第6話 波乱の結婚式の後……


「あなたは私のことが好きだったでしょう? あの時だって私に求婚しようとしていたんでしょ? 私、分かっていますのよ!!」


 目を見開いて声高に叫ぶエレーヌに、ビクッと体を震わせるハイネル嬢。

 唇をかみしめ俯く彼女を見て、俺は胸が締め付けられた。

 君にこんな顔をさせてしまうなんて。


 俺はエレーヌに向かってはっきりと言った。


「悪いが“もう声を掛けてこないで”と君に言われた時から、俺の気持ちは冷めている。それに今回のことで、君には軽蔑の気持ちしかない」

「あなたの私への愛はその程度でしたの!?」

「公衆の面前であれだけ拒絶され、婚約者と仲睦まじくしている所を見せつけられ、しまいには結婚式の邪魔までしてくるような女性を、好きでい続ける人間の方が、俺は怖いと思うが」

「……っっ」


 何も言い返せず、悔しげに唇を噛みしめるエレーヌに、俺はさらに言った。


「君と違い、ハイネル嬢は噂には惑わされず、俺に出会えて嬉しいと言ってくれた」

「そんなの嘘……内心は彼女もあなたを恐れていた筈」


 今度は俺の体が僅かに震えた。

 それは俺自身、密かに心配していたことだったからだ。

 ハイネル嬢はキッとエレーヌを睨み付け、一際強い口調で訴えた。


「何故、この国を守る為に命がけで戦って下さった方を恐れるのです!? 恐れなど微塵もありません!!」

「そんなの嘘……」 

「あなたと一緒にしないでください。私は、この国の人々を守ってくださったケンリック様にとても感謝しております。そして心の底からお慕い申し上げております。我が大切な夫を悪しき様に言う者は、私が絶対に許しません!!」



 ハイネル嬢の毅然とした言葉に、拍手を送る貴族がいる一方、決まりが悪そうに俯く貴族もいる。恐らく俺の陰口をたたいていた貴族たちだろう。

 エレーヌは首を横に振る。


「嘘……そんなの嘘……」

「君は俺に対する世間の評価ばかり気にして、俺自身のことは全然見ていなかったじゃないか」

「貴族は社交界が全てですもの! 評判がいい人と結婚した方がいいに決まっていますわ!」

「そうだな。社交界にはそういう考えの人間が山ほどいる。君と同じ価値観をもった貴族は、もう君に縁談を申し込むことはないだろう」

「……!」



 エレーヌはその時、がくりと膝をついた。

 まぁ、どこからも縁談は来ないだろうな。

 今回の事は下手をすれば極刑になる案件だ。

 エレーヌ自身は軽い気持ちで魔石を持っていたかもしれない。だが紛れもなく大公令嬢の殺人未遂の加担者だ。

 娘を溺愛するエレーヌの父親、ビターニュ伯爵は、娘の刑が軽くなるようこれから奔走することになるだろう。

 エレーヌはマノリウス大公家の護衛騎士たちに連行された。


 そして茫然自失のシオール王国の王子も、自国の騎士団たちに連れられ帰国することになる。もともと父親である国王の了承を得ずに、この国に来ていたらしい。

 後にシオール王国からは謝罪文がマウル王国に送られてきた。

 そして第二王子は王位継承権剥奪と、僻地の離宮に幽閉される事が決定されたそうだ。



~・~・~


 結婚式が終わったら言い伝えに従い、マウル神の娘と村長の次男が暮らしていたと言われる別邸でしばらくの間、過ごすことになる。とはいっても、ちゃんと現代でも暮らせるように邸宅は改装され、ベテランの使用人達もいる。

 

 ようするに新婚旅行のようなものだな。

 ここはマノリウス家の休暇を楽しむ場として使われる場なのだ。

 俺が彼女の部屋に訪れると、花嫁衣装から、若草色のドレスに着替えたハイネルが待っていた。


「外へ散歩に行きませんか?」

「……そうだな」


 別邸を出るとそこは小道が続き、両脇にヤマユリの花畑が広がる。

 茜色の空、そして影絵のような山々。

 まるで絵のような世界。

 だけど変だな。

 不思議と、前にもハイネル嬢とヤマユリが見える道を歩いていたような気がして。


「綺麗……」


 そう言って彼女は俺の腕を抱きしめてきた。


「……っっ!?」


 柔らかい感触が腕に伝わる。

 ドレスはコルセットを着けているタイプのものではないので、布越しに胸の感触が伝わる。

 いやいやいや。

 俺は何を邪なことを。

 何とか邪念を振り払おうと首を横に振る。



結婚式が終わったら、新婚は初夜を迎えるのが通例だ。

だけど俺としては、そういう事は、お互いのことを良く知ってからにしよう、と思うのだ。

 徐々に夫婦としての絆を深めてからの方が良い、と。

 だけどハイネルの胸の感触が、あらぬ想像を掻き立てる。

 


 ―――何なんだ、俺は!?



 俺はこんなにも意志が弱い人間だったのか!?

