ハーフムーンを探してー深夜の散歩で起きた出来事ー

MACK

* * *


 深夜に女が一人、散歩という名目でうろつくのは治安の良い日本であっても良い事ではないと思うけれど、人通りも車の走行も無くなった静かな時間は、まるで世界最後の一人になったような孤独感と安心感をくれる。そしてひんやりとした独特の空気が頬に触れる事は、失恋で傷つき

炎症を起こした心にとても効く。


 すっぴん顔に洗いざらしの髪、ラフでダサいトレーナーとジャージを纏い。コンタクトは外して自宅用の眼鏡姿。出社する時のフルメイクとセットした巻き髪、ピシっとしたスーツ姿との乖離は激しいけれど、完全な素の状態をさらけ出せる自由さは、微かに残った恋心を手放すのにも丁度いい。


 半年前もこうやって、七年間付き合っていた恋人からお約束のように「好きな子が出来た」と別れを切り出され、縋りつきたくなる惨めな自分を忘れるために深夜の散歩に出た事を思い出す。


 あの日偶然、公園で千鳥足でふらつく酔いつぶれた直属の上司を見つけ、駆け寄った。


 社長に勧められた酒が断れず、普段の許容量をうっかり超えてしまったと笑う彼は、普段のしかめっ面からは想像がつかない程の柔和さで。いつもより濃くなった顎ひげに男らしさを感じ、密かにときめいた。

 酔っていた事と、足りない月の光量、普段と正反対の出で立ちとあっては、流石の彼も介抱のために隣にいるのがいつも顔を合わせている部下だとは気づけなかったようだ。

 抱きしめるだけでスリーサイズが把握できる特技があって、次のデートでは下着が贈られるという噂があったりとプレイボーイの浮名も流しているけれど、実際は真面目で真摯な人であることを、公園ベンチでの取り留めないおしゃべりで知り、新たな恋が芽吹いた。


 そして今日の昼のこと。


「課長、結婚相手を探しているらしいわよ。喫煙ルームで部長と話をしているの、断片的にだけど聞いちゃった」


 パウダールームで、昼食後のメイク直しをしている同僚が言った。男性上司の話とはいえ、恋バナとなると食い付きは良く、ポーチを閉じて出ようとしていた別の同僚も引き返して来る。興味のないふりをしつつも、私の耳はその会話をとらえて離さない。


「四十だもんね~、もう遊んでる場合じゃないって事かあ」

「私、立候補しちゃおうかな? 仕事は厳しいクセに恋愛は軽そうだと思っていたけど、すごいロマンチストみたい」

「え~、ロマンチストのイメージなんてないよぅ!?」

「だって部長が『最近、呑みの付き合いが悪いんじゃないか』と言えば『夜は月の半分を、探すために使っているから』ですって。自分の伴侶をそんな風に表現するなんて素敵じゃない」

「そんなポエムみたいな言い回しをする人だなんて意外〜。でもさあ、月に例えるという事は、受付の」

「ああ〜、いたわね! 月の女神の異名を持つ美女が……。うーんあのレベルをご所望だと勝ち目はないかぁ」


 同僚たちのとめどなく続く会話から逃げ出すように、「お先」と軽く声をかけてパウダールームを速足で飛び出した。



 あっという間に終わった片思い。以前以上の心のダメージを感じて、いつかと同じように外に出て来てしまった。

 あの公園でこの気持ちにサヨナラしようと俯いて歩いていたら、不意に頭上から声が降って来る。


「見つけた。やっと会えた」

「えっ」


 顔を上げればネクタイを外した課長の姿。


「……課長、何故ここに」

「ん……この声? まさか君、篠崎しのざき君か!?」

「は、はい」

「くそ、まさかこんな身近にいたなんて。仕事場の姿と違い過ぎる」


 額に手を当てて顔をしかめて天を仰ぐ課長。


「まさか、ずっと探してくれていたんですか」

「ああ、あの日の君が忘れられなくて」


 促されてベンチに座ると、彼はわたしの左側に腰を下ろす。


「流石に毎日は無理でね。探しにこれなかった時に限って君がこの公園に来ていたらと思ったら、気が気じゃなかったよ」

「もしかして月の半分って……」

「今日女の子たちに珍しく騒がれてしまったが、まさか、そんなロマンチストでは。一か月の半分は、だな」

「私がここに来るのは、今日で二回目なんです」

「そうなのか!」

「夜の散歩は失恋したときだけで。今日はその……課長が月のような美人を伴侶に求めていると聞いて……失恋しちゃったなあって……」


 恥ずかしくて膝上でもじもじとしていた左手に彼は手を重ね、偶然なのかついっと薬指に触れて来る。


「ロマンチストではないけれど、月にあやかりたい気分だ。しかし今日はまだ、その言葉を贈るには相応しくないか」


 彼が顔を上げたので、つられて見れば半分の月。

 

 満月の夜にあらためて。


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