4話 王子がバグった!!!

 男連中には、ティアナが泣いていた理由を「ずっと独りで気が張り詰めていたので、人に囲まれて安心した」と説明した。原作通りのものである。


 ついでに庶民の苦しい暮らしや、伯爵家での扱いをぽろぽろ自白してしまったものだから、エレーナの眉が吊り上がること渓谷のごとし。



「僕が勉強したくて3時まで起きてた日より怖かった」



 とは後のルシル談である。



「自ら養子として引き取っておいて、小間使いのような扱いをするとはどういう了見ですの?」


「殿下がお許しになっても、この公! 爵! 家! のわたくしが許しませんから!」


「小間使い相手なら給金を渡すべきですわ、そうお思いでないこと? ただでさえティアナ様には礼節のレッスンに読み書きの訓練、歴史の勉強などやることが山積みでしたのに、その上!」


「おのれクオールディア伯爵家……今度の諸侯会議ではお覚悟なさいませ……!」



 最終的に烈火の如く怒ったエレーナを宥めたのは、ティアナの「わたくし、エレーナ様ともっと仲良くなりたくなっちゃいました……。エレーナ様のことエリお姉さまってお呼びしたいなあ……? もっとちかしくお話しさせていただきたいんですの……」という躊躇いがちのおねだりだった。


 提案したのはゾフである。

 エレーナは人に頼られたり、甘えられるのにめっぽう弱いのだ。

 ゾフ自身、この手で何度もエレーナを操作してきた。


 もしかしたら、この世界に来る前から人に頼られるのが好きだったのかもしれない。


 『エレーナ』であれば、こんなことを言われようものなら「あら、羽虫に集られて喜ぶ華ではなくてよ」とでも言ってティアナを蔑んだだろう。


 しかし、今のエレーナは違う。


「あらあらあらあらそうですの? 嬉しいですわ、あの、わたくしもティアナ様のことをあだ名でお呼びしても、いえ、呼んでもいいかしら? ふふ」


 あっという間に相好を崩し、エレーナはよしよし! とティアナの頭を撫でる。

 ティアナはうつむきがちにそれを受け入れた。どうやら撫でられ慣れていないらしい。



 ルシルとステュー、クィルも一緒に呼び戻して、改めてランチボックスを囲む。



 そんな中、ゾフはティアナがクィルにちらちらと送る視線に気づいた。


(ああ……そういえばティアナ様はクィルが好きなんだっけ)


 ゾフは「ステュー様、クィル様。そちらでは眩しいでしょうから、こちらにいらっしゃいませ。もう少し小さな輪で食べましょう」と声をかける。

 確かに、とうなずいて移動する2人。

 ティアナがいる左隣からヒャウア……という音に近い悲鳴が上がった。


 まあ、流石にルシルほどではないが、ステューとクィルも美しい造形をしている。


 ステューはサラリと乾いたシルクのような髪質で、柔らかい灰色。たおやかな瞳は夜明けの空のような薄っすらとした浅黄色だ。切れ長の瞳に薄い唇が、彼自身の持つどこまでも柔和な印象に鋭さを感じさせている。


