後編

「叡智は見つかったッピ?」

「あった……いつでも世界の答えは目の前に……」

「この数分の間に何があったんだッピ?」

「こちらをお納めください……」


 厳かな雰囲気を醸し出そうとしているのか、何やら神妙な面持ちのブッコロー。彼の合図により、隣で控えていた岡崎がある物を取り出した。


「これは……何だッピ?」

「こちらは有隣堂書店が誇る叡智の結晶……情報誌『有鄰ゆうりん』です」


 うやうやしくトリに差し出されたのは、有隣堂書店の各店で無料配布されている新聞だった。一見すると薄めの新聞紙であるそれを前に、ブッコローは熱い自説を展開する。


「こちらの『有鄰』はなんと、有隣堂の地場である神奈川県の文化、歴史をはじめ、文芸から時事問題に至るまで幅広いテーマが掲載されています。こちらには神奈川のすべてが載っていると言っても過言ではありません! ……そしてなんと発行者は我が社の社長という、信憑性に関しては折り紙付きでございます」


 もはや詐欺師の言い分だった。岡崎は彼にボソボソと耳打ちする。


「ブッコロー……揚げ物の油取りに使えるとか言ってなかったっけ……?」

「シッ!」


 しかしすっかり信じ切ったトリは感動に打ち震えている。案外チョロかった。


「そ、そんなすごい物が……念の為もう一枚貰って帰るッピ」

「どうぞどうぞ! いくらでも」


 元はタダなので、ブッコローは数枚掴んでトリに渡した。

 隣の岡崎はその光景に色々言いたい事があったのだが、トリが嬉しそうだったのでそっとしておいた。


「お見事、ミッションクリアだッピ! 賞品を贈呈するッピ」


 大事そうに『有鄰』を仕舞ったトリは、どこからともなく細長い箱を取りだした。

 受け取った岡崎が開くと、


「わあ、綺麗なガラスペン。どこのメーカーですか?」

「企業秘密だッピ」


 それは一本のガラスペンだった。持ち手には春らしく桜の彫刻があしらわれた花曇りの一品で、ペン先は可愛らしくきゅっと捻って仕上げてあった。程よい重さが職人の趣向を思わせる。

 文房具に、そして特にガラスペンに目がない岡崎は本気で目を輝かせている。


「こんな良いの、貰っちゃっていいんですか?」

「もちろんだッピ。チャンネル登録者数二十一万人突破おめでとうだッピ!」

「ザキさん……チャンネルに対して貰ったもんですからね」

「分かってますとも。え、これ早速書いてみても良いですか」


 岡崎はそう言ってエプロンのポケットからお気に入りのペンインクとメモ帳を取り出した。用意周到だった。


「ザキさん、いつも持ち歩いてんすね……」

「そりゃあもう」

「このペンは最初に言った通り、願いが叶うペンだッピ。だからこうやって――」


 言うが早いか、トリはガラスペンを握りペン先をインクに漬け、カリカリ言わせながらメモ帳にリンゴの絵を描いた。

 何の変哲もないイラストだったそれは見る見るうちに立体的な形を取り、赤く染まり、メモ帳からこぼれ落ちてごろりと床に転がった。


「ええー! すげえ! 本物のリンゴだ!」


 それまで疑心を前面に押し出ていたブッコローだったが、拾い上げたリンゴを見て心の底から驚いた。未来の世界のネコ型ロボットが有するひみつ道具と言っても過言ではない代物だった。


「え、俺も! 俺も書いていいっすか!」


 途端に前のめりになるブッコロー。早すぎる掌返しだった。

 トリからガラスペンを受け取るや否や、彼は熱心にメモ帳にかじり付き、カリカリと何かを描いていく。

 岡崎は何だ何だと覗き込んだ。


「何を描いてるんですか?」

「未来の競馬年鑑だよ……ッ! コレさえあれば……俺は大勝ちできる……ッ!」

「曲がりなりにも企業のイメージキャラクターが叶えようとするにはちょっと浅ましい願いというか……」

「何とでも言え! さあコレで……」


 欲にまみれた彼の視線の先で、たどたどしい線がむくむくと形を取り始めた。表紙に『競馬』とだけ手書きされ、何となく四角く雑誌サイズの白い塊が、メモ帳からポンと出力されて床に落ちた。

