第14話「平和という名の払暁へ向かって」

 後の世にファルロース沖海戦と呼ばれるこの戦いが……晦冥洋かいめいようの歴史の転換点になる。

 しかし、それをサレナ・クライン中佐は生きているうちに知ることはなかった。

 決着後も三日三晩不眠不休で働き、ようやく皇国本国から来た艦隊に惑星ファルロース防衛を引き継いで……ボロ雑巾ぞうきんのようになって彼女は自室に戻った。

 シャワーを浴びて、寝たい。

 いや、真っ先に寝て、起きたらシャワーでもいい。

 しかし、遺宝戦艦いほうせんかんエルベリヲンの艦長室には先客がいた。


「おかえり、サレナ。お疲れ様」

「あれっ、エルベちゃん。どうしてわたしの部屋に……って、ええーっ!?」


 そこには、いつもの赤いワンピースでエルベが座っていた。部屋の隅っこに椅子を置いて、お行儀よく座っている。

 そんな彼女の周りだけが、サレナの記憶する自室と一致した。

 そして、それ以外の場所は酷い大惨事になっていたのだった。


「こっ、この散らかりようは! ま、また、ひょっとして!」


 散らかった軍服は、脱いだ場所から丁寧に全方向に投げ出されている。

 振り向けば、シャワーを浴びる音と共に上機嫌な鼻歌が聴こえてきた。

 間違いない、エクセリアーデの仕業しわざだ。

 知らない間に彼女は、艦長の許可も取らずに乗艦していたのである。


「ごめんね、サレナ。一応、止めたの。でも」

「ん、ありがとね、エルベ。気にしなくて、ヨシ! さて、少し片付けなきゃ」

「私も手伝う」


 いつ忍び込んだかはしらないが、こんな短期間で艦長室が酷い有様である。

 食べかけのピザ、これは確か大食堂でテイクアウトできるものだ。申し訳程度に一箇所に飲み物のボトルが集められているが、飲みかけの物もある。何故なぜわかったかというと、床に倒れて中身がこぼれているからだ。

 あきれながらも、ここまでいくと突き抜けて感心すらしてしまう。

 戦後が訪れたら、絶対に回顧録かいころくにこのことを書こうと決めたサレナだった。

 その時、シャワー室のドアが開く。


「あら、サレナ。おかえりなさい、お邪魔してるわよ」

「殿下……あの、ですね」

「だから、エクセでいいって。エクセちゃんって呼んでよ」

「はいはい、エクセちゃん。なんですかもう、わたしこれでもヘトヘトで」


 ん、と片眉かたまゆを跳ね上げたエクセリアーデは、やっぱり濡れたままの裸体で出てきた。

 そして、グイと顔を近付け鼻を鳴らす。


「ちょ、ちょっと、エクセちゃん」

「……汗臭あせくさい。駄目じゃない、女の子がそんなじゃ」

「いやだって、艦長の仕事が忙しくて」

「なるほど。まあ、次は副艦長さんを見つけなきゃね」

「てゆーかですね、エクセちゃん。ずーっと、ずううううっと、探してたんですけど! エクセちゃんの乗ってる潜洋艦せんようかんノルヴィーユを!」


 そう、海戦が圧倒的な勝利に終わり、協商軍は撤退していった。

 だが、そのあと再びエクセリアーデは消息不明となったのである。本来ならば、この宙域で一番階級が高いのは彼女だ。必定、後処理の責任者をやってもらおうと思ったが、遅かったのである。

 そのエクセリアーデだが、全く悪びれない。


「補給を受けて再出撃してたの。魔女の旗艦きかんが沈むとこを見届けようと思って。でも」

「でも?」

「傾いて半分沈没状態のまま、ヨタヨタと協商軍の支配宙域まで逃げてったわ。なかなかしぶといダメージコントロール能力よね」

「……攻撃すれば撃沈できたのでは?」

「あたし、弱い敵には興味ないのよ。あんたの手柄を横からかすめ取るのも、ちょっとね」


 などとしおらしいことをいいつつ……濡れた手でエクセリアーデがサレナの制帽を取り上げた。そのままポイと投げるや、軍服の上着にまで手をかけてくる。

 脱がされてると気付いた時には、シャツのボタンが次々と外されていた。


「ちょ、ちょっと、エクセちゃん!」

「シャワーでも浴びなって」

「じっ、自分でできます! それより、身体! 拭いてください! もぉ、床がビショビショ……」

「ん、タオルとかある? よね? えっと、確かこの辺に」

「ああっ! 濡れたまま歩かないで! クローゼットを開けないで!」


 見かねたエルベがバスタオルを渡すと、それをすっぽり頭から被るエクセリアーデ。まるで大きな子供、世話が焼けるというレベルではない。

 やれやれと大きく溜息をこぼし、ふと思った。

 もしや、エクセリアーデは自分を心配して来てくれたのではないだろうか。

 そう思ったけど、頭をブンブン振って水滴を撒き散らす姿を見て、どうでもよくなった。大きな子供改め、大型犬かなとも思った。


「それで、サレナ。この子はどう? 今後も仲良くやっていけそう?」

「や、やっぱり今後もわたしが指揮するんですか……エルベリヲン」

「当然じゃない。あたしの艦隊の旗艦にするんだから」

「……正直、恐ろしいです。最後のあれ、なんですか」

「ああ、スーパー女神砲めがみほう? 凄いでしょ。あれが星をも砕く遺宝戦艦の必殺兵器よ」


 すかさずエルベが「その名前、やだ」とフラットな表情になった。

 だが、サレナは今思い出しても恐ろしい。

 艦首同軸砲かんしゅどうじくほう、タキオンバスター……その一撃は、400隻の艦艇を一瞬で消滅せしめた。そればかりか、発射した方角に真っ直ぐエーテルの海を割ったのである。後ほど観測班からの報告があったが、危うく千国協商ミレニアムの領土にまで届かん勢いだったとか。

