夜を征くもののはなし。

眞壁 暁大

第1話

    *   *

 維新のあと、全国的に再編された警察機構において警察官は当初、十手から発達した警棒のみを装備していた。

 廃刀令が発布されて軍人などごく限られた例外を除いて刀剣を佩いて往来を行くことが許されなくなったために、その程度でも良いと判断されたのである。

 しかしながら世の中がすべて決まった法律に従うのであれば苦労はない。刀剣類を隠匿して所有したままの者も多く、それらの中から狼藉者になって刀を振り回すものも現れると長十手のような警棒では歯が立たなくなる。

 そうした次第で維新後10年もすれば警察官はサーベルを携行するようになり、それでもって犯罪者を制圧することとなった。

 サーベルの携行は長く続いたものの、ある事件をきっかけにより、警察官にもより強力な武装が求められるようになった。

 これは、警察官のピストル装備が広がるきっかけとなった事件の話である。 

    *   *



 月も沈んだ深夜のことである。

 水面を照らすアセチレン・ランプのまばゆい光の中で、拳よりも大きなカニが揺れていた。

 週番勤務が明けて休暇を得た兵曹長は、前々から出入りの業者に聞いていたこの川で、モクズガニ漁に没頭している。

 同道しているのは上等兵で軍歴を上がった予備役の友人で、今は探偵業を営んでいる男だった。

 兵曹長は片手でアセチレン・ランプを掲げ、もう片方の手を水中に突っ込んでモクズガニの背を軽く叩く。

 寝入っているところを起こされたカニが、ハサミを振り上げ動き出した先に待ち構えていた探偵のタモが巧みにコレを捉えた。

 すでに魚篭の中には10枚は下らない大きなモクズガニがしまわれている。

 二人はニヤリと笑みを交わしあった。


 噂はほんとうだったようで、この川ではろくにカニ漁をするものは居ないらしい。出入りの業者も穴場としてここを教えはしたものの「止めておいたほうがいい」と言っていた。

 しかし兵曹長も探偵もそれを一笑に付して散歩がてら繰り出した結果、ただ二人で大量のカニを手に入れることができた。笑いが抑えられないのも仕方ない。


「誰か!

 そこにおるのは誰か!」


 そうして二人が魚籠の重みになおニヤついているところに、急な誰何がとぶ。

 びっくりした二人が声のする方を振り仰ぐ。うすらぼんやりと明るい提灯に照らされていたのはサーベルを提げた警官だった。

 二人はのそのそと岸に上がり、誰何に応えた。

 兵曹長は駐屯地の外出許可証と兵籍証明書、探偵の方は自治体の探偵業許可証をしめす。警官は兵曹長のアセチレン・ランプを借りてその書類を確かめた上でうなずく。


「たしかに不審ではないとわかりもした」

 じゃっど、なっせここにおっとか と警官は国の言葉で続ける。意味を捉えかねた二人の反応の鈍さに標準語に変えて同じことをまた尋ねる。

「しかし、なぜここに居るのです」

 ここにはクマが出るというのを聞きませんでしたか、と。


 兵曹長と探偵はそれを聞いて大笑いした。

 こんなところにクマが棲んでいるはずがない、と言った。

 アンタは南の方の人だから知らんかもしれんが、クマが棲んでいるのはもっと北の方で、ここらあたりでは徳川の御代から数えても見かけたものもおらんぞ。どうせ何かの見間違いじゃ。


「それでも見かけたちゅうものは居ます―――」

 不服そうに警官がそういいかけた時に、対岸の藪をかき分ける音がした。

 三人は飛び上がってその音の方を見やる。兵曹長は警官からひったくったアセチレン・ランプを向ける。そのとなりで警官は自分の提灯を慌ててかざす。探偵はへっぴり腰で二人の明かりのしめす先を目を凝らして見つめた。


 ヒトの丈をゆうに超える獣が仁王立ちになっているのが見えて、三人は声にならぬ悲鳴をあげた。


 獣は腰を落とし、川をパタパタと飛沫を上げて渡ってくる。

 魚篭を投げ出した兵曹長は脇差を、タモを投げだした探偵は小さなリボルバー拳銃を取り上げて駆け出した。警官もそれに遅れてサーベルをジャラジャラ鳴らしながら追いかける。


「ありゃあクマじゃあ!

