春から女子大生ですが階下に魔王ちゃんが暮らしてます

幸村明良

最終話

 わたしは木下むつみ。難関国立大学に合格し、入学のため田舎から上京してきたばかりの18歳。

 新居はちょっと古めのアパートだけど期待に胸がいっぱいのわたしには全く気にならない。風情があって逆に良いと思っちゃうくらい。


「うーん!」


 背伸びをして、自室の窓から街を見る。


「キレイな夕焼け……」


 思わず見惚れた。

 少し高台にあるアパートの窓からは、柔らかな夕焼けに照らされた遠くのビル群が見えた。オレンジ色に染まる街並みは子どもが並べた積み木のようだ。故郷の田舎とは違う夕方の景色は新生活の始まりを強く実感させる。


「あ、夕焼けってことは……もうこんな時間!」


 荷ほどきにすっかり夢中になって時間を忘れていたみたいだ。明るいうちにご近所さんに挨拶に行くつもりだったのに!

 家を決める前は挨拶なんてしなくていいかな……と思っていたけど、このアパートは大学の近くにある女性専用アパートなのだ。

 つまり、住民は同じ大学の女子である可能性が高い。

 知り合っておいて損はないだろう。突撃だ。


「ええーっと。1、2、3……あれぇ?」


 しまったなぁ。準備しておいた手土産が一つ足りないぞ。おそらく段ボールの山のどこかにはあるんだろうけど、ちょっと探している時間はない。

 代わりのものでも用意するかな。えぇっと、食べ物にしよう。アレルギーには気を付けないとね。そうそう、賞味期限も気を付けて……そうめんにしよう。


 わたしはそうめんが嫌いだけど、わたし以外でそうめんが嫌いな人に出会ったことがないから、たぶん大丈夫だろう。

 わたしがそうめんが嫌いだと知っていながら、そうめんを荷物に紛れ込ませた祖母に複雑な感情を抱きつつ、わたしは玄関の扉を開いた。


 かんかんと音を鳴らしながら金属製の古びた階段を降る。まずは下のお部屋からだ。

 あれ? 大家さんの部屋だ。わたしの部屋の真下なのか。これは気を使うかも。しまったなぁ。部屋を決める時は気付かなかった。


「んん? 何これ?」


 表札には大家さんの名前であるトレッチェル──たぶん外国の方なのだろう──と書かれていた。なので、ここが大家さんの部屋だと判断したのだが、問題はもう一つあった表札だ。


 『101号室 魔王軍本拠地』


 子供の悪ふざけかな。なんだい、魔王軍って。


 呼び鈴を鳴らそうとするも、その前に扉が開き、そしてわたしは目を見張った。


 少女だ。開いた扉の向こうには、少女が立っていた。

 肩で揃えた美しい濡羽色の髪、くるりとした瞳、薄紅色の唇、桜色の頬……とてもかわいらしい少女だ。

 ただ、それだけじゃない。少女の服装は異様だった。

 少女は漆黒の鎧に身を包み、真紅のマントを羽織っていた。背からは剣の柄が見えている。そして右手には全てを呪って死んだかのような苦悶の表情を浮かべた山羊頭の杖を握っていた。左手はドアノブをつかんでいる。

 

 コスプレの人だろうか? 田舎では見たことがないな。東京ってすごい。


 コスプレの人はわたしを見て満足そうに頷き、そして口を開いた。


「よくぞ我がアパート『ゲヘナの館』へと越してきたな。歓迎するぞ! 木下むつみ!」


「えっと……はじめまして。よく名前がわかりましたね? よろしくお願いします、木下むつみです。あの、大家さんです……か? 娘さん?」


「大家である。そして魔王だ! 我こそはサカエ・アンゲラ・トレッチェル! この世の地獄を手中に収め、この世の全てを憎悪の炎で焼き尽くさんとするものだ!!」


 うーん? 憎悪の炎でこの世の全てを焼き尽くしちゃうんだ?