腕を組んでくれる妻が愛しい反面、意志が弱い自分に驚いている。

 しかし……

 ちらっと俺は妻となったハイネル嬢の顔を見る。


 小さな唇、小さな顔。

 銀色の髪の毛は夕日の光に照らされ、朱色に輝いている。

 青い目は澄んだ海の色のようだ。



 ハイネル嬢と出会った瞬間、彼女と一緒になりたい。もう離れたくないという想いに支配されてしまった。

 そしてその支配から逃れられずにいる。


 もし、もし彼女が他の男と結婚しようものなら、俺はその男を殺してしまうかもしれない。

 何故、出会って間もない女性に、こんなにも恐ろしいまでの独占欲を抱いてしまうのか?


「ケンリック様?」


 不思議そうに俺を見詰めるマリンブルーの目はとても澄んでいる。

 そこから見える白い首筋も―――今すぐ吸い付きたい。

 駄目だ。

 初夜は彼女と仲を深めてから……自ら立てた戒めがあっさり破られそうな気がする。

 駄目だ。

 彼女の唇がいくら美味しそうだからといって。

 こんな、キスをしたら―――


「―――」


 俺は彼女のぷっくり膨らんだ唇を食むように、唇を重ねた。

 柔らかい。

 瑞々しくて、艶やかで。

 息を吸おうとわずかに開いた彼女の唇に、俺は舌を差し込んだ。


「あ……うんっ…」


 絡み合う舌と熱い息づかい。


 ―――止まれ、俺。


 離れがたかった唇をようやく離した時、彼女は惚けたような表情で、俺のことを見詰めていた。

 彼女は俺に問いかける。


「ケンリック様、今日は愛してくださるのですか……?」

「…………!?」



 目を見張る俺に、ハイネル嬢もハッと我に返ったのか、かぁぁぁっと顔を真っ赤にした。

 両手で頬を挟みながら、目をくるくると回す。


「わ、私としたことが、何とはしたないことを……っ!」


 彼女自身、無意識に言ってしまった言葉のようだ。

 俺は驚きのあまり目を丸くしていた。

 夢と同じようなことを言っている彼女に。


「君も……同じ夢を見ていたんだな」

「夢?」

「信じられない話だが、俺は幼い時から君と出会う夢を見ていた」


 俺の言葉に今度は彼女の方が目を丸くする。


「わ……私もあなたと出会う夢を見ていたわ。あの物語に出てくる夫婦の生まれ変わりは、何度も相手と出会う夢を見るという話は聞いていたのだけど」

「ああ、だけどいざお互いがそうだったのかと思うと、やはり驚くな」

「あ、あの、夢の中でも現の中でも、私はあんなことを言って……やはり、可笑しいのでは?」

「おかしい?」

「女性から……その……求めるなんて」


 さらに顔を真っ赤にし、目を固く閉じるハイネル嬢に、俺は激しくかぶりを振る。

 そして彼女をきつく抱きしめた。


「おかしくなんかない。君の言葉が凄く嬉しかった!」

「ケンリック様……」

「君に出会えてよかった。俺と出会えて嬉しいと言ってくれた。俺のことを素敵だと言ってくれた。俺に感謝していると皆の前で言ってくれた。そして俺のことを求めてくれている。君の言葉一つ、一つが泣きたいくらいに嬉しいんだ」

「本当に? あなたは予め決められた結婚に抵抗はないの?」

「相手が君なら、全くと言ってない」


 はっきりと答える俺に、ハイネル嬢は涙を浮かべ、嬉しそうに笑った。

 俺は彼女の頬に触れた。


「ハイネル嬢」

「妻なのだから、ハイネルと呼んでくださいな」

「では俺もリックと呼んでくれないか?」

「リック様?」

「様も不要だ」



 俺たちは再び唇を重ねた。

 何度かお互いの唇を啄んで、そして深く求め合うキスを交わして。

 キスが終わると、俺は彼女に囁く様に言った。


「ハイネル、今日は君を愛したい」

「リック……その……良いの?」

「本当は、凄く我慢していたから」


 かなり恥ずかしかったが俺も素直な気持ちを彼女に告げた。

 ハイネル嬢……じゃなくて、ハイネルは俺の背中に手を回して言った。


「よろしくお願いします」




 俺たちは湯浴みを済ませ、寝間着に着替えた。

 既に同じ風呂に入っただけで、天にも舞い上がるような思いだ。

 彼女の裸を見てしまったのだから。

 すぐにでも抱きしめたい気持ちを懸命に抑えつけ、俺は自分の身体をきれいにした。


 そしてローブを羽織った俺たちは、一緒に同じベッドの中にはいった。

 俺はハイネルを抱き寄せて、甘えるように彼女の胸の膨らみに顔を埋める。


「リック……」

「ハイネル」



 もう一度唇を重ねる。

 さっきよりも肌が熱く感じるのは、湯からあがったばかりだからか、それともお互いに緊張して、恥ずかしい気持ちに駆られているからか。

 唇だけではなく、体にも触れる。

 今まで体験したことがない極上の感触、そして温かさに俺は一瞬だけ泣きたくなった。



 窓からは西日が差し込んでいた。

 だんだん暗くなる部屋の中、俺とハイネルはまるで溶け合うかのように体を重ねた。

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