 なんであんなのが居るんじゃ!!」

「おいが知るわけがなこぅ!

 わっぜかでかかな! あいどうすっとか」

「「おい待て! あんま先に走んな!!!」」


 駆けながら警官と探偵は叫び合い、その二人をおいて先に駆ける兵曹長を同時に呼びすがる。

 少しだけ駆ける速度を緩めた兵曹長に二人が追いつき、息をつきながらへろへろと喋る。

「おいどうすっとか、どうすっとか」

「分かるように喋れ。どうする?」

「逃げ切れんかなぁ」

「無理じゃないか、というかあいつは追いかけてきてるのか?」


「なんばすっかぁ!!!!!」

 唐突に警官が悲鳴をあげた。

 前ばかり照らしてすぐ近くまで寄っていたクマに気づかなかった三人だったが、一番最初にそれに気づいた警官にクマは殴りかかったのである。

 鋭い爪先で肩をしこたま殴られて、肉をえぐられると同時に警官は提灯を落とす。

 兵曹長のアセチレン・ランプだけが頼りの明かりとなった。


 警官の悲鳴が響く中、探偵は拳銃を構えた。兵曹長は脇差を抜いた。

 泣き喚く警官をなだめすかしながら、二人は彼を匿うようにして背中合わせで闇を警戒する。

 

「見たか」

「そこまででかくなかったな。北海道の半分くらいか」

「けどはじめて見た。居るんだな」

「居るんだな、ほんとに。で、どうする」


 探偵は油断なく闇の奥に目を凝らしつつ警官を介抱して止血する。

 青ざめては居るが、警官はようやく落ち着きを取り戻したようだった。

「おいどうすっとか」

「おいていかんでくれぇ」

 うわ言のように繰り返す警官のサーベルを取り上げると、兵曹長はアセチレン・ランプを地面におろし、自分の脇差と警官のサーベルを両手に構えた。


「置いていったりせんから、安心せえ」


 兵曹長はニヤリと笑った。

 探偵も警官を安心させるために笑いかけたが、引きつり気味の笑みになる。

 安心を与えるには程遠い笑みだった。



 けっきょく、その晩の遅くにクマは兵曹長によって仕留められた。

 サーベルで何度も殴りかかるクマを振り払い、脇差で懐に突っ込んでは切りかかった。

 しかし、クマの剛毛には細身の脇差ではまるきり刃が立たない。

 サーベルも同様に、熊の爪と鍔迫り合いを繰り返すうちに折れ曲がり、最後には根本からポッキリ折れてしまった。

 覚悟を決めた兵曹長が残った脇差で振り下ろされる熊の爪を受け止める隙に、今までずっと機会を伺っていた探偵が脇腹めがけて拳銃を連射する。

 豆鉄砲でもまとめて喰らえば流石にクマも悶絶してのたうち回る。めちゃくちゃに振り回す手足の爪に切り刻まれながら、折れかけた脇差をクマの脇腹に突き立てて兵曹長は止めを刺した。



 三人は夜明けとともに救出された。

 派出所が巡回から戻らない警官を心配し、早朝から捜索していたのが幸いした。

 そうして一命はとりとめた三人だったが、警官は職務への復帰が不可能となって退職し、兵曹長も爪でえぐられた傷がひどく除隊となった。

 探偵は一人復帰することができたものの、それでも半年は静養が必要だった。


 この時の反省から、警官はピストルを携行するようになった。

 警官が退治しなければならないのは、悪党だけではないことを今更のように思い知った結果であった。


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