 なに言ってんだろ。ちょっとわかんないかな。


「まおう?」


「ああ、魔王だ」


「サタン、的な?」


「違う。そういう宗教色のあるやつじゃない。もっとファンタジーで夢のある魔王だ」


「日常系ほのぼのラノベ的な?」


「それだ、それがしっくりくる。我はそういう感じだ…………まてっ! 貴様さっき、コスプレとか思ってたな? 思っただろう! 隠してもわかるぞ! 読心できるからな! きさま! バカにするでないぞ! 我は本物だ! はらわたを引きずり出してペロペロしてやろうか? ああん!?」


 読心できるのか。すごい。たしかに、さっきコスプレの人って思ってたけど……本物なのか。魔王っているんだな、感動しちゃう。

 

 ただ、なんだろう。ペロペロとか言ってるし、怒ってるみたいだけど怖くはないな。なんか怒るポイントもしょうもないし、日常系ほのぼのライトノベルの魔王だし。

 魔王がどうあるべきか、なんてわたしは知らないけど、かわいい魔王ちゃんね。


「なななななな何をぅ!? 貴様! 言うに事を欠いて『かわいい』だと!? それは貴様が我の実力を知らぬからだ! 我がその気になればこのアパートなど木っ端微塵だ! 袋の最後の方のコーンフレークのように粉々にしてくれるわ!」


 比喩がかわいいのよ。

 アパートを木っ端微塵にできる能力を誇るのなら、その例えをコーンフレークにすべきじゃないでしょ。

 何より、そのアパートは魔王ちゃんのものなのだから一番困るのは魔王ちゃんなのよ。アホなのね、たぶん。


 ま、わたしも引っ越したばかりのアパートがそんなことになったら困るけど。


 わたしの思考にあわせて魔王ちゃんは表情をくるくると変えていたが、わたしが『困る』と考えた途端、得意げな表情でうんうんと頷いた。


「そうだろう。困るだろ」


 まあ……魔王ちゃんほどではないけれど。いや、得意げにすることではないのよ。一番困るのは魔王ちゃんでしょ。


「くっ……たしかに我も困る。我も貴重な収入源を破壊したくはない。ちゃんと生活したいのだ。もう草花を食べて飢えをしのぐことはしたくない。虫なんか捕まえるのに必死になりたくない。凍えたくない。どんな者も誰かと寄り添わずには生きていけないのだから」


 魔王ちゃんは目から一雫の泪を落とす。大変な苦労をしたようだ。もしかしたらお金に困って頭のネジを切り売りしてしまったのかもしれない。そんな雰囲気がある。


 何があったのかは聞かないほうがいいだろう。でも……なんでアパートなんだろう。魔王城とかないのかな。気になる。魔王軍は部屋の中にいるのだろうか。


「その話か、長くなるが聞いてくれるか?」


 いえ、お隣さんにもご挨拶したいので遠慮します。

 ていうか、いつの間にかわたし喋ってないや。便利なものね。


 わたしがそう考えると、魔王ちゃんはその瞳に怒りの炎を宿らせ杖を掲げて抗議してきた。


「ぬぁ!? 貴様! ふざけるな! 怠け者め! 煉獄の炎で焼きつくしてやろうか? クソガッ!? きさまなんぞ影も残らんぞ! 全部燃やして、きさまの荷物だけを実家に送り返してやる! ご家族は悲しむぞ! いいのか! テメッコラッ!! 我はそんな可哀想なこと、とてもじゃないができないぞ! ふざけるな!! アア、コラッ!?」


「はあ、すみません。あ、そうだ。つまらないものですが……」


 出しそびれていたご挨拶の品を渡す。魔王ちゃんはそうめん食べるのだろうか。それとも人間とか食べちゃうのかな。


「人間は食わんぞ! そうめんか……」


「はい、そうめんです」


 魔王ちゃんの顔が曇る。嫌いなのかな? ここまであからさまに顔を曇らせるとは。さすが魔王、自分の感情に正直だ。『そうめんだと!? 気に食わぬ、この娘を殺せ!』とか言って背後の1Kの部屋にぎゅうぎゅうに詰められたオーク共がわたしを八つ裂きしたりするのだろうか。これは110番の準備を──


