拝啓 R.B.ブッコロー様

森東涼子

第1話

 文房具バイヤーの岡﨑弘子は、便箋の置かれた机の上に、インクの詰まったボトルを並べた。

「どれがいいかしら」

 数えきれないくらいに並んだ色の中から、一つを選ぶのは難しい。手紙を送る相手のイメージ、便箋のデザインとの相性、季節……。様々な要素とのマリアージュを考える。本来の目的である手紙を書く時間よりも、長い時間がかかってしまうことさえある。ほかの人からは理解してもらえないかもしれないけれど、この時間が弘子は大好きだ。

「これにしよう」

 選んだのはバラの香りがするインク。最近忙しそうな彼を少しでも癒してあげることができればという思いを込めて。


──拝啓、R.B.ブッコロー様


 思ったことをズバズバ言ってしまうミミズクとの仕事が明日に待っている。そのときに渡せるように、弘子はインクを吸い込ませたガラスペンを便箋の上に滑らせた。心地いい音が、透き通ったペン先から奏でられる。

 この音も、手紙と一緒に届けられればいいのに。

「あ」

 そうだ。届ければいいんだ。

 弘子はスマホを取り出した。




「ブッコローさん」

 文房具の紹介動画を撮り終えた弘子は、仕事が終わった瞬間に帰る準備を始めているブッコローに声をかけた。

「なんすか?」

「はい、どうぞ」

 昨日封をしたばかりの封筒を、ブッコローに差し出した。ブッコローの羽と同じ、鮮やかなオレンジ色のシーリングワックスで封がされている。

「お手紙書いてきました。読んでください」

「手紙ぃ?」

 ブッコローは首を大きく傾げた。

「岡﨑さん、メールって知ってます? 手紙よりずっと便利なものがこの世にあるんですよ?」

「もう、そういうこと言わないでください」

 ブッコローさんは趣をなかなか分かってくれない、と弘子は唇を尖らせた。そもそもミミズクに趣への理解を求めることが間違っているのだろうか。

「っていうか、今日会うこと分かってるんだから直接言えばいいじゃないですか」

 いつものようにぼやきながら、ブッコローは器用に封を開けた。

 弘子はポケットからスマホを取り出し、昨日録音したばかりの「音」を流した。

「……何してんすか?」

 おかしなものを見るような目でブッコローが弘子を見た。

「そのお手紙を書いているときのガラスペンの音です」

 弘子は笑顔で胸を張った。ブッコローが呆れたようにため息をついた。

「岡﨑さん、暇なんですか?」

「いいから早く読んでください。終わっちゃう」

 ブッコローからはしぶしぶというにおいが出ているが、弘子はそれには気づかない。ただ子どものようにキラキラした目で、手紙を読むブッコローを眺めていた。


「どうでした?」

 手紙から顔を上げたブッコローに、弘子は聞いた。きっと喜んでくれるはず。その思いはあっさりと裏切られる。

「全然集中できませんでした」

「えー! せっかくいい案だと思ったのに!」

「ずっと横でガサガサガサガサ聞こえるんですもん」

 そう言うと、今度こそ帰ろうと思ったのかくるりと背を向けた。

 次は絶対に楽しませて見せると、弘子が心に誓ったとき、ブッコローが何かを思いだしたように振り返った。

「あ、そうだ。これ、あげます」

 弘子の手に乗せられたのは小さなガラスの小瓶だった。その中は夜空を思い出させる藍色の液体で満たされていた。それは、弘子が愛してやまないインクだった。

「いいんですか?」

「僕が持っていても仕方ないでしょ? のんびりインクを吸わせる時間なんてないくらい忙しいんだから」

「ほんとに一言多い」

「え? 何か言いました?」

 ブッコローが羽を伸ばして、インクを取り返そうとしてきた。弘子は慌ててインクの小瓶を胸に抱いた。

「いえ、ありがとうございます。次はこれでお手紙書きますね」

「面倒なんで直接言ってもらっていいですか。じゃ、お疲れ様でーす」

 そう言うと、ブッコローは部屋から出て行ってしまった。

「本当に素直じゃないんだから」

 弘子は見てしまった。扉が閉まる瞬間に、ブッコローが手紙をそっと鼻に近付けて、ほっとした表情を浮かべていたことを。弘子の思いは、ちゃんとブッコローに届いている。弘子は胸がじんわりと温かくなるのを感じながら、手の中にある小瓶をそっとなでた。

 

 このインクを使って、お礼の手紙を書こう。星がちりばめられた便箋なら、このインクと素敵な世界を作ってくれるだろう。また一言多い返事が待っているかもしれないけれどそれでもいいと弘子は思った。


 その時間は、弘子にとっても、弘子とブッコローの二人がつくりだす空気が大好きな人たちにとっても、きっと素敵な時間になるはずだから。

 

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拝啓 R.B.ブッコロー様 森東涼子 @morihigashiryoko

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