最終話「魔女たち」
魔女と呼ばれた提督は、疲れていた。
圧倒的な勝利から一転、小さな惑星ファルロースを
一隻は、太古の眠りより目覚めた
そしてもう一隻は、
「損害、戦艦604、
数万隻もの大艦隊においては、大きな被害とは言えないかもしれない。
しかし、この数字の何倍もの協商兵が、民主主義と祖国の平和を信じて散っていった。そんな彼らに死ねと命じて背中を押したのは、他ならぬリズ本人だった。
だが、
「お
「艦体復元、排水も完了してます。こりゃ、助かりますぜ!」
「
部下たちの通信はまだ、絶望してはいない。
本艦は甚大なダメージのため、本来ならば総員退艦の後に自沈処分も考えられた。
だが、リズが乗員のためにそのことを考えている間も、皆が必死でダメージコントロールに徹していた。左舷が完全に水没し、30度以上傾いていたトゥルーノアは……奇跡的に今、息を吹き返しつつあった。
「その、お嬢というのはやめてください。あと、ご苦労さまです。引き続き、損害箇所の修復に務めてください。
「皇国の追撃が来ると思いますが?」
「追撃されてたら、もう沈んでますよ。ボクの判断では、もう今回の戦いは終わりです」
そうは言うが、気配を感じる。
直感や
リズは確信している。
あの女は……暁紅の戦姫は、潜洋艦なる新型艦で追いかけてきている。
「大気のある惑星の海なら、ソナーが使えるんだがな」
やれやれとリズはベレー帽を脱いでぐしゃりと握り潰す。
艦橋のオペレーターたちが心配そうに振り返るので、そういう姿も見せてばかりいられない。リズはこの大艦隊を率いる提督で、全ての人間の命に責任を持つ立場なのだ。
そんな時、艦長席から声があがる。
「もうこれ、戦いって終わりですよね? 艦長権限、艦橋内での喫煙と菓子を許可します。あと、お茶もね。提督もお疲れでしょうし、
おっとりとしていて、一人だけ場違いなのほほんとした少女。
だが、まだトゥルーノアが浮いていられるのは、彼女の実力によるところが大きかった。
「リズも珈琲でいいかしら?」
「ん、ああ……すまない」
「艦長や艦隊司令って、撤退する時は意外と
鼻歌交じりに
その背を見送るオペレーターたちが、心なしか先程の不安と緊張感を笑顔に変えている。このトゥルーノアには軍の規律が行き届いているが、どこか大家族のような不思議な空気がある。
そして、その奇妙な空気がリズは嫌いではなかった。
そう思っていると、ひょいと顔だけだしたリリリアが袖を揺らして手招きしてくる。
リズは
外に出て窓のある通路に歩けば、
「見て、リズ。あんなに荒れてた海が、ほら」
「……もう、協商軍の支配宙域だ。恒星から吹く風も、静かなものだな」
「ええ」
リリリアは手すりに身を乗り出すようにして、窓に張り付いている。
星々が
リズも背を預けて、リリリアの隣で窓辺によりかかる。
「……ソナーみないなもの、必要かしらね」
「ん? ああ、例の潜水艦もどきか。リリリア、晦冥洋は真空の宇宙だ。音はエーテルの中では伝搬しないよ」
「じゃあ、例えばそうね……重力波や磁場で探知できないかしら」
「そのへんもまた、この艦で実験することになると思うよ」
「機雷や爆雷的なのも作らなきゃ。忙しくなるわね、リズ。次は二ヶ月後、くらいだもの」
十代の少女か、はたまたその手前の乙女か。
ニコリと笑う無邪気なリリリアに、リズも自然と
そしてもう、二人には次の戦争が見えていた。
「二ヶ月……本星で協商評議会の選挙が近い、か」
「与党としては、選挙運動前にもう一つ戦果がほしいところでしょう? その時までに、色々と試したい装備を揃えておかなきゃ」
「……そう、だな。また戦いだ……避けられないし、必ず誰かが死ぬ」
