深夜の書店徘徊@有隣堂しか知らない世界
月見 夕
前編
「
照明を落とした書店の中心で、暗闇を吹き飛ばすような元気な声が響いた。懐中電灯の明かりを手にした声の主は、体長六十センチのオレンジ色のミミズク。
彼こそが関東近郊を中心に約四十店舗展開する書店・有隣堂の看板キャラクター、R.B.ブッコローだ。ミミズクの身でありながら、登録者数21万人を超える人気YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』のメインMCでもある。
「閉店後の有隣堂
景気よくタイトルコールを終えたブッコローは、懐中電灯で隣の女性を照らした。
「文房具王になり損ねた女・有隣堂文房具バイヤーの岡崎弘子さんです! よろしくお願いしまーす」
「お願いしまーす」
黒髪を一本に縛った岡崎は大きな眼鏡の奥で瞳を瞬かせ、のんびりと会釈した。有隣堂のエプロン姿の彼女は妙齢のマダム然とした佇まいだ。
ブッコローは懐中電灯を顔の下から当てながら話を先に進める。
「今回は閉店後の深夜の書店を懐中電灯持って探検しようって企画です。夜の書店徘徊シリーズ、何回かやってますけどザキさんは初めてじゃないっすか」
「うんー、そうですねえ。大体仕事終わったらすぐ帰っちゃうし……ほら、残業になっちゃうから」
「カァァ……! スタッフ、今の聞きました!? 俺が毎回必死に懐中電灯一本握り締めて、こんな暗い寂しい本屋の中を歩き回ってんのに……この人自分の残業のこと気にしてますよ!」
「鳥に労基法は適用されないから」
「アッハイ」
にべもなくそう言い放たれたブッコローは一瞬で口を噤んだ。鳥に人権はなかった。
「にしても今日はまた遅くからやるんすね? 夜中の、もうすぐ午前二時になろうとしてますけど」
「そうなんですよ。何か、バイトの間で噂になってるっぽくて……この時間帯じゃないと見れないかもしれないってことで」
「全然話が見えないんですけど、夜中の書店にしか出現しない『何か』を探しに行くってことでいいですか?」
「うんそう」
頷いた岡崎は、神妙な面持ちで語る。
「夢を叶える摩訶不思議な文具が……あるらしいんですよ、ウチに」
「胡散臭ェ……」
想像以上にファンタジーな話に、ブッコローは早くも帰りたくなった。学校の怪談以下のオカルトだった。
しかし拳を握る岡崎の目は
「ていうかザキさんが知らない文具があるって事になると思うんすけど、それは大丈夫なんすか?」
「うんまあ……文具って奥が深いからそういう事もあるかなって」
「バイヤーが
岡崎のマイペースな解釈に呆れるブッコロー。文房具の仕入れは他ならぬ彼女の仕事だ。その彼女が仕入れた覚えのない商品。絶対にバーコードなんて付いていない。客の手に渡る前に回収が必須そうだった。
「で、ザキさんはそれがどんなものかとか聞いてるんですか?」
「それが分からないんですよ。バイト曰く、店内カメラの録画を面白半分に見返してたそうなんですけど」
「何遊んでんだよ……」
「夜中の二時頃に五階の辞書コーナー辺りで謎の光が映り込んでたみたいで。多分その話に尾ひれが付いた感じかなって思ってます」
「ヤダよ俺……ここ出るもん」
ブッコローは過去の深夜徘徊企画を思い出して震えた。その時も人がいないはずなのに勝手に明かりが付いたり、ラップ音がしたりと散々な目に遭ったのだ。できれば一番いたくない時間帯に、彼らは現場に立っている。
噂は辞書コーナー付近ということ以外、思った以上に手がかりがなかった。ほぼ無策で売場を歩き回るしかなさそうだった。
「まあいいじゃないですか。どうせもう終電ないんですから、腹括りましょうよ」
「クソ、宿泊代しっかり請求してやる……!」
何が楽しくて幽霊が出ると噂の店内を夜中の二時に散歩しなくてはならないのか。
相変わらずのんびりとした岡崎の調子に、ブッコローは小さな羽を羽ばたかせて悪態を吐いた。
◆