 クィルの髪は無造作ながら品のあるまとめ髪で、片目だけ覗く瞳は金粉をまぶしたような黄色。とろりと垂れている目尻に、きりりと上がった眉、大きな口が野性的だ。



 2人は間違いなく一級品に美形だ。しかし、そんな2人を従えるルシルはやはり、格が違うのだ。

 ルシルは、『神の落とし物』と人々に呼ばれている。


 金の髪はさらさらと動くたび違う光を纏い、淡く発光しているかのようだ。

 慣習から細く結わえた一束がミステリアスな印象を与える。

 ひとつ結びに使わない箇所は短く刈り上げられている。そのせいかルシルには少年めいた清廉な雰囲気がある。


 しかし、琥珀を宿した猫目はまるで魔性。縁取るまつげがひかりを受けて万華鏡のように煌めく……。


 やはり主人公の相手にしただけあって、ルシルは特別美しく見える。

 ゾフは思わずため息を零した。


 そう、今はエレーナが隣りにいるが、ティアナをルシルの横に並べると金銀で大変おめでたいのだ。


 ちなみに、琥珀色のルシルの瞳に対して、ティアナの瞳は氷のような水色だ。

 ここにも、ヒロインと相手役を徹底して対立構造にするゾフの拘りが関わっている──。



「ゾフ? 聞こえてるかな?」

「あ! は、はい、失礼致しました。ルシル殿下」



 気がつけば、それとなく見つめていた相手に見つめ返されていた。

 ゾフは背中をピンと伸ばす。

 ぼーっと思索にふけってしまったのが、少し恥ずかしい。


 ゾフはエレーナの取り巻きだから、ルシルのことを見慣れてはいる。何なら原稿上で何度も呼び捨ててこき下ろした相手だ。


 とはいえ、本来なら甚だしい身分違い。

 こうも近くに寄って話す機会などないし、緊張するのは当然のことだった。



「大丈夫だよ。それより、ゾフ。さっきはありがとう」

「さっき? 何かいたしましたでしょうか」

「クオールディア嬢が泣き始めた時、真っ先に駆け寄ってくれたね。僕じゃ、ああは出来なかったから。ありがとう」



ゾフは面食らい、そして俯いた。



「いえ、そんな。滅相もございません。身体が勝手に動いたと申しますか、ただ……わたくしのためでございます」

「そっか。でも、ありがとう。そういえば、いつもそばにいたのにゾフとはあんまり話したことがなかったね。高等部では改めてよろしくね」



 王子スマイルがゾフに直撃し、ゾフは慌てて顔を伏せる。

 攻撃力が高い。


(やっぱり、ルシルの性格も変わってる。ルシルはエレーナが苦手だったから、ゾフにも近づこうとはしなかった。

 『エレーナ』が今のエレーナになったのは……6歳くらい? 

 その頃から確か、「お嬢様がやっと未来の皇后陛下としての自覚を持ち始めた!」とメイドたちが喜んでいたはず。

 今のエレーナと10年接したんだから、ルシルやステューの性格も変わってて当然だ。……ルシルのコンプレックスも、解消されているのかもしれない)



 他にもエレーナが原作通りにならなかったことで起こりそうなズレが2、3個ほどぽぽんと思い浮かぶ。



 ゾフはまた考え込んだ。


 決めたのだ。エレーナとティアナに協力すると。

 あの可愛らしくて一所懸命にキャラクターを愛してくれる読者に報いると。


 そのためには、今後起こる全てのイベントを洗い出し、そのうちいくつがこの世界で起こるのか、新しく起こりそうなイベントは何なのかを考えなくてはいけない。


(もっと深く思い出し、そして考えなくてはいけない。この世界をハッピーエンドにするなんてことが出来るのは、作者わたしだけなのだから。そうしないと……)


 ステューにからかわれて拳を振り上げるエレーナ。

 鈴のような声を転がして笑うティアナ。



(2人は、この国の闇に利用されて死んでしまう)



「ゾフ。何か悩み事?」

「えっ」

「エレーナほどではないけど、僕も君のことを大切な友人だと思っているんだよ。困っているなら助けになりたいから、なんでも相談してほしいな」



(こ、これは……2章開始後すぐルシルがティアナにかける台詞! 

 ゾフに向けたものとして少し変わっているけれど……何が起こっているの!?)



 ゾフはルシルに曖昧な笑みを浮かべて会釈した。

 なぜ? 

 なぜルシルがゾフにこの台詞を向けている?



 ルシルのキャラクター造形を思い出す。


 長い王宮暮らしで腹の探り合いに疲れていた。

 戦いが苦手。

 出来れば対話で解決したい。


 物語開始時点である今は──疲れ果てて、誰かに癒やされたいと願っている。


 ルシルの心が癒えるとき、それはルシルが『誰かの役に立った』と実感した時である。

 そして、ゾフは不用意にも懊悩する姿をルシルの前で晒してしまった。


(ティアナじゃなくて、私の方にルシルからフラグが立ってる──!?)


 ルシルの恋の行方はさておき、この時点で、ゾフには2つのミッションができた。


・これから起こりうる事件を洗い出す。

・この世界から抜け出すための方法を見つけ出す。


 エレーナ、ティアナ、そしてゾフが今までこの世界に与えてきた影響は計り知れない。


 しかし、原稿の上にないことまで知っているのはゾフだけなのである。

 どれだけ『検討すべき可能性』が増えても、その全てを網羅しなければならない。どこにハッピーエンドが落ちているのかは、まだ見つかっていないのだから。


(気の遠くなりそうな話。けど、やるしかないんだ。そして、2人の夢を壊さず、2人が望むハッピーエンドに誘導して、作者の前で萌え語りをしていた事実は知らせないまま、この世界を退場するんだ──!)


 ルシルに適当な言い訳をつらつら述べながら、乙女は固く誓うのであった。

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