10話 ヒロイン力には誰も勝てない。
区切りの良さの都合で、投稿時の9話後半のゾフとルシルの会話を10話に持ってきました。
更新前の9話をお読みいただいた人は、前回ラストまで読み飛ばしてくださいませ!
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「呼んだかい?」
「ヒエッッッ」
ぼやきに応えがあって飛び上がった。
水色のスカートを押さえて誤魔化し、深々と礼を示す。何だか今日は驚かされてばっかりだ。
「ステューもゾフもいないから、探しにきたんだ。邪魔だったかな」
「お邪魔だなんて。そんなことございませんわ。光栄すぎて少し驚いてしまいましたの」
「そっか。いや、ゾフは代表を引き受けただろ? もしかしたら、それで忙しいんじゃないかなあと思って……」
ああ。彼の痛みの形がよくわかる。
「それでは、手伝っていただきたいですわ」
「え?」
「殿下にも歌っていただく曲ですから……あくまで選曲の参考に! 聞いて、感想をいただければと思いますわ」
「……いいの?」
「あら? 何か仰いまして?」
「いや、うん。是非とも」
「ありがとうございますわ。では、ピアノのある教室に参りましょう」
ルシル王太子は、ずっと誰かから頼られたかったのだ。生まれついた身分だけで敬われて、面倒から遠ざけられて。
それはどれだけ孤独なことだろう。
(
ピアノに合わせて旋律を歌いながら、そんなことを思った。
「……今のところ、候補曲はこちらの3曲ですわ。1週間しか練習時間がないことを考えると、簡単な曲にしてハーモニーを美しく作るのが1番まとまりがよいかと思いますの。……殿下は、どの曲がお好みでしたかしら?」
「……僕は、2曲目が好きだった」
「そうなのですわね! では、2曲目を──」
「いや、でも。やるなら、1番最初の曲がいいな」
「あら。どうして?」
ルシルがにこ、と笑って答えないので、ゾフは早々に諦めた。
彼も結局は王族、我が強いのだ。自分如きがどんなに聞いたところで、答えたくないことは答えないだろう。
「ゾフは本当に歌姫だね。エリの気持ちがわかるよ。……ソロパート、楽しみにしてる」
「そんな、とんでもない……でも、ありがとうございますわ。嬉しく思います」
「社交辞令じゃないんだけど」
「またまた」
誰もいない音楽教室で2人くすくす笑い、そして気付いた。
何か聞くなら今が好機だと。
「殿下。不躾ながらお伺いいたしますわ。……何か、悩んでいらっしゃいますか?」
ルシルは困ったように首を傾ける。
それが何も言えないときの癖だと、ゾフはよく知っている。「そうした」のだから。
「わたくしの大切な人が、貴方を大切に思っていますわ。その人の不利益になることは誓っていたしません。わたくしはただ……わたくしが相手なら打ち明けやすいのではないかと……」
「……そんなに、分かりやすいかな?」
「いえ……普段殿下の側にいらっしゃる方でも、よく見なければ分からないかと思いますわ」
「そっか」
ルシルは少し頬を赤く染めた。
この王子の恥じらいポイントよくわからん、と思いつつ言葉を待つ。
「……この学院はいいところだよ。多くの人と知り合って、話ができる。1人で家庭教師を雇って学業に励むよりも、ずっといい経験ができているのがわかる。
……だけど、たまに苦しくなる。
ずっと『王太子』として見られるのも、そう思われるように振る舞うのも。
……僕はここで過ごしていると、自分が非才であることを思い知るんだ」
本来ならばステューが首席だったにも関わらず、ルシルが登壇した中等部の卒業式を思い出す。
あの時からずっと、従兄弟にもステューにも劣等感を抱いてきたのだろう。
「3年後には、僕は表舞台に出なければならない。指揮なども任されるだろう。本格的に、王になる準備が始まる。なのに僕は、まだ……本当に幼いんだ」
琥珀色がとろりと溶けて、溢れると思った。しかし、瞳は膨らんだまま弾けずにいる。
それを素直に、美しいと感じた。
「──子供だから、ここにいるんだと思いますの。殿下は超人ではありませんわ。
誰より美しく気高い血をお持ちでも、大変失礼ながらまだ15歳の青い芽でいらっしゃいます。
