3話 悪役令嬢モノが産んだ歪みの煮こごり

 エレーナの言った通りに、その日の昼食はティアナを迎えたピクニックとなった。


 しかし、中庭に集まったのは3人ではない。


 王太子たるルシル、ルシルのお目付け役のステュー、公爵家の長男クィルもまた、ピクニックに参加していた。


 光を梳いたような金の髪を揺らすのは、王太子ルシル。


 お弁当を広げながら柔和な笑みを浮かべるステューの髪は灰色。


 クィルの左目を覆い隠すようなアシンメトリーの髪は、見事な濡羽色だ。


 

 そこに夕日の一番強い所で染め上げたようなガーネットの髪を揺らすエレーナと、白金を鋳溶かしたようなストレートヘアのティアナまでいるものだから、中庭の端が随分とおめでたいことになっていた。



 もしも自分が生徒だったとしたら、こんな光景思わず拝んでしまうだろうな、と思いながらゾフは皿を並べる。

 髪の輝きが目に悪いから、下を向いていたほうが楽なのだ。

 こんなふうに彼らを修飾した過去の自分が憎い。


(結局、原作通りになった)


 思い出すのは昨晩のこと。

 男子禁制でピクニックをするのだと息巻いていたエレーナの姿だ。


 この6人でピクニックをするのは、原作通りの流れだ。


(変わらなかった。でも……)


 懸念はある。ゾフは先程の出来事に思いを巡らせた。



 この学院はエスカレーター式だ。


 中高とほとんど同じ顔ぶれであるため、式は簡素なものだった。

 講堂を出た後、衆目を浴びながら颯爽と歩くルシル。エレーナは当然、婚約者としてその隣を歩き、お目付け役のステューとゾフが後ろから付き従っていた。

 いつもの形である。


 そこでふと、ルシルがエレーナに話しかけた。



「そういえば、今年は外部生がいるんだってね。庶民からクオールディア伯爵家の養子になったとか……」



 こんな場面は原作にない。


 何故なら、原作はティアナの一人称で物語が進行するからである。


 しかし、この学院の全てをいずれ手に入れることとなる王太子ルシルは、当然その情報を知っている。

 誰にもルシルとの仲を引き裂かれたくないエレーナとて、そうだ。


 ゾフは、原稿に書かずに考えていた場面がこれほどまでにそのまま、目の前で繰り広げられていることに内心空恐ろしさを感じた。

 一歩後ろの幼馴染がそんな状態とはつゆ知らず、ふふん! とエレーナは胸を張る。



「あら、殿下に先んじてしまいましたわね。わたくし、つい昨日ティアナ様にお会いしましてよ?」

「おや。エリに入学前に会ってしまうなんて……クオールディア嬢は萎縮してないかな」

「ええ!? どういう意味ですの殿下!」

「そのままの意味だよ。エリ」



 エレーナのことをあだ名で呼んで親しげにからかうルシルは、ゾフが作り出した『ルシル』の姿とは大きく違った。


 『ルシル』は、気が弱い。


 どんな人の言葉も真摯に受け止めてしまうため、些細なことで気に病みやすかった。

 それ故、声が大きい上に理不尽ばかり言う『エレーナ』のことは苦手にしていたはずなのだ。


 しかし、記憶にあるエレーナとルシルは、極めて良好な関係性を築いていた。

 ゾフは、笑い合う2人の姿を何度も見てきている。



「クオールディア嬢が、エリみたいにおっかないくらい強引な子を受け入れてくれるといいんだけど」



 そこにいるのは、もうゾフが作り出した『ルシル』ではない。


 穏やかな笑顔のまま少しいたずらっぽく嘆く青年には、婚約者に対する萎縮の影などなかった。

 往来で野次馬している生徒にも、今の2人は極めて良好な婚約者同士に見えているだろう。



 ゾフは愕然とした。

 エレーナとティアナだけではないのだ。



(ここは確かに私の創った世界なのに、確かに15年ここで生きてきたのに……みんな知らない人みたい)



