第4話 不安な気持ちのまま結婚へ

「本当に良かったのだろうか? あの娘と婚約して」

「今更何を抜かす、このどヘタレが」


 俺の言葉に、兄、ディレックは無表情で突っ込む。

 普段からあまり表情は豊かではない兄だが、その分思ったことはすぐに口に出る人だった。


「あ、あんな綺麗な娘、初めて見た……俺は容姿も平凡だし、社交界からは悪魔として恐れられた存在だ。そんな俺があんな愛らしい娘と結婚しても良いのだろうか?」

「早くも惚気か。胸焼けがするからやめろ」


 兄はそう言うが、俺は真剣に悩んでいるのだ。

 代々騎士を務めるリーベル家の男達は、幼い頃から厳しい鍛錬を積み上げ、十代前半には当たり前のように戦場を駆け巡っていた。

 本来なら次男で爵位を継ぐことはできない俺だが、戦の活躍が認められ、国王から子爵の地位を賜った。もしかしたら、今回の活躍で父と同じ伯爵の地位に昇格することができるかもしれない、と兄は言っている。

 しかし社交界では敵をなぎ倒してきた俺のことを、鬼、悪魔と罵る者も多い。

 会って話もしたことがない貴族達が好き勝手に言うくらいなら何とも思わない。

 だが――――


 “ケンリック兄様、あなたがこんなに恐ろしい方だとは思いませんでした。私にはもう正式な婚約者がおりますので、近づかないでくださいませ”



 幼い頃よく家を出入りしていた従姉妹エレーヌ=ビターニュ。

 ビターニュ伯爵は、エレーヌに請われ、俺との縁談を持ちかけて来た。

 エレーヌは従姉妹としてしょっちゅう我が家を出入りしていた。社交界デビューするまでは俺のことを無邪気に慕ってくれていたし、俺も彼女とならと思っていたけれど。

 彼女は社交界にデビューしてから、リーベル家を出入りしなくなった。

 一度王室主催の舞踏会で、エレーヌに正式な婚約を申し込もうと、声を掛けようとしたら彼女にはっきりと、もう近づかないでくれと言われたのだ。


 そしてエレーヌは侯爵家の息子で、美男で有名なモルガン公子と婚約をしてしまった。

 仲睦まじく話をする二人の姿を見て、俺はとても悲しい気持ちになった。

 俺が戦ってきたのは、この国の人たちを守る為だったのに……俺は人々に恐れられる存在になってしまった。


 それから俺は社交界に出ることなく、訓練や戦いに明け暮れる日々を送っていた。

 そんな中、マノリウス大公家の一人娘の縁談が転がり込んできた。


 ハイネル=マノリウス


 貴族子弟が通う高等学校 王立マノリウス高等学校では勉学も優秀、魔術にも優れ、既に宮廷魔術師として仕事を担う程だという。

 しかも他国からも求婚が来るほど美しいのだという。

 伝承のことがなかったら、俺とは一生縁がなさそうな女性だ。

 彼女だって、内心では俺のことを恐れているに決まっている。

 あまり期待はぜずに彼女に会いに行った。

 ところが――――



『お会い出来て嬉しいです』


 社交界でよく見かける作った笑顔じゃない。

 屈託のない笑顔で俺にそう言ってきたハイネル嬢。

 ただ、綺麗な顔だったら俺はこんなにときめくことはない。

 

 あの笑顔を俺は知っている。

 彼女の顔を見た瞬間泣きたいほど嬉しくなった。


 “……やっと君に会えた”



 何故か俺はそう呟いていた。

 今でも彼女に出会った瞬間、何故あんなことを言ってしまったのか分からない。

 ドアを開ける前までは、縁談を断ろうかとまで考えていたのに。

 そんな自分が危ない奴だと、冷静になった今では思っている。


 幸い、向こうは優しい女性だからか、初対面なのに「やっと君に会えた」とか言う俺に対しても不審には思わず、終始ニコニコしていた。

 性格も良くて、美人で、しかも大公令嬢。俺には勿体なさすぎる女性だ。

 本当に彼女と結婚して良いのか? 

 悶々と悩む俺にディレックは苦笑して言った。


「リックは真面目だし、俺と違って優しい。それに容姿にも、もっと自信を持っていいと思うぞ? ハイネル大公令嬢は聡明な方だ。きっとお前の良さに気づいたのだろう」


 リックとは兄が呼ぶ俺の愛称だ。ケンリックのリック。 

 俺も兄のことはレック兄さんと呼んでいる。

 そのレック兄さんも良き伴侶に恵まれ、来年には二児の父となる。


「お前が婿養子として大公家を継ぐのであれば、我がリーベル家の地位は貴族社会においても盤石なものとなる。俺としては大賛成だ。ハイネル嬢に好意を抱いているのであれば、何も迷うことはない」

「……」



 ハイネル嬢と結婚すれば、俺は大公家の婿養子となる。

 確かにこれほど良い縁談はないだろう。

 悩む必要はないのだ。

 不安な気持ちと浮き足立ちそうになる気持ち、何とも言えない複雑な想いを抱いたまま、俺は結婚式の時を待つことになるのだった。



~・~・~


 時は瞬く間に過ぎ、ハイネル嬢が高校を卒業して、すぐに挙式をあげることになった。

 白いドレスに身を包んだハイネル嬢。プラチナブロンドの髪にマリンブルーの目、唇は艶やかな紅色……女神だ。

 それに対し俺は黒い瞳、黒い髪、鋭い目つき。

 無精髭も剃って眉も整え、髪もセットしているから、いつもよりはマシだが平凡の域を超えていない。



「素敵です……ケンリック様」


 目を潤ませ、顔を赤らめるハイネル嬢。

 本気か!?

 本気でそう思っているのか!?


「私は……本当に幸せです」


 恥ずかしそうに俯いてそう告げるハイネル嬢が無性に愛しくなる。

 嘘でも良い。

 彼女の言葉が嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。

 俺はハイネル嬢をエスコートし、神殿の礼拝堂へと向かう。

 緋色の絨毯を二人で歩く中、来客から意外な声が聞こえる。


『まぁ……鬼、悪魔と呼ばれているかと思っていたからどんな方かと思っていましたけど、黒髪と黒の瞳が神秘的で雰囲気のある方ね』

『ハイネル様が素敵な方だと喜んでいたのは嘘ではなかったのですね』

『社交界の噂というのは本当に当てにならないわ』

『殿方がケンリック公子の活躍に嫉妬していたのでしょう。やっかみで悪く言うことはよくあることですから』



 俺は耳が良いので、ひそひそ話をしている夫人達の声もよく聞こえていた。

 髭を整え、髪をセットしたら印象が変わるのだな。

 花婿の礼装を着ているから、いつもよりマシに見えるのだろう。だけどこの場だけでも印象良くうつるのは良いことだ。

 やはりハイネル嬢に相応しい夫でありたいと思うからな。

 だが、ハイネル嬢が俺のことを素敵だと言っていたのは本心からなのだろうか。


 ちらりと隣のハイネル嬢の方を見る。

 え……!?

 じっと俺のことを見詰めている。しかも目が合うと恥ずかしそうに顔を伏せる。

 その可愛らしい反応に、俺の胸は爆発しそうになった。



 夢だ。

 夢に決まっている。


 こんな可愛い娘が俺を見詰めているなんて。

 夢だったら永遠に覚めないでくれ!


 ふと、視線を感じ俺は客席の方へと目をやる。

 そこには複雑そうな表情で俺たちのことを見ているエレーヌの姿があった。

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