 あれは、兵器と呼べる殺傷力の範疇を超えている。

 先程エクセリアーデが言った「星をも砕く」とは、比喩ひゆではないのだ。


「サレナ、あんたは飛び級エリートの優秀な軍人。だけど、あたしが一番買ってるのは……驚異的な判断能力ともう一つ、そのよ」


 不意にエクセリアーデが意外なことを言い出した。

 その横で、エルベもうんうんと大きく何度も頷く。


「エルベリヲンの力を与えて、その恐ろしさを大事に考えられる人間……それが、この子の艦長に絶対必要な条件」

「そ、それは、どうして」

「あんたは今、この晦冥洋で最強の力を掌握してるの。わかる? その恐ろしさ、怖さがわからない人間にはゆだねることはできないわ」


 力を強さに変えられる人間、エクセリアーデはそう言った。

 サレナ自身にその自覚はないのだが、こうしている今も恐怖をはっきりと覚えている。サレナはこの手で、無数の命を奪ってきたのだ。そして、ふねの総責任者としてそれを背負う覚悟を決めているのである。

 戦争における軍人同士の殺生は、これは罪ではない。

 しかし、罪悪感を忘れては軍人として、なにより人間として大切なことを失ってしまうのだ。恐るべき太古の遺産を目覚めさせた一人として、そのことは絶対に忘れない。


「……これから、戦争はどうなるのでしょうか」

「協商軍も血眼ちまなこになって遺宝戦艦を探すでしょうね」

「こんな恐ろしい戦艦が、まだあるんですか?」

大消失時代バニシング・センチュリー以前の記録は残っていないわ。……だから、エルベリヲン一隻だけという確証はないの」


 そして、エクセリアーデの言葉尻をエルベが拾う。

 彼女は申し訳なさそうに、うつむき手の指を指に絡めた。


「多分、私に姉妹がいると思う。よく思い出せないけど、エルベリヲンの封鎖された区画を調査すればなにか……でも、権限の回復がまだできなくて」

「エルベちゃん」

「……できれば、妹たちには眠っててほしいの。そのことを私、一番最初にエクセちゃんにお願いしたわ」


 ちらりと見やると、身体を拭き終えたエクセリアーデは自分の大きな大きなスーツケースを開けている。着替えを探しているようだが、出したものを投げるのはやめてほしい。

 そして、彼女は下着を握り締めながら振り返った。


「今後は、協商軍の遺宝戦艦復活を阻止する戦いになるわ。……皮肉なことに、それは魔女とも目的は一致するのだけど」

「魔女も……リズ・ヴェーダ准将も言ってました。遺宝戦艦は無力化して沈めるって」

「今という時代の戦争は、今この瞬間を生きる人間たちの力のみで戦うべきなのかもね。でも……あたしはこの子の力で多くの皇国兵が救えると思ってる」


 その何倍もの協商兵を殺せるからだ。

 サレナは純粋に、人間を数字で語って計算することには忌避きひの感情を覚える。だが同時に、エクセリアーデが好き好んでそう言っていないことも理解できるのだ。


「この千年、協商と皇国の戦力は拮抗している。双方互角だから、戦争が終わらないのよ」

「それは……そうでもありますが」

「イデオロギーや宗教、資源、経済……なにが原因でも、それはどうでもいいこと。今は原因や目的よりも、結果のための手段が必要なの。エルベリヲンという力がね」


 そして、エクセリアーデは意外な表情を見せた。

 もじもじと下着を手でもてあそびつつ、目をらす。


「必要ならば、皇国軍とも戦うわ……それが、この子を目覚めさせたあたしの責任。戦争を終わらせるための戦争を始めて、その主導権を誰にも渡さない。あたしが目指すのは、皇国の勝利ではなく……この晦冥洋の平和よ」


 自分の抱えた矛盾を、エクセリアーデは知っている。

 そして、誰よりも理解しているのだ……神にも等しい力を得た時、人間がどうなってしまうかを。だから、覇道とさえ思える修羅しゅらの道を、自分が先頭に立って歩くと決めた。それは、流血と痛みで舗装されたいばらの道だ。

 なんとなく、サレナにはそう思えて、しかも確信があった。

 だから、エルベリヲンには思想や欲望よりも、恐怖に敏感な人間が必要なのだ。


「……とりあえず、エクセちゃん。わたし、シャワー浴びてきます、けど……その、空いてる部屋はあるんで、えっと……と、隣とか、向かいとか」

「サレナ……」

「あと、パジャマパーティなら最低限、パジャマを着てください。いいですね?」

「パジャマ、パーティ……?」

「寝るまで少し付き合いますから……もっと話しましょう。血塗られた夢でも、わたしは同じその夢を見たいと思ってしまったんです」


 それだけ言って、エクセリアーデのように脱いだ軍服を散らかす。そして、やっぱりちょっとな、と思ってハンガーにかける。そうしてサレナはシャワー室に入った。

 年下の女の子が抱える悲壮な決意と気高さに、溢れる涙を隠すことができるのだった。

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