ですから、わたくしとも出会えたのですわ。
わたくしは感謝しております。殿下が未熟なことに。こんなにも共感できるような思いをお持ちの貴方が、将来この国を治めてくださる事実に」
ゾフが自分の気持ちを伝え終えるまで、『ティアナ』に託した言葉を言い切るまで、ルシルは濡れた瞳で自分を見ていた。宝物のように煌めく目で。
その目に届くよう、一心に語りかけた。
「──僕は、今のままでいいってことかな?」
「わたくしは、そう思いますわ」
「戦争が怖くても?」
「ええ、勿論」
しばらく2人の間に沈黙が流れた。
それはくすぐったいような静謐に満ちていて、ちょんと触れば呆気なく壊れてしまうような沈黙だった。
ゾフはそれに耐えきれず、ピアノに向き直った。
そして、激しく鍵盤を叩く。それは、中学時代のナオミがよく聞いていた曲だった。
BPMは200超。この世界ではまず聞いたことがない、高速の曲。
「……なんだい、その曲」
「殿下は息抜きした方がいいと思いまして」
ああ、結局彼のために歌うことになった。
曲が展開するにつれて、ルシルの表情が変わっていく。驚いた顔、難しい顔、呆れ顔、──笑顔。
「本当に、何なのその曲」
声を上げて笑うルシルに、ゾフも笑い返した。
本当ですね。
何なんでしょうね、この気持ちは。
そのとき、はっきり分かった。
私は『とおばら』の原作者で。ナオミという日本人だったけど。
今ここにいる自分は、紛れもなく。
ゾフ・オルヴィナという15歳の少女に過ぎないのだ。
*
「あの曲弾いてたわよね!?」
「ゾフお姉様、あの曲……っ」
夜にエレーナとティアナが現れて、詰め寄られた挙句、誰が1番先に年代がバレるのか『前世』で好きだった曲をあげあうチキンレースが開催されたのはまた別の話だ。
なお、気付けばゾフの部屋が転生令嬢達の溜まり場となっていた。誠に遺憾である。
*
1週間はあっという間に過ぎた。
曲を発表して、パート分けをして、パート別にリーダーを決めて、音がずれている人にはゾフから個別指導をして。
授業に課題に練習に目まぐるしい日々の中、一人一人、ひとつひとつ独立していた生徒やグループの中に連帯感や仲間意識が生まれたのは、ゾフにとって思いがけないことだった。
今や全員が優勝を目指している。
(ただの思いつきだったけど、こんな雰囲気のクラスを作り出せるなんて……。もし、あと1週間遅く合唱祭が発表されてたらこうは行かなかっただろうな。エレーナ様はこれを狙ってたの? どちらにせよ、あの行動力があってこそ、学院全体が活気づいている)
隣のエレーナを見ると、シャンパンゴールドの瞳をぱちぱちと瞬かせ、ふっと綻ぶように笑った。
「あの、ゾフ。つまり歌ってもいいってこと?」
「それはダメですわね」
すっぱりと切り捨てる。
本当に申し訳ないし、全員で歌ってこその合唱だとは思う。
しかし、エレーナはドミソを歌わせてシレソになるミラクル令嬢なのだ。
この皆で優勝を目指そう! という雰囲気の中、彼女に好きに歌わせるわけにはいかない。
「ううっ……切ないですわ辛いですわ。私も歌いたくてよ、ねえゾフ」
「よーくお考えくださいませ、エレーナ様。皆様の中で今、エレーナ様の株が急上昇中なんですのよ? 流石は未来の皇后陛下と。
エレーナ様が音痴なのはそれはもう全校生徒の知るところですが、だからと言ってわざわざまたお披露目して株を下げるのは悪手ですわ」
「わーん! じゃあなんで個別指導に呼んだのよー!」
「貴女の口パクが余りにも無気力かつ旋律に合っていらっしゃらないからですわ!」
……そんな一幕がありつつも、即席の合唱団は無事完成に向けて磨かれていった。
ティアナもオーガストと無事接触できたらしい。しかし、ティアナとのんびり話が出来ないほど生徒の意欲が高かった。合唱祭当日にティアナを見たゾフが(3日ぶりじゃん)と仰天するほどだ。
結果から言えば、優勝したのはティアナのクラスだった。
「あれって、『天使にラブレターを』よね?」
「微妙にそのタイトルではありませんけれど、そちらですわね。すごい再現力……」
ポップなリズムに乗せてステップを踏みながら歌われる讃美歌は、誰もを笑顔にして惹きつけた。
