中編

 光り輝き、ひとりでに空中へ浮かび上がった新明解国語辞典は、風のない店内でページをバラバラと開く。

 ブッコローと岡崎はその光景から目を離せないでいた。スタッフも言葉を失い、しかしカメラはしっかり前に向けていた。プロ意識の塊である。

 衆人の耳目を集める中、ページの中程から強い光と共に現れたのは――カクヨムのイメージキャラクターでお馴染みのトリだった。


「……ん? なんか反応薄いッピ?」

「なんかも何もないっすよ! 何してるんですか他所の会社に忍び込んで! 立派な不法侵入っすよ不法侵入」

「正体が分かった途端辛辣ッピ……」


 トリは床に舞い降りると微妙な顔で二人を見上げた。ニワトリだか何だか分からない丸いフォルムは、ブッコローより一回り小さかった。

 取引先だと分かるや緊張を解くブッコローと岡崎。現金なものである。


「あービックリした。新明解国語辞典から出てくるんだから、三省堂のあの人出てくるかと思ったわ」

「社外の方を出すのがレギュレーション違反だから仕方ないッピ」

「何の話? って言うか口調そんなでしたっけ?」

「キャラ付けには語尾に特徴持たすのが一番だという作中の都合なんだッピ……」

「だから、さっきからいちいち発言がメタいのよ……」


 先程までの恐怖はどこへやら、何ならこんな大仰な登場を果たしたトリに、ブッコローは若干怒りすら込み上げていた。

 初対面を果たした岡崎はバイヤーの名刺を差し出す。


「お世話になってますー、有隣堂の岡崎です」

「あ、どうも……じゃないッピ! 名刺交換タイムじゃないッピ!」

「何しに来たんすか?」

「ブッコロー、邪険にしないでッピ……鳥類同士仲良くしようッピ……今日はお祝いに来たんだッピ」


 お祝い、と聞き警戒を緩めるブッコロー。


「えーやったー何かくれるんすか」

「慌てるなッピ……動画撮影中だと思うから、撮れ高の為にも二人にミッションを与えるッピ。それを達成出来たら豪華賞品が――」

「もう既にメンドいわァ……」


 深夜二時に与えられるには気重なプロセスだった。彼はもうさっさと帰って寝たいとでも言いたげだった。

 岡崎はまあまあ、ととりなそうとする。


「そう言わず、聞くだけ聞いてみましょうよ」

「ええ……ちなみに何が貰えるんすか」

「ふふん、それは……願いを叶えるアイテムだッピ!」

「……ハア?」


 ブッコローから本気で呆ける声が出た。この二十一世紀に何をメルヘンな事を言っているのか。

 じゃあ今すぐ帰ってほしい、という目下の願いが口を衝きかけ、彼も一応社会人(鳥)なので言葉を飲み込んだ。


「正気で言ってます?」

「そりゃもうだッピ」

「KADOKAWA、そんな魔王みたいなアイテム持ってて大丈夫なんすか? もうオーパーツじゃん……限りなく胡散臭ェ……」

「良かったじゃないですか、何でも願いが叶うって。私何をお願いしようかな……」

「ザキさん、適応が早いのよ……」


 願いが叶うアイテムに興味津々の岡崎。メルヘン耐性は誰より高そうだった。

 ブッコローは仕方なく頭を掻き、面倒臭そうに聞く。


「で、そのミッションってのは」


 ようやく思惑通りに話が進み、トリは嘴を曲げて笑った。

 そして満を持して口にしたのは――


「発表するッピ。それは……『有隣堂が誇る、とっておきの叡智をここに持ってくること』だッピ!」


 思った以上に抽象的な課題だった。


「とっておきの叡智ィ……?」



 有隣堂が誇る叡智をこの場に――

 真夜中の書店に現れたトリから提示されたミッションに、売場を彷徨うろつく二人は頭を捻った。


「うーんまあ順当にいけば辞書とかでしょうけどね」

「でもトリさん、新明解国語辞典から出てきてましたよ。あれこそ生半可な叡智じゃないです」


 彼女の言う通り、新明解国語辞典はありとあらゆる事項について、通常の国語辞典より極めて冷静に綴られている事が話題にもなった辞書だ。

 LINEスタンプまで発売されるなどコアなファンが多く、出版業界にいるトリがそれを知らないとは考えにくいし、それ故に同種の辞書を持って行ったところで面白くはないだろう。


「まあそうっすね。逆に変わり種でいけば、世界の名馬集とか……」

「それはブッコローが欲しいやつじゃないですか……」


 競馬に目がないブッコローは欲望のままに本を挙げた。確かにお馬さんサラブレッドが好きな人間であれば垂涎の品だろう。


「えーザキさんはじゃあ何かないんですか」

「うーん……文具図鑑とか……インク特集の雑誌とかどうですか?」

「発想が俺とダダ被りなのよ……趣味全開じゃん」


 文房具への愛が止まらない岡崎。バイヤーとしては必携の本なのだろうが、如何せん人を選びそうなチョイスだった。

 ブッコローはオレンジの身体を折り、何かないかと思考を巡らせ……やがて、何か思い付いたように手を打った。


「……あ。あるじゃん。叡智」

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