 それはゾフが15年間この世界で生きてきて、初めて感じる疎外感だった。





 気がつけば、ゾフが回想している間にめいめい食事を始めていた。

 ゾフも手に持ったパニーニを食べている。

 何か思いながらも手を動かせてしまうのは前世からの悪癖だ。


 興奮気味のエレーナにつんつんと裾を引っ張られてそちらを見ると、ルシルがティアナに挨拶するところだった。

 ティアナは可哀想なほど緊張しきっている。

 何せ、ティアナにとってはこれがルシルとの初邂逅になるわけなので。


(今まで庶民として生きてきたんだもの。王子様ってなったら、相手が自分の知ってる本の中のキャラクターだって分かってても緊張するよね)


 一方、ルシルは落ち着いた様子でティアナの前で膝を折った。


 しかし、少なくない回数公務外のルシルを見てきたゾフには、ルシルもまた緊張していることが伝わってきた。長年見てきたから、というだけの理由ではない。

 ルシルは既に、この少女こそが伝説上の『銀乙女』だと知っているのだ。

 そんなメタ的理由からも、ルシルの心境がいつも通りでないのは明白だった。


 それでも柔和な笑みを浮かべられるのは、さすが未来の国王というべきか。



「初めまして、クオールディア嬢。僕はルシル。ええと……僕のことは、分かるかな?」

「は、はい……勿論です、王太子殿下。本日は素敵な会に同席させていただき」

「ああ、やめてよそんなの。僕たち、同級生じゃないか。僕は……まだこの高等部では何の力も持たない、ただの一生徒だから。けど……君がこの学院に来てくれて、とても嬉しく思うよ。もしなにか困れば、すぐに相談してほしい。ただの一生徒として、必ず君を守ろう」



(あ、この台詞は原作通りだ)



 すると、ティアナの瞳から透明な雫がこぼれた。



 宝石のような雫は1粒、2粒、絹のような頬を伝ってドレスに落ちる。



 これは――『ルシル』が『ティアナ』に恋に落ちるシーンだ。



 しかし、『ティアナ』の中身は今、ティアナではない。別の少女だ。

 なのに、どうして原作と全く同じことが起こっているのか。


 まさか、こういった転生ものでよくある、『修正力』というものなのだろうか。原作の力がティアナが泣くよう無理やり働いているとでもいうのか。


 ゾフは焦り、駆け寄った。



「ティアナ様! どうなさったんですか!?」

「いえ……ごめんなさい……ごめんなさい、ティアナが……」



(おっとこれはルシルに聞かれたらあかんやつ)


 

 ティアナの膝に触れ肩を抱き寄せたゾフは、ティアナがこれ以上メタ的台詞を発する前にとエレーナに目で合図する。

 エレーナは素早く「乙女が泣いている時にぼーっとしてるんじゃありません! ティアナ様はわたくしたちがご介抱いたしますから、あちらで蝶々でもご覧になっていらっしゃいませ!」と男どもを追い払った。


 後に残されたのは、転生してきた乙女3人。

 ゾフが「もう大丈夫ですわよ」と抱きしめたティアナを優しく撫でると、彼女の涙腺が決壊した。


「いきなり家族から遠ざけられて……知らない人の養子になって、そこでも疎まれて……辛かった……式でもずっと髪の毛をジロジロ見られて、怖かった。……な、何が起こるか分かっていても! わたくしでさえこうなのに、原作のティアナは……今の殿下のお言葉にどれほど励まされたことか……」

「お待ちになって? そこですの?」

「ティ……ティアナ……悪役令嬢モノが産みだせし歪みの煮こごりなんて呼んでごめんなさい~~~~!!」

「ティアナ様……! いえ、ティアナ! 貴女だって『ティアナ』と同じ一人の人間なんです……! 辛ければ泣きましょう? 一緒に、うう、ふえぇ、ゾフ~~~~~~~!」



 作者は遠い目になった。

 3重くらいの意味で。


 10mほど向こうで、ルシルとステューとクィルがボールを蹴って遊んでいる。

 ステューがこちらを振り向いて、「まだですか?」という顔をしたので、ゾフは黙って首を横に振った。



 愛おしいと思う。

 エレーナとティアナ、この2人が。



 自分の作品を愛してくれるだけで作者としては神様のようなものだ。

 その上、我が子同然のキャラクターに、こんなに深い愛情を向けてくれている。



(2人が喜んでくれるのならば。――私は、作者としてできる限り彼女たちに協力するべきなのかもしれない)



 ゾフはティアナとエレーナ、両方の肩を抱いてさすっては、静かに考えていた。

 その憂いを帯びた表情を、ルシルがじっと見つめていることも知らずに。

 

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