 拾い上げてみてもページすら捲れない。


「……何コレ」

「うーん、願いのイメージが曖昧だったのか、イラストをそのまま具現化した感じッピね。実際に発行されてる競馬年鑑の何年版、みたいな書き方じゃないとペンも困るッピ」

「先に言えよー!」


 手の中のお手製競馬年鑑を床に叩きつけるブッコロー。手に入ったのはただの文鎮だった。


「ちなみに効力はひとりにつき一回ポッキリだッピ」

「ますます先に言えよ! 何に使うんだよコレ……」

「ささ、岡崎さんは何をお願いするッピ? 絵じゃなくて文字でもOKだッピ」

「私ですか、うーん、そうだなあ……」


 ガラスペンを受け取り腕を組んで思案する岡崎。ブッコローは横から口を挟んだ。


「文房具王になりたい、とかでもいいんじゃないですか?『文房具王になり損ねた女』、雪辱を果たすチャンスですよ」

「ああなるほど、そういうのもありますね……」


 彼女は顎をさすりながら頷く。

 ちなみに何故彼女が『文房具王になり損ねた女』などという不名誉な称号をほしいままにしているかと言うと、過去にTVチャンピオンで開催された『文房具王選手権』で敗北を喫したことによるもので、主にブッコローからイジられ続けている。


「あーでも、やっぱりコレですかね」


 願いが決まったらしい岡崎はサラサラとペンを走らせる。青黒いインクで書かれたのは、


『今後もこのチャンネルが続きますように』


 という簡潔な一文だった。


「ウワーッ! それ俺が書きたかった! 何だよ競馬年鑑って……」

「人としての徳が表れましたね」

「うるせぇうるせぇ!」


 顔を覆うブッコロー。何の申開きも出来なかった。目の前のカメラのデータと全員の記憶を消したいとすら思った。

 彼の思いも知らず、トリは満足気に羽を羽ばたかせる。


「イイ感じにオチがついたっぽくて満足だッピ! それじゃコレにて失礼だッピ。アデュー!」


 そう言って、再び新明解国語辞典の中に吸い込まれるようにして消えていった。原理も理屈も分からないままだったが、ブッコローは次トリに会ったらどんな目に遭わせてやろうと考えていた。ヤケっぱちもいいとこだった。

 すっかり静けさを取り戻した店内に、二人とスタッフ陣が取り残された。時刻はもう三時に迫ろうとしている。

 締めの挨拶に入ろうかとブッコローはカメラに向き直ったが、スタッフ達はカメラを囲んでザワついていた。


「何何、何かあったんすか?」

「いや、それが……カメラ回してたんですけど、トリさんだけ全然写ってなくて……」

「マジで? そんな事ある?」


 慌てて確認すると、確かに暗闇に向かってリアクションを取るブッコローと岡崎の姿が撮影されていた。トリの姿はおろか、新明解国語辞典が放っていた赤い光すらどこにも写っていなかった。

 一同はゾッとした。


「これは……お蔵入りですね」

「チクショー! 夜中まで頑張ったってのによー!」

「もう今日は帰って寝ろって事でしょうかね」


 岡崎がそう言う間にも、スタッフは着々と機材を片付けている。現場全体が徒労感に包まれていた。

 その様子をぼーっと見守っていたブッコローはふと岡崎に問いかける。

 

「ハア……ザキさんさあ……お願いってあんなで良かったの?」

「うーん? 私は満足ですよ。こんな綺麗なガラスペンがゲットできましたし」


 不思議なガラスペンを手にほくほくとした表情を見せる岡崎。その表情に衒いはなかった。

 それを見たブッコローはまあこれで良かったかもな、と溜息を吐く。


 彼は下手くそな競馬本をゴミ箱に放り、スタッフに続いて暗い店内を後にした。


 このペンの効果か定かではないが、チャンネルは順調に登録者数を増やし、人気チャンネルとして楽しい動画を世に送り出し続けたという。



【了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜の書店徘徊@有隣堂しか知らない世界 月見 夕 @tsukimi0518

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