深夜の散歩での出来事

久路市恵

ゾンビじゃ!

「ぎゃー!」


「こりゃ!やかましい!そんなわけのわからんもんばっか見とらんで、早よ寝んかい、トイレに着いてきてとか言うなや!」


「言わんわ!父さんこそ、いつまでも呑んどらんと、早よ寝ぇや」


 テレビの前の炬燵こたつに入って、我が家のアイドル柴犬けんのモモを抱いて、おののきながら、びくびくしながら「アイ・アム・レジェンド」を観ている。


希望のぞみ、あんた、それ何回見とんで、よう飽きんもんじゃな」


「あんなぁ、怖いんで、なんか、怖いもんにドキドキしたいんじゃもん」


「何回も観とったら、ドキドキなんかせんじゃろ」


「それがな。するんじゃ、たまらんのじゃで」


「それより、あんた、ちゃんと小説書いとんか」


 若い頃、母は何度も小説新人賞の公募に応募していた。作家になるその夢を今では私に託してくれている。


「書いとるよ。カクヨム読んどんじゃろ」


「うん、読んどるで、ぎょうさんおるもんじゃな。小説書いとる人、私らぁの若い頃はカクヨムなんかなかったけん、あんた、ええ時代に生まれたね」


 母はお酒が入るといつも『あんた、ええ時代に生まれたね』と口にする。そして、


「私もカクヨムしてみようか、なぁ父さん」


 母さん、それ言ったの何度目なん?


「やってみたらええんじゃねぇの、誰かしら読んでくれるんじゃろ、昔は母ちゃん、よう書いて送っとったもんの」


 父さん、その返事は何回目なん?


 二人はいつまで経っても互いを尊重しあっていて、仲も良くて、私はこの親の子に生まれてきて良かったと思う。


「ワン!」


「どうしたん。おやつ欲しいんかぁ」

 

