7話 この歳で恋バナはきつい。


 例の会話のことだと、すぐにピンときた。



 ——エレーナほどではないけど、僕も君のことを大切な友人だと思っているんだよ。困っているなら助けになりたいから、なんでも相談してほしいな。



 『ティアナ』にかけられるべき言葉が、ゾフに向けられたことを、エレーナもティアナもしっかり目撃していたらしい。


「あの言葉を発した時……殿下は既に『ティアナ』に心惹かれていらっしゃいましたよね……?」

「そこは解釈が分かれるところよね。私は、『ティアナ』が泣いた時点で恋に落ちたと思ってるわ!

 『殿下』にとって感情とは押し隠すものだった。悲しみや怒りなど、『王太子』として隙になるものであれば特にそうでしょうね。……ま、まあこの世界では私のせいで涙なんて見慣れてたと思うけど……。

 と、とにかく無防備に涙を流す『ティアナ』は衝撃だと思うのよ。よってあそこは『ティアナ』に一目惚れするシーンでしょうね!」



 はい、その通りでございます。

 全くもってその通り。もうこの子だけでいいんじゃないかな。


 『とおばら』の作者として、一瞬そう納得しかけた。

 いや、だめだ。違う。


「だからといって、わたくしなんかに殿下がひ、一目惚れなんてそんな訳がないでしょう!?」

「わたくしなんかとはなによ!」

「それはごめんなさい、でもエレーナ様はお立場を理解してくださいますでしょうか、許嫁でしょう!」

「それはそれというか本編では『ティアナ』に奪われてるんだから今更じゃない!?」

「エレーナ様ってもしかして殿下と結婚する気が一切ないのでは!?」

「あるわけがないでしょう!?」



 そこで2人同時に我に返った。肩で息をしながら、淑女らしからぬ振る舞いを反省する。


 つい昨日の朝まで、ゾフはただの『エレーナ』の幼馴染だった。

 未来の皇后陛下となるエレーナに寄り添い、敬い、世話を焼いてきた。元現代日本人とはいえこの世界で生きている以上、それが当然だったから。昨日までのゾフにとっては、ルシルの相手はエレーナだったのだ。


 しかし、エレーナは少なくとも7歳の頃からこの世界が『とおばら』の中だと認識して生きてきたのだ。本来の自分の立場を忘れてしまったとしてもそれは仕方のないことである。


 『とおばら』でルシルと結ばれるのは、勿論主人公のティアナだ。



「一応言うけれど、許嫁としての振る舞いを欠かしたことはないわ。一度もね。でも、まあ……そうね、ゾフの言うとおりよ。私は殿下と結婚するとは思ってない。……でも、だから、ルシルのあんな顔は初めて見たわ。あんな……形容しがたいわね、唸りなさいませ私の語彙力」

「わたくしが泣いてしまったときのことですわよね……ちゃんと拝見したかったですわ……。原作には。……『ルシル』が『ゾフ』を気にかけているようなことは、たぶん。なかったですから、驚きましたの。やっぱり、わたくしたちの存在で物語が変化しつつあるのですわね」



 エレーナとティアナに口々に言われて、ゾフは思わず素の声で「やだぁ……」と言いかけた。

 イケメンは遠くから鑑賞するからこそ目映いのである。

 若い男というだけで正直何を話せばいいのか分からないので、こちらに来ないでほしい。何でだ。普通許嫁の取り巻きになど興味を示さないだろう。



「あ、あの本の中では一目惚れだったかもしれませんわね。だけど、ここでもそうとは限らないのではなくて?」

「じゃあ興味を持たれてること自体は認めるってことね!」

「うう……客観的事実です、殿下の気まぐれかと」

「私は勿論ルシゾフも大いにありよ!」

「ええ、わたくしも……」

「もう! もう! 合唱祭の話に戻してくださいませ!」



 なんだこれは。精神年齢37歳にしてこんなこっぱずかしい恋バナに巻き込まれるとは思わなかった。

 ゾフは頬が熱くなるのを感じた。礼拝堂の密会の時以上にこうもじもじして、逃げ出したくなるような羞恥に悶えながらも、なんとか話を逸らそうとする。


 しかし、恋バナという甘い蜜を前に女生徒たちが静かになるわけがない。



「あら、あなたがその話から殿下の話に変えたんじゃない」

「そう、ですよ……!」



 ティアナにまでコクコクと頷かれたのでゾフはぼふんとベッドに座り込んだ。もう好きにしてほしい。

 エレーナはティアナと握りあった手をリズミカルにゆらゆら揺らしている。楽しそうで何よりです。



「ルシル殿下が今意気消沈してること、分かってるでしょ? 西の国との対立、戦争、優秀な従兄やら自分より強いステューへの劣等感! おまけに7人の妖精の話のせいで自信まで喪失気味……。そんな彼の心を癒やすのはだあれ?」