「リズと私なら、その数を減らせるわ。頑張れば、ゼロにだってできるもの」
現実的にはそうはならないとしても、可能性の話をリリリアは語ってくれる。
彼女はピョンと床に降りると、そっと背伸びしてリズの頭を撫でた。そっと短い髪を指でいらって、そのまま
少女を通り越して幼女とさえ思える艦長は、いつも魔女の味方でいてくれた。
「リズ、少し疲れてるのね。部屋に戻って休んだらどうかしら」
「いや……ボクはこの後、通信で救国軍務会議に出席しなきゃいけないし」
「政治家さんの頑張ってますアピールに
リリリアはいつも、リズに優しい。
だからつい、リズは魔女の仮面を忘れてしまうのだ。
誰もが魔女と恐れる、謎多き協商軍の無敵提督……若干18歳にして、民主主義の守護神とさえ呼ばれる
しかし、現実の彼女は違う。
敵味方合わせて、何万もの命をエーテルの
「リリリア……ボクは」
「ええ、ええ。いいのよ、今は誰も見ていないわ」
「ボクは……恐ろしい。あれは、遺宝戦艦は人類には過ぎたる力だ」
「そうね、そうよね。
「その存在は昔から、
リズは今まで、本当の恐怖を感じたことがなかった。
魔女だなんだと持ち上げられても、自分の能力が及ぶ範囲でしか善処できないし、
晦冥洋を統べる魔女という概念は、地道な下準備と堅実な決断で彩られたものだった。
だが、遺宝戦艦エルベリヲンの存在は、イレギュラー過ぎる
「リズ、いいのよ? いいの……弱い自分の恐れを忘れないで、ね?」
「でも、リリリア……ボクは」
「安心して、私がリズに……魔女にもっと強い力をあげるわ。ふふ、私も実家に働きかけてみるし、この子も、トゥルーノアもまだまだ強くなれる。戦いはこれからよ」
リリリアが生まれたサリューイン家は、千国協商が生まれた千年前より続く名家だ。晦冥洋に散らばる千の国を、自由経済と流通で繋ぎ止めて巨大な連邦国家を生み出した者たちの
サリューインの一族は、主に武器や兵器を開発して協商軍に供給する
「リズ、安心して、ね? 私が必ず魔女に勝利を約束するから……あなたはあなたのまま、最善を尽くせばいいのよ」
「……ボクに、できるだろうか」
「わたしたち二人なら、やれるわ。遺宝戦艦も暁紅の戦姫も、やっつけちゃいましょう? 大丈夫、私が……この子が、トゥルーノアがリズを守るわ」
協商軍の情報部は、遺宝戦艦の情報を掴んでいた。
皇国軍が
そして、最悪の結果が訪れた。
晦冥洋は再び、大消失時代の闇が閉ざした真実を知ってしまったのである。
「さ、リズ。お茶を淹れて艦橋に戻りましょ? あまり二人でいると、悪い噂の原因になりかねないわ」
「……マスコミはゴシップが好きだからね。ふう、ありがとう、リリリア。ボクはもう少し、魔女をやってみるよ」
「気にすることはないわ、リズ。でも、やっぱり通信で会議に出るのはやめたほうがいいわね。あなた、酷い顔をしてるもの」
「えっ、そ、そんなにか?」
「いつもの
そう言ってリリリアは笑うと、そっと耳元に
「それとも……添い寝してあげましょうか? 子守唄とか」
「そっ、それはいい! け、けけ、結構だ……ありがとう、気持ちだけ」
「そうよね、ふふふ。じゃあ、行きましょ」
「ああ」
この時、皇国の誰もが知りえず、想像すらしていなかった。
協商軍の魔女が
晦冥洋は今、新たな戦いのステージに突入しようとしていた。
見上げる大宇宙の星々に照らされ、平面の海に命を賭して戦う……これは、宇宙の底で繰り広げられる、誰も知らない戦いの
暁紅の戦姫 ながやん @nagamono
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