カメラが回る中、二人は一本の懐中電灯が照らす売場へ足を踏み出した。
明かりのない深夜の空気がどろりとして羽にまとわりつくような気持ちがして、ブッコローは寒気がした。
「もうなんか、さっきの話聞いてちょっと帰りたくなってる自分がいるんですけど。これで何も見つからなかったらザキさん、眼鏡割りましょうよ。罰ゲームで」
「えーヤダ……この眼鏡高いんですって」
「今日のはいくらっすか」
「うーん、十万くらい?」
「割りてェ……」
岡崎のべっこう色の眼鏡を睨むブッコロー。眼鏡好きの彼女のとっておきの一本は清々しいほどに良い色のフレームだった。余計に割りたくなる。
そう思いながら視線を懐中電灯の先に戻すと、政治関連の書籍売場にぼんやりと白い顔が浮かび上がった。
「うわっ! 何アレ……」
一瞬背筋に怖気が走ったブッコローだったが、まじまじと見るとそれは東京都知事・小池百合子の顔が大写しになった書籍の表紙だった。毎度のことながら暗がりで見るには心臓に悪い。
「あーなんだ、小池百合子か……幽霊かと思った」
「そろそろホントに怒られますよ」
ひとまず安心して歩を進めると、学習参考書のコーナーに差し掛かった。小中学生向けの勉強本から大人向けの資格本まで、あらゆる取り扱いがなされている。
「資格関連のコーナー来ました。相変わらずここは色んな種類の資格に関する本が並んでますね」
「あ、ほら見てくださいブッコロー。『
岡崎の指差す先には、有隣堂各店で無料配布されている新聞、『有鄰』が束ねて設置されていた。有隣堂の本拠地である神奈川に関する情報がまとめられた隔月刊の情報誌だが、残念ながら手に取る者は多くはない。しかし彼女の言う通り少しだけ減っているように見える。
「ホントだ。誰が読むんだこんなのって思ってたけど、持って帰る人いるんすね」
「書いてるの社長なんですけど……」
「揚げ物の油の処理とかに使えそう」
「……ブッコロー、ホント無敵ですよね。都知事に社長に言いたい放題。そろそろ焼き鳥にされるんじゃないですか?」
「来週からMCが変わってたら察してください」
歯に衣着せぬ物言いのブッコロー。人の口に戸は立てられないが、ミミズクなら尚更だった。本当に焼き鳥にされる前に、二人は足早に学習参考書のコーナーを後にする。
「さてもう二時……ん?」
腕時計の長針が十二を差したその時。
店内にパシ、パシ、とラップ音がいくつか響いたかと思うと、突然辞書コーナーの方に赤い光が灯った。
ブッコローは咄嗟にスタッフを振り返るが、誰も彼も知らない、というように首を振っている。どうやら本物の怪奇現象のようだった。
「え……ブッコロー、あれって」
「ヤバいヤツじゃん……ええ……?」
慄く二人が見つめる先で、赤い明滅は弱まり、薄くなって暗闇に消え入った。
それはものの数秒の出来事だった。
しばらく固まっていた岡崎は意を決し、様子を見に行こうとブッコローの背中を押す。が、彼は頑として動かない。
「ちょ、全然動かないよブッコロー」
「押すなよ! いつからウチはオカルトチャンネルになったんだよ! ヤダヤダ帰りたい!」
「駄々捏ねないで行ってみますよ。ほら、私も一緒に行きますから」
「ナチュラルに俺を盾にすんのやめてくれる!?」
二人は互いに押し合いへし合いしながら辞書コーナーへ向かう。書棚の角を曲がると、懐中電灯が『それ』を捉えた。
一条の光に照らされていたのは、棚から滑り落ちた格好で床に転がる一冊の辞書だった。
岡崎は恐る恐る拾い上げる。赤い表紙には『新明解国語辞典』の箔押しの文字が浮かび上がっていた。
「じ、辞書……? 勝手に落ちたんですかね」
「ザキさん、よく触れますね……悪霊とか憑いてる本だったらどうすんですか」
「怖いこと言わないで――」
そう言った矢先。
二人の目の前で、新明解国語辞典は再び燦然と赤い光を放ち始めた。
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