5話 流行り物の摂取って大事だったんだな……

 音楽準備室だった。


 ここが1番よく眠れると言って、彼はいつもそこにいた。

 少女が渡した原稿を当然というような仕草で受け取った青年は、ぱらぱらと目を通し、やがて顔を覆った。



「うわ、先生。何で泣いてるんですか」

「泣いてない。……この小説に、君がいないんだ」



 少女──ナオミはかけよって『先生』にティッシュを渡した。

 『先生』はちーん! と鼻を噛む。

 ほっておかれた瞳はうるうるしたままだ。



「そりゃいませんよ。これフィクションですもん」

「違う。いたんだ。君がいた。でもいなくなったんだ」



 青年は無垢な幼児のようにしゃくりあげて言った。



「一度出会ったキャラクターがいつの間にかいなくなってしまうのは、すごく寂しいことだ。

 その子が死んでしまうよりずっと悲しい。


 彼は僕の友達だった」




 目が覚めた。机の上に突っ伏していた。


 華美すぎない程度に装飾の彫りが施された机、羽ペン。下を見れば、ネグリジェのリボン。


 ……『ナオミ』の意識が、ゆっくりとゾフのものに切り替わっていく。


 ここは、寮の自室だ。


 この学院は全寮制で、1人にひとつ自室があてがわれる。おそらくは、自分で身支度などをできるようにさせるためだろう。


 外はすっかり暗くなっている。入学式とピクニックの後に自室に来て、書き物をしてから学食で夕飯を食べた。

 その後帰ってきてから、ついうたた寝してしまったらしい。


(わたしの名前、ナオミだったな。そういえば)


 手元を見ると、大きめの紙にそれぞれの相関図や起こるイベントが書き殴られていた。

 この世界の中に来る前のことを思い出そうとしたのは久しぶりだ。


 だからあんな夢を見たのだろうか。


(『先生』は元気にしてるかなあ)



 彼は、『アオヤギナオミ』と同い年の青年だった。


 しかし、ナオミは青年のことを先生と呼び、彼はそれを受け入れた。


 彼はいつも不登校気味で、いつもとんでもない教室で寝ていた。


 ナオミの小説を初めて読んだのは彼だった。


(あの人、卒業出来たのかな? 先生、頭は良かったけど単位だけは頭じゃどうにもならないからなあ……留年が決まってもへらへら笑ってたっけ)


 こうして考えると、あの青年にまた会いたいという気持ちが湧いて来た。


(やっぱり、現実に帰らなきゃな。でも、帰る方法はどうやって探せばいいんだろう……そもそも本来のゾフは今どこにいるわけ??)



 ううん、と唸っているとドアがノックされた。

 ゾフは慌てて広げた紙を畳む。

 何せ、自分が知るはずない情報がずらずらと並び立てられているのだ。誰にも見せるわけにはいかない。



「在室しております。どなた様でしょうか」

「ゾフ! 私よ」



 元気いっぱいのエレーナの声に、ゾフは苦笑混じりにドアを開けた。

 今は20時。

 エレーナの来訪が時を選んだことなど、1度もない。


 ちなみにゾフがよしとして招き入れてしまうからエレーナも安心しきってゾフを訪ねてしまうのだが、そこには気づかないのがゾフだった。



 見慣れた紫のネグリジェに白のカーデ。何やら小脇に抱えているのは丸めた紙だろうか。

 その後ろに、藍色のナイトガウンを着た少女がいた。



「あら、ティアナ様まで。どうされたんですの?」



 ティアナの目元に泣き腫らした跡ができていないことを確認しながらゾフが聞くと、ティアナは恥ずかしげに俯いた。


(まだ人見知りされてるのかなあ……。当然だよね、私たち昨日出会ったばかりだし。

 なんならさっき泣いてるの抱っこしてあやしちゃったし、気まずいはずだわ。

 でも、エレーナ様には懐いてるみたい。いつもながらすごいな)


