントを経験してもらおうと…」

 私はもう、寒さも感じないほど恥ずかしい気持ちに襲われていた。

「わ、分かったわよ。忘れててごめんなさい!十分恥ずかしくてもう絶対に忘れられないわ!」

「はは、そういうことじゃないんだけど」

 まったく意地悪なんだから!と思ってると,彼は楽しそうに笑いながらコートの内側に手を入れて箱を取り出した。…え?箱??


 彼は丁寧に箱を持ち、パカッとあけると、私を見た。


「あの日から1年、付き合い始めて十か月。今までありがとう。これからもずっと一緒にいてほしいと思っている。だから、これを受けっとてくれるかな?」


 月を背中に指輪を差し出す彼は、いつもの5割増しのカッコ良さだ。

 …断るわけ…ないじゃん!…もう!


 深夜の散歩をしたこの日、この時間は、

 2人の人生にとっての一大事が起こった

 思い出の時になった。


 End


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