夜の散歩

藍染 迅@「🍚🥢飯屋」コミカライズ進行中

深夜の散歩で起きた出来事

「どうにも筆が進まないな」


 わたしはペンを放り出して、ジャンパーを羽織った。


 売れない物書きのわたしは、夜仕事をすることにしている。

 明るい内は寝て過ごし、世間が寝静まってから机に向かう。


 人が寝静まった頃にカリカリとペンが走る音を聞くのが心地よい。夜行性動物のようだと、自分のことがおかしくなった。


 それでもペンが進まない夜は無理に書こうとせず、深夜の街を散歩することにしていた。

 しんと静まった夜の空気が、肌に染み込んで気持ち良いからであった。


 さすがに夜2時ともなると、車も人もいない。この辺りは東京のような都会とは違う。

 目を上げれば山が見える田舎の町には、歩みを妨げるものがなかった。


 何となく公園に向かおうと角を曲がると、見事な枝角を頭に載せた牡鹿が立っていた。


(はっ! 腹を突かれたら死ぬかもしれない)


 町中で見る牡鹿は見上げるように大きく、その角で突き上げられたらわたしの頼りない腹筋は容易く引き裂かれるだろう。


 足を止めたわたしは牡鹿から目をそらさぬまま、そっと後ずさろうとした。


「恐れなくとも、襲いませんよ」


 牡鹿がそう言った。不思議なことに、牡鹿が喋ったということがはっきりとわかった。


「散歩でしょう? しばらく一緒に歩きませんか?」


 牡鹿はそう言ってわたしを誘った。

 わたしはそうするのが当然のように思えて、牡鹿の隣に並んだ。


 夜のしじまにカツカツという牡鹿の足音だけが響いていた。


「ここにはブナの森がありましたね。小さな池があって夏になると蛙や虫たちが夜通し鳴いていたものです」


 今はコンビニに変わっていた。


「どうでしたか、人の暮らしは?」


 問われてわたしは思いだした。


「何だか、うるさくて疲れました」


 わたしは夜の色の翼を広げて羽ばたいた。すぐに町は光を散りばめた敷き物に変わる。

 フクロウに戻ったわたしは夜風を受けて空を遊ぶ。


「ああ、やっぱり夜の散歩は気持ちが良い」

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