 モモは吐き出し窓に近寄ってカーテンの向こうに入り込んで可愛いお手てで窓ガラスをカキカキしている。


「こりゃ!モモ、ガラスをカキカキしたら駄目じゃぞ、どうしたんじゃ、しょんべんか!」


 父さんはカーテンを開けてモモの身体をぐしゃぐしゃに撫で回し頬擦りしている。


「父さん、女の子なんじゃから、しょんべんっていうのはやめて、なっ!モモ、オシッコじゃもんな。夕方、散歩行って来たんじゃろ」


「おお、行って来たで、どうしたんじゃ、モモ」


「モモ、どうしたん?」


 モモは父さんの手から逃れて私に近寄って来た。


「……」


「もしかして、うんちしたいん」


「ワン!」


 尻尾を振ってくるくる回る。


「よう言葉わかるんな。賢いな〜。うんちしたいんじゃね」


 私もモモを撫で回す。


「うんちか、そういやぁ、散歩の時うんちせんかったわ、希望のぞみが連れて行ってくれるんじゃと、良かったな。モモ」


 モモは犬だけど……。可愛がりする父さんをぎろりと睨む。


 まだ行くともなんとも返事をしていないのに、既にモモは散歩モードに突入した。


 可愛い目をして私を見つめて「散歩いきたい」アピールをしてくる。


「行くんじゃったら、気いつけて行ってこられぇよ。もうこんな遅せぇ時間じゃしね」


 深夜だよ。暢気な親だ。


 真夜中の十時半を回っているというのに外出させるなんて、なんて親なんだろう。これでも嫁入り前の娘やぞ。と思いながらも。


「うんち、行ってこよ」


 と、声をかけると私よりも先に引き戸の前に座って嬉しそうにこっちを向いた。


「ほんじょあ、行ってくるけん」


「寒みぃけん、ちゃんと暖かくして行かれえぇ」


「うん」


 引き戸を開けるとモモは玄関に向かって走って行き三和度に飛び下りる。


 リードをつけてエチケット袋と懐中電灯を持って家を出た。


 片田舎の住宅地の歩道、街頭もまばらで人通りも少ない。こんな深夜に外出する人なんているわけもない。


 モモは馬のような華麗な歩き方をする。

可愛いお尻にライトをあてて、ふざけていると、モモが立ち止まった。


 「どうしたん。はよ、うんちしてよ。うんちして、帰ろう」


 モモは私の後方をじっと眺めている。私もモモが見ている方に振り向き、真っ暗闇を目を凝らして眺めた。


「なにあれ?」


 懐中電灯を向けてみたけど、ライトの光は届かなくて、目を擦ってもう一度確認すると、暗がりに白いものが浮かび上がった。


「ぎゃー!」


 こっちに向かって来ているようなそんな気がした。得体の知れない物体に思わず悲鳴をあげて、モモを引っ張って走りだす。


 「モモ!もっと早く走って!」


 運動不足なのに火事場の馬鹿力発揮、全力疾走、モモは後方が気になるようだけど、そんなの知ったこっちゃない。


 走って、走って、走って、走り抜いた。


「死ぬ〜。もう駄目じゃ」


 息がきれて立ち止まって、立っていられずに座り込んだ。怖いけれど恐る恐るそっと振り返ってみた。


 「ぎゃー!」


 立ち上がって走り出そうとした瞬間に背中に覆い被さられて私はアスファルトに伏してしまった。


 駄目じゃ。もう駄目じゃ。殺される。


 ゾンビに捕まってしもうた。私もゾンビになってまう。モモ……モモだけでも逃げ切って……。


「なんで逃げるんじゃ。真紀ちゃん」


 ん……。真紀ちゃん?真紀ちゃんて誰の事……。


「真紀ちゃん、なんで爺ちゃんから逃げるんじゃ。いっつも爺ちゃんと散歩しとったじゃろ」


 この人が誰かわからないけれど話を合わせていた方が殺されないかも知れない、そう思って、


「爺ちゃん、重てぇわ、どいてぇな」


「すまんすまん。重たかったか」


 その知らない爺ちゃんは私の身体を起こしてくれた。


 爺ちゃんを見て思わず「寒いじゃろ」と声をかけた。


 闇に浮かんだ白いものはパジャマのズボンに半袖の肌着、この深夜の寒空になんていう薄着の恰好なんだろうか、


「爺ちゃん寒くないんか」


「寒くねえぞ。爺ちゃんは平気じゃで」


 平気なわけないよ。


 私は、はぁーと息を吐いた。


 吐いた息が煙草の煙のように白くなるほどだ。


 寒いけれど上着を脱いで知らない爺ちゃんに着せてやった。


「真紀ちゃん優しいのう」


「家、どこなん?」


「家、真紀ちゃん知っとるじゃろ」


 困った。この爺ちゃんを知らない。


 うちに連れて行くか、それとも交番か、だけど交番はここから歩いても十五分以上かかってしまう。どうしようか、


 モモは警察犬になれるだろうか、


「なぁ、警察犬モモよ!このお爺さんの家を探せ!」


「……」


「わからんか」


「ワン」


 警察犬にはなれそうにない。当たり前だ。モモは至って普通の柴犬なのだから……。


「可愛い犬やの。まもるか」


「まもる?」


「おお、こりゃ、まもるじゃな」


 このままだと私も風邪をひいてしまいそうだ。


「爺ちゃん、ほんなら行こうか」


「おお、行こうや」


 私は真紀ちゃんになって、モモはまもる君になって、爺ちゃんと三人で駅の近くにある

交番に向かって歩く。


 交番についてお巡りさんに経緯を話す。お巡りさんは何処かへ電話をかけた。

 

 既にお爺さんの捜索願いが出されていたようで、そのうち家族が迎えに来た。


 お爺さんを見送って帰ろうとしたら、お巡りさんに深夜の散歩を注意された。


「いくら田舎だといっても、女の子がこんな夜更けに一人で散歩というのは如何なものかな。親御さんに迎えに来てもらわないとね」


 自宅の電話番号を言わされた。

 

 お巡りさんは自宅に電話をかける。


 酒に酔っていた両親が血相を変えて迎えに来た。


 三人でお巡りさんに深々と頭を下げた。


 なんにも悪いことはしていないのだけれど、

家族四人で我が家に向かって歩いて帰る。


「電話に出たら『警察です』ってびっくりしたで」


 父さんはモモのリードを私から奪った。


「あんたに、なんかあったんかと思ったわ」


 母さんは私の右手を握った。


「最初、その爺さんがゾンビに見えてな、めちゃくちゃ怖かったで」


「お前があんなもんばっかり見よるからじゃ、そいじゃけん、ゾンビに見えるんで!」


「そうじゃけど、ほんまに怖かった」


 心臓が止まりそうになった。


 あんな恐怖は二度と味わいたくない。


 かといって「アイ・アム・レジェンド」はやめられない。


 これが私の、

 深夜の散歩で起きた出来事でした。



終わり











 

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深夜の散歩での出来事 久路市恵 @hisa051

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