「ああ、いや、すまぬ! ちがうのだ。いや、まずそもそも1Kの部屋にはオークはいない。暑苦しいではないか。実は、そうめんが嫌いでな」


 なんてことだ。人生で初めて出会ったそうめんが嫌いな存在が魔王だなんて……。


「それは失礼しました。そうめんが嫌いな人っているんですね。わたし以外で初めて出会いました」


「うむ。奇遇だな。貴様とは仲良くやれそうだ」


 にやりと笑うその顔は悪だくみをする幼稚園児のようだ。かわいいじゃないの。

 だけど、そうなると何か別のものを持って出直す必要があるかな。段ボールの山から粗品を発掘するしかないか。


「まあ気にするな。気持ちだけで十分だ。むしろ悪かったな、そうめんが嫌いで」


「そんな……」


「ちなみに粗品とはなんだ? むむむ? そうか、洗剤か」


 はい、洗剤です。やっぱり顔を曇らせるんですね。違う品をご希望ですか?


「うむ、できれば食べられるものがいい」


 何かお好きなものとかありますか?


「そうめん以外なら本当になんでも大丈夫だ。それこそ、駄菓子や晩ごはんの残り、あるいはカエルとかコウモリとか、虫、食べられる野草でも何でも」


 不憫な……。


「何を!? 誰が不憫だ、誰が! バカにするなよ! 我の貯金額聞いたら驚くぞ! いっぱいだぞ、いっぱい!」


 嘘だろう。どう見てもお腹を空かしているもの。


「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ」


 あ、しまった。かわいそうな嘘を指摘してしまった。心を読まれながらの会話は難しいな。ごめんなさい魔王ちゃん。


「くっ、とにかく! 何でもいいから持ってくるなら来い! いつでも構わん! 我はここで貴様を待っているぞ!」


 いつでも、ねえ。仕事とか聞いたらやっぱり野暮なんだろうな。ああ、いやアパートの大家が仕事か。いや、魔王が仕事なのか? 魔王ってなにするんだろ。

 だって、『いつでも構わない』ってさ……王を自称する割に暇すぎないかしら? 会いに行ったら絶対いるものなのかしら? 伝統的JRPGの王様なのかしら?


「くっ、我は忙しいからな! じゃっ!」


 バタンと音を立てドアを閉められた。わかりやすい。絶対暇だな魔王ちゃん。ああ、また失礼なことを考えてしまった。


 結局、他の部屋に挨拶するには遅くなっちゃったな。魔王ちゃんは時間泥棒ね。


 わたしはそのまま帰宅して、夕食をいただき、お風呂で暖まり、布団にもぐりこむ。

 新しい部屋で布団にくるまり、今日という一日を振り返った。


 まさか、下の階に魔王兼大家さんが住んでるなんて。不思議なこともあるものね。可愛い魔王だったな。


 そうだ、お腹が空いてるみたいだし、次はかわいいお菓子でも持って行こう。何が良いかしら?

 そんなことを考えた瞬間。



「我 は フィナンシェ が 好きだーッ!」



 下の階から大声が聞こえてきた。

 なるほど。この距離でも読心するのか。プライバシー0とは厄介な。

 どうしようかな。明日は早起きしてこれからのことを考えた方がいいかもしれない。不動産屋さんに行くべきかしら。



――さて、こんなわけでわたしはいま困っています。こういう時ってやっぱり引越したほうがいいんでしょうか? それとも、大家さんが読心するぐらいは我慢するべきでしょうか? 経験のある方、アドバイスいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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春から女子大生ですが階下に魔王ちゃんが暮らしてます 幸村明良 @nekoyukiaki

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