「ゾフ様、ですわねっ」



 乙女達はそれはそれは嬉しそうにきゃーっとはしゃいだ。


(いや、『ティアナ』の役目なんだけどな……人見知りっぽいティアナに任せるのが心配な気持ちはまあある。でもそれ以前に、ほっといてもよくない? ちょっとしょんぼり程度でしょう)



 ゾフさくしゃは考える。


(あー、今のルシルを放っといていたとすると……するとステューはああで、クィルはこうで、もし合唱祭をするならここでこれが来ちゃうから、でもティアナが、今のエレーナ様はこうで、ルシルにもこういう変化が起きている可能性はあって、それで、でも、う~~ん……)



「ひ、引き受けさせていただきますわ……っ」

「「きゃーーーっ」」



 完全敗北であった。



「ただし! わたくしがするのはルシル殿下のお話を聞くまでですわ! 陛下に向けて子守唄なんて絶対に歌いませんわ、わかりまして!?」



 『ティアナ』がルシルの溢した弱音を聞いて、心の慰めにと一番得意な曲である子守唄を披露するシーンがあるのだ。絶対に、と重ねてゾフは断言する。フラグである。



「ゾフ、わたくし貴女に毎晩何をおねだりしていましたっけ?」

「えっ…………ああ!」

「……エリお姉様、光源氏ですの?」

「ですの!」

「う、歌いませんから! 絶対に! わたくしは!」





「またエレーナの我儘に付き合ってもらったみたいで……。まさか今朝言い出してもう実現するなんてね。ごめんね、ゾフ」

「め、滅相もないですわルシル殿下。慣れておりますもの」



 なぜこんなにもちょうどよいタイミングで、ちょうどよくルシルが現れるのか。集めたノートとクラスメイトの目のせいで動けず、ゾフは舌打ちをしかけた。どうせたった今扉から出ていったガーネット色エレーナの仕業だろう。



「それに、クラス対抗なんて確かに親交が深まりそうで素晴らしいなって。わたくしも楽しみにしておりますの」

「そうかな。……ところで、あの……エリは歌うのかな?」



 ルシルの口端が引きつっているのを見て、ゾフは苦笑いした。


 ――エレーナは、音痴である。

 ちょっと擁護できないレベルで、メロディーもリズムも追えない。


 この体質が『原作通り』であるためか、本人は全くそれを恥じていない。どころか、隙あらば歌を披露しようとする。『原作』ではエレーナはこの体質をひた隠しにしていたのだが……。



「口の動きだけにしていただけるように交渉してみようとは思いますの。ただ静まってくださるか……」

「静まる……ふふ、そうだね。静まるかなあ。難しそうだね」

「なんとか努力はいたしますが……指揮者か歌の指導役が必要ですわね」



 すると、がらりと廊下側の窓が開いてエレーナが顔を出した。金色がくるんときらめく。

 あ、これまずいこと考えてる顔だとゾフは察した。



「向こうのクラスの代表はティナに決まったそうですの! こっちの代表はゾフですわ!」



 ああ……聞いてない……。


(普通こういう小説ってヒロインが相手役を振り回すんじゃないの? 何で私がエレーナ様に振り回されてるの?)





 おまけ 限界オタクたちによる禁断の遊び


「ん~~蜜柑太郎!」

「違うわね~」

「じゃ、じゃあ……Raf様?」

「あーーっ惜しい! 相互様よ」

「迂闊でございますわね、エリお姉さま……。今の発言でぐっと絞れましたわ」

「やらかしたわね。聞かなかったことにできない?」

「無理です」


「あのー……お二人とも、何のお話ですの?」

「助けてゾフ! 私の秘密のお庭が危ないのよ!」

「はあ」

「エリお姉さまが、『とおばら』の二次創作をしていたそうなんですの……」

「とおばらの二次界隈は石を投げれば相互に当たるレベルの狭さなのよ! このままじゃ特定されちゃう! いやあ!」

「うふふ、エレゾフを書かれていらっしゃったのですわよね♡」

「ゾフーー! おねがいたすけてー!!」

「ううーん……(読者同士のコミュニティとかあったんだ……)」



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