第71話 阻害 ~修治 2~

 修治が獄の鯉口を切った瞬間、鴇汰が目の前に飛び込んできた。

 紫炎を弾かれ、さすがにもう駄目かと思った。


「安部隊長、こちらへ」


 小坂と洸に支えられ、近くの大木に身を寄せた。

 洸はさっき豊浦たちから受け取ったかばんからタオルを出すと、修治の脇腹を強く押さえてくれた。


「どうしよう……血が……血が止まらないよ……」


 傷を押さえる手が震え、涙が止まらないのか何度も袖で目を拭っている。

 痛みをこらえて洸の頭をクシャクシャと撫でた。


「大丈夫だ。こんな傷、すぐに血も止まる」


 そういってタオルを押しつける手をやんわりと退け、自分で傷を押さえた。

 鴇汰と麻乃が刀を交えているのをみた。

 鬼灯と夜光が斬り結ぶたびに火花が散る。


(なぜあんなにも火花が……)


 炎を獄で受けたときでさえ、手に痛みが走っただけで火花は出なかった。

 それに、明らかに麻乃の動きは無駄がなく隙もみえないのに、鴇汰がきっちり反応しているのが不思議だ。


 まるで麻乃が攻めてくる場所をわかっているかのようだ。

 鬼灯を見てもらったときに、周防の壮介が言っていた言葉を不意に思いだした。


『夜光が強まっても鬼灯がそれを止めて引き戻してくれる。その逆もまたしかり。それぞれが相殺し合ってちょうどいい』


 今、それぞれが相殺し合っているとして、麻乃になにか変化がみられるのだろうか。

 さっきの瞳の奥でなにかが揺らいだようにみえたのが気になり、嫌な予感がよぎった。


 小坂は鴇汰と麻乃の様子を食い入るように見つめていて、その目はまるで二人を見守っているようにもみえる。

 鴇汰の鬼灯が麻乃の夜光を擦り流した瞬間、両刀が折れた。

 間を置かず麻乃を引き寄せて口づけを交わし、その腕にかき抱いた鴇汰の姿に唖然とした。


「あの馬鹿……こんなときになにを……」


 ほんのわずかなあいだ、そうしていた鴇汰が、麻乃の肩を引き離し「マドルだな?」と言った。

 麻乃は鴇汰の手を払って薄笑いを浮かべると、そのまま中央へ向かって走り去っていく。


「長田隊長!」


 鴇汰が崩れるように倒れ、小坂が駆け寄った。

 修治も洸の手を借りて急いでそのそばへ向かう。

 うずくまって苦しそうな声をだし、仰向けに転がった鴇汰の脇腹に、脇差が喰い込んでいる。


「鴇汰! しっかりしろ!」


「麻乃が……あいつの中にマドルのやつが……」


「いいから今は喋るな」


 さっきの拠点で隊員たちを中央へ向かわせてしまった。

 浜にはまだ残っているだろうけれど、ここから呼びに行くには遠い。

 急いで手当てをしなければ鴇汰が危ないというのに、その手段がなく、修治は焦った。


 浅い呼吸を繰り返す鴇汰の頭上で鳥がさえずっている。

 修治の目の前を横切り、一瞬視界が遮られた直後、鴇汰の脇に銀髪の女が現れた。


「敵兵か!」


 獄を抜き放ち鴇汰をかばって構えた。

 小坂も洸を後ろ手にかばい、抜刀して切っ先を女に向ける。


「鴇汰くん。いつまでそうして転がっているつもりだ?」


「……叔父貴」


 鴇汰が女を叔父と呼んだ。

 鴇汰の身内だというのか。

 どう見ても女だというのに叔父だというのはどういうことなのか。

 ただ、声は男のそれだ。


「もう時間がないというのに……それにキミはそんなところで寝転んでいる場合じゃあないだろう?」


「そんな……鴇汰のこの姿、見てわからないんですか! 今すぐにでも手当てをしなければ、こいつは……」


「修治くん、心配しなくても大丈夫だ。さあ、鴇汰くん。いつまでもみんなに心配をかけるものじゃあない」


「あー……もう……わかってるよ! わかってるんだから、うるさく言うなって!」


 目を閉じて深く呼吸を繰り返し、鴇汰は脇腹に刺さった脇差を引き抜いた。


「抜くな鴇汰! 血が――!」


 修治は手にしていたタオルで鴇汰の傷を押さえた。

 すでに血濡れたタオルでは、鴇汰の傷から溢れる血がどれほどのものかわからない。

 鴇汰の手が修治の手首をつかみ、苦しそうな表情でなにかをつぶやいた。


「鴇汰!」


 聞き取れなかった今の言葉が最後の言葉になってしまうんじゃあないかと思い、背筋を嫌な汗が伝う。

 つかまれた手首から、体を燃やされたかと思うほどの熱が伝わり、傷のすべてに引き裂かれたような痛みが走った。


「――つっ!」


「あーっ! くそっ! いてーな! 痛みは取れねーのかよ!」


「それはキミがまだ弱いからだ。傷は治っているんだから、そう文句ばかり言うものじゃあない」


「弱くて悪かったな!」


 大きく息をつき立ちあがった鴇汰は、脇腹をさすりながら銀髪の女に悪態をついてみせた。

 刺された傷から血が溢れる様子がない。


 それに――。


 修治自身の傷からも、血が流れる感覚がなくなり、斬られた脇腹をみると傷が癒えていた。


「これは……」


「傷は治した。けど、痛むからな。まあ、無理すんなよな」


 鴇汰は術を使えなかったはずだ。

 傷を治したというけれど、いつか梁瀬に聞いたときには、短時間で治すのは無理だと言っていた。


「鴇汰……これは一体……」


「さあ、それじゃあ私は戻るよ。このあとすぐに暗示を解く術が放たれる。梁瀬くんも中央へ向かうはずだから、浜へ戻って合流するといい」


「俺は麻乃を追わないと……」


「梁瀬くんと合流するほうが早い。麻乃ちゃんより早く中央へ着かなければ駄目だ」


 銀髪の女はそういうと、鳥へと姿を変えて飛び去って行った。

 今、起こったことのすべてが修治の理解の範疇を超えている。

 聞きたいことは山ほどあるはずなのに、なにをどう聞けばいいかわからないまま、小さくなっていく鳥を見つめた。

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