 エレーナは人の心を開くのが本当にうまいのだ。彼女の周りにはいつも笑顔が咲いている。


 そういえば、『ナオミ』の最後の記憶は22歳だが、2人は現代日本では何歳だったのだろうか。

 もしかしたら自分よりも年下かもしれない。

 そう思うと、引っ付いて自分の部屋にてこてこと入ってくる2人のことが一層可愛らしく思えた。


 部屋の真ん中にはエレーナ用にゾフが用意したクッションがある。それにぽすんと腰掛けたエレーナは腰に手を当てて、くっと顎を引いた。


「決まってるじゃない! 作戦会議をするのよ!」





 会はゾフの自己紹介から始まった。


 昨日から今日まで、ずっとティアナと話す機会がなかったからだ。


 ちなみに、昨日はエレーナが「ご機嫌よう、ティアナさうっっっっわ顔がいい原作通り…………」と呟いたきりまともな会話にならなかった。


 ゾフが名乗る間、一対のサファイアはキラキラとした視線を返し続け、そしてそっと、だが貴族の娘らしくお辞儀をした。



「よろしくお願い致します、ゾフ様……。お会いできて、またお部屋にお招きいただいて、感謝いたしますわ……。

 ご存知かと思いますが、わたくしは……ティアナ・クオールディアと申します。

 ……ええと、前の名前も名乗った方が良いのでしょうか?」

「そんなことしなくていいわよ、ティナ。

 貴女は今や、完璧な息女じゃない。

 ここまで15年間歩いてきた道も、立派な私たちの『人生』だわ。

 そうじゃないと私、しわしわになっちゃう」



 ティアナの声は不思議だ。

 キラキラとしていて、鈴飾りが触れ合うよう。自然と心が落ち着き、聴き入ってしまうのだ。

 その声がほぅ、とため息を吐いた。



「……エリお姉様が、そう仰るなら」



 どうやら、ゾフが適当に言わせた「おねだり」をティアナは気に入ったらしく、にこ、と微笑んだ。そして、ガウンから出た白い脚をもじつかせる。何やら言いたいことがあるらしい。



「あの……ゾフ様。えっと……」

「はい、なんでしょうか?」



 銀髪の乙女は少し迷っていたが、ゾフがなんでも聞こうという心持ちで待っていると、やがて唇を解いた。



「うん。えっと……ゾフ様も、『とおばら』の読者……だったのですよね?」

「はい。よく読み込んでいましたわ」



 間髪入れずに頷く。


 よく読み込むどころか作者なのでこれは真っ赤な大嘘になるが、仕方ない。


 ティアナはその返事を聞くと、ためらいがちに口を開いた。



「……その、わたくしのことをどう思われますか?」

「……どう、とは?」

「その……! わたくしは……お話しするのが苦手で……すぐ、どもって……しまって……。『ティアナ』らしくないと、ずっと……でも……だから……」



 ゾフはすぐにピンときた。

 彼女は吃音症だ。



 確かに、原作の『ティアナ』にそんな特徴はない。

 だから、目の前の少女は、ずっと治そうとしてきたのだろうか。

 「原作通り」になるために。


 きっと、ティアナは『ティアナ』になる前からそうだったのだろう。

 ひとりぼっちで足掻けば足掻くほど、つらいだろうに。


 ティアナの痛々しいほどの苦しみが、ゾフの胸に迫った。



 ゾフはそっと声を出す。重いような軽いような、そっとブランケットをかけるような声で。



「『ティアナ』らしくある必要など、ないと思いますわ。ティアナ様。貴女は貴女らしくいればいい。責められたいんですね。誰かに、お前などティアナでない、と言われたがっている。

