月と母と俺

3年余りという短い結婚生活に別れを告げ、妻と正式に離婚をした。

 

 理由は特にこれといってない。そう短くなかった恋愛時代から結婚生活に突入してみたら、なんとなく歯車が合わなくなった、と俺自身は思っている。

 妻がどう思っているかは分からないが、特に俺のことを責めることもなかったので、同じような感じだと思いたい。本当のところは分からないが。


 引っ越しや財産分与、その他細々したことにかたをつけ、ちょうど仕事も一段落したことから、久しぶりに実家に帰ることにした。

 思えば今の時代のせいでしばらく実家には帰っていない。もしかしたら、そのせいで家で過ごす時間が多くなったこともうまくいかなくなった理由の一つなのかな、とか、そんなところに責任を押し付けようとしている自分が少々嫌になっていた。


 新幹線と在来線を乗り継いで久しぶりの故郷の駅に着いた。駅までは父親が車で迎えに来てくれていた。


「ただいま」

「おかえり」


 数年ぶりだというのにほぼそれだけの会話。車中でもほとんど会話はなかった。仲が悪いというわけではないが、元々父親とはそれほど話をしていなかった。まあ、男親と息子ってのはそういうものなのかも知れない。


「お疲れ、さあ入って入って」

 

 父親とは対象的におしゃべりな母親はにこやかに出迎えてくれた。


「後でばあちゃんちにお線香あげにいっといでな」

「うん、分かった」


 祖母は生前、父の兄である伯父宅に同居していて、うちからは歩くと1時間ぐらいの場所にある。子供の頃はよくいとこたちと遊んだものだが、そちらにも数年のご無沙汰をしていた。


 荷物を置いて、少し休憩したら車を借りて伯父宅へと向かう。子供の頃はそれぐらいの距離歩いたものだが、大人になるとめんどくさいんだよな、そういうの。車があったら余計に。


 土産を渡して無沙汰をわび、祖母に線香をあげる。


「今年は十三回忌だ、よかったら法事にも来てくれ」


 伯父にそう言われたので、仕事の都合がつけばと言って失礼する。


 車で実家に戻り、食事をして、風呂に入り、寝る支度をして自分の部屋へ戻る。

 進学で俺が家を出た後、特に使う必要もないからとそのままの部屋。時々母親が掃除だけはしてくれていたようで、なんだか高校生の時に戻ったかのようだ。


 いなかの夜は静かだ。いや、こんなに静かだったっけ? 今の家ではベッドだが、久しぶりに畳の上で布団で寝たせいもあってか、なんだか寝付けない。何度か寝返りを打っている間にすっかり目が覚めてしまった。


 時計を見たらもう日付が変わっている。気分を変えるのに水でも飲むかと階下に降りたら、母親がまだ起きていた。


「おや、目が覚めた?」

「うん、なんか寝付けなくて」

「そう。お茶飲むかね? って、お茶だとますます目が覚めるか」

「いや、もらうよ」


 母親が温かいお茶を入れてくれて2人で向かい合って飲む。俺が使っていた湯呑み、すっぽりと手に馴染み、お茶の温度が心にも染み込んでくるようだ。


「寝られんのなら、ちょっと散歩でもするかね」


 母親がそう言って誘うので、なんとなく付いて一緒に歩くことにする。


 今夜は月夜。春は近いと言ってもまだまだ冬の名残りのある冷たい空気の中をとことこと歩く。

 家のそばの道は県道とは名ばかりのような細い道だ。深夜には車もほとんど通らない、街灯もない。


「暗いから」


 そう言って母親がランタンのような懐中電灯を取り出す。


「散歩する時とか危ないからね」


 そう言って笑った。


 県道からあぜ道に入り、れんげが咲いている田んぼの横をとことこと歩く。

 やはり空にはまん丸な月。


「なんだろな、なんか、こんなことあったような」


 俺がそう言うと母親が、


「ああ、あったあった」


 と、思い出したように答えた。


「あんた、まだ幼稚園の時よ。ばあちゃんちに泊まる、一人で泊まれるって言うから置いて帰ったら、夜中になって帰る帰るって泣き出してさ、そんで私が迎えに行ったのよ」

「え、そんなことあったっけ?」

「うん。お父さんはちょっと飲んでしまってたから車で迎えに行けないし、散歩がてら迎えに行ったの」

「そうだっけ?」

「あの日もこんな満月だったわ」


 言われて空を見上げると、丸い月にうっすらと記憶が蘇る気がした。


「そういや、なんかすごい不安になった気がしたなあ。なんとなく思い出した」

「そう?」

「うん。ばあちゃんちだし、怖いことなんてないって思ってたのになあ」


 聞いて母親が笑う。


「まあねえ、みんな初めてのこと体験する時には怖くても仕方ない」

「そうかな」

「うん、そんでもね、歩いてみたら案外大したことないってこともある。この道だって、歩き慣れてたらなんてことないけど、車に慣れてしまったらなんだか遠く感じるもんよ」

「そうか」

「だからね」


 母親が足を止めたので俺も並んで止まった。


「あんたは今、これからの道が暗くて不安で、なんでこんな道を歩いてるって思ってるかも知れないけど、なあに頭の上にはお月様だってあるし、朝になったら太陽も顔を出す。だから、まあ、がんばんなさいな」

「うん」


 なんともないそんな話をしただけだけど、少し心が晴れた気がした。

 短い深夜の散歩の途中、短い会話に、またもう一度歩き始められるだろう力をもらえた。

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ある惨劇/月と母と俺(KAC20234参加作品) 小椋夏己 @oguranatuki

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