ある洋画のパロディであることは2人に伝わった。しかし、完璧すぎるパロディは最早作品である。
クラスに数名いた歌が上手い人の持ち味が引き出されるパートに聞き惚れ、(これではソロパートが目立たないのでは?)と思うやいなや、全員のコーラスをバックに堂々とした声量でティアナが歌う。
そこには、彼女こそが主人公だと思わせる説得力があった。
可愛らしくステップを踏みながら、一人一人と目を合わせ、こちらに振り向いて微笑むティアナは大層輝いていた。
「推せる……」
「すごい……」
2人の転生者の語彙力はゴミになった。
その後、自分のクラス以外に投票する時間が設けられたのだが、ゾフがぐるりと見渡した限りでは全員ティアナのクラスに投票していた。
ちなみに、王太子と許婚を擁する自分たちのクラスは銀賞だったのだが、ちょっとそれどころじゃなかった。ティアナが眩しくて。
*
「ティナーッ! 優勝おめでとう!」
「え、り、おねえ様……! ありがとうございます……っ!」
合唱祭終了直後の休憩時間。
エレーナがティアナのクラスに特攻してぴょんと抱きついた。
ざわついたのはティアナのクラスメイトである。
「負けたのにこの対応……これが王太子の許嫁の包容力……」
「エレーナ様がティアナさんと仲良いのってマジだったんだ」
「わかる。なんかもっとこう、未来の皇后陛下としてのお慈悲みたいな感じだと思ってた」
収集がつかない騒ぎになる前に、中庭に2人を連れて行くのはゾフの役目となった。
「たのし、かったです……」
「よかったわねえ、よかったわねえ……ほらこのガトーショコラもおたべなさい」
「ふぁい、えへへ……」
(それ私が作ったんだけどなあ)と思いつつ、ゾフは何も言わなかった。何故って、ほこほことした笑顔を浮かべるティアナがべらぼうに可愛いので。
今回の合唱祭で、ティアナはクラスメイトに心を許せる友達が何人かできたらしい。それを聞くとエレーナがまた親戚のおばさんのように「よかったわねえ」と繰り返した。
「その子たちよりも私たちを優先してしまってよかったの、ティナ?
お昼の時間なんて、これ以上ないお祝いの機会じゃないの」
「えっと……どんな結果になろうと、打ち上げはしようね、ということになっておりまして……それで、わた……くしも、どんな結果であっても、真っ先にお二人にご報告したかったので。……打ち上げは放課後にしていただけるよう、お願いしましたの」
照れ照れと白い指を絡ませながら乙女は溢す。
その愛らしさに抱きしめたくならない人間がいるだろうか。いや、いない。
そんなわけでティアナはエレーナとゾフに両サイドからぎゅっと抱きしめられることになった。
「想像以上の歌唱力、構成力だったわ。ティアナが指揮する合唱を見れるだなんて、『とおばら』読者としてあれ以上の幸運はないでしょうね……ウッ」
「発作ですのね」
「ですのよぉ……」
ゾフはすかさずハンカチを取り出すとエレーナに差し出した。
「う……はぁ、はぁ、落ち着いたわ。……神学科の先生の何人かは眉を顰めていらっしゃったけれど、生徒が楽しんでいるんだから、貴女にとやかく言ったりはしないでしょう。というか、言わせないからご安心してね。
……ところで、オーガスト様とはどうなったのかしら。『接触した』とまでしか聞けていないわ」
やっとのことで落ち着いたエレーナがティアナに聞くと、ティアナは少し首を傾けた。
「……接触は、致しましたわ。でも、……原作とは少し違って……「もっと歌って」と仰って、……わたくしがオーガスト様から教わったのは、ヒントですわ」
「ヒント?」
「どんな立場のどんな人に、どう見てほしいかを考えろ、と……」
「至言ね」
「ええ。それで、あの……演出を思い付きましたの。あと……」
ティアナは目を泳がせた。
「なになに、どうしたの?」
「えっと……確信しているわけでは、ないのですが……」
「後から違ったって怒ったりしないわよ。なんでも教えて。私たちのことでしょう?」
「そう、ですね……」
乙女は覚悟を決めて顔を上げた。
「オーガスト・グスタフ様は、わたくし達と同じ──『転生者』かもしれませんわ」
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