 でも、そんなの当たり前じゃないですか。

 私がゾフらしくないのも、エレーナ様がエレーナらしくないのも、ごく当たり前のことですわ。

 貴女には貴女らしくいてほしい。誰かを演じる必要なんてありませんわ。だから、貴女自身を責めないでくださいませ」



 ゾフが話し終わると、何故かエレーナがハンカチを目に当てて鼻を啜っていた。


「ゾフとうとい……わたしはわたしらしく生きます……」

「エレーナ様? ですからわたくしはゾフそのものではなくて」

「目の前のゾフが尊いんですの……発作なのでしばしお待ちくださいませ……」

「発作ですのね……」



 ティアナが追加のハンカチを渡してくれたので、ついでに「これがわたくしの見解ですが、いかがでしょうか」と聞いてみると、儚げに笑った。



「……少し、楽になった気がいたしますわ。ありがとうございます、ゾフ様」



(あ、これ心からは納得してないやつだわ。根が深い感じがする。かける言葉間違えたかな)


 ふと、思いついて、ゾフはエレーナとティアナに聞いてみることにした。



「お二人とも『ゾフ』がお好きなら、本物の『ゾフ』に会いたいとはお思いになりませんの?」



 ティアナとエレーナは顔を見合わせた。そして首を捻る。


「本物のゾフとは……?」

「わたくしたちはそのうち、この物語の中を出ますでしょう? 

 まあその方法などを今から考えなければいけないわけですが……その前に『ゾフ』に会いたいとは思いませんの?」

「いえ、帰れないと思うわよ?」



 あっけらかんとエレーナは言った。



「だってこれって、異世界転生成り替わりモノよね。まあ、お約束として帰れないわよ。

 帰ったとしても、私の体が生きてないんじゃないかしら」

「……私も、その前提でいます……。

 だから、『ティアナ』の分……ティアナらしくいなきゃって……」



 2人がつらつらつら〜と述べる内容にゾフは驚愕する。


(こんな状況のお約束とかあるんだ!? 流行ってたのこういうの!?)


 自分がおそらく死んでいるだろうという予想を淡々と言ってしまえるエレーナも恐ろしい。彼女にとっては、至極当然のことなのだろう。


 ゾフが……いや、ナオミが今まで読んできた本は、いわゆる純文学と呼ばれるものばかりだった。

 そのため、ライトノベルの流行は一切追っていなかった。


 異世界転移、成り上がり、転生トラック、成り替わり、悪役令嬢、全て彼女の知らない言葉だ。


 目標をいきなりぽっきり折られ、ゾフの視界は暗くなる。

 ええいと力を込めて顔を上げられたのは、自分は22歳! 多分この子達より年上! というプライドからに他ならない。



「こ、この物語でどうかはわかりませんわ。

 第一、ここは異世界じゃなくて異次元ですし! 

 物語の中なのですから。

 死んだと決まったわけでもありません! 『とおばら』の世界にそういう魔法があるかもしれませんわ。

 ハッピーエンドを目指すなら、今の私たちの身体の本当の持ち主を親御さんに返してあげることも重要だと思いますの! わ、わたくしだけでも、この世界を脱出する方法を探してみますわ……!」



 こんなに思いやりを持った子達が10代で死亡なんて可哀想すぎる。

 今や、『元の世界に帰る方法を探すこと』はゾフのためだけの目標ではなくなった。


(私は、大人としてこの子達を帰してあげなければ!)


 なお、「22歳なんて10代も同然のひよこちゃんだぞ」と突っ込んでくれる親切な大人はここにはいない。



「確かに……『エレーナ』がどこに行ってしまったのかは私も気になるわ。じゃあそれも並行して探すとして」



 エレーナはばさりと持っていた紙を広げた。



「第一関門、ティアナの1人コンサートを阻止するわよ!」



 それは、先程ゾフが書いていたものと同じだった。


 各々が持つ問題点やコンプレックス、イベントが事細かに書かれていたのだ。


(エレーナは本当に私の作品を愛してくれてるんだな……。私だけじゃ思い出せなかったことまで書いてある)


 むず痒い気持ちで紙にある言葉を読む。

 ──ゾフは、音階の外れた声を上げた。


「『ルシルはゾフにお任せ』って何ですの!?」

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