第100話 漸進 ~梁瀬 1~
翌朝、巧がクロムが残しておいてくれた食材のほとんどを使い、朝食と昼食を作ってくれた。
穂高が呼びに来て部屋を出るまで、梁瀬はずっとロマジェリカと庸儀の様子をうかがっていた。
「ヤッちゃん、顔色が悪いけど、もしかして寝てないの?」
「ううん、ちゃんと寝たよ。こんなときだからこそね」
「そんなら体調でも悪いのか? 俺たちは今夜ここを出たら、あとはヘイトで待機してなきゃならねぇんだぞ」
「体調も悪くないよ。まずは食べよう。僕はもうお腹がペコペコだよ」
四人揃って食事をとるのは今日でひとまずおあずけだ。
連絡は欠かさず取り合うし、事がうまく運べば泉翔でこんな時間などいくらでも持てる。
けれど、それまではどうしても物理的な距離が、互いの行動に足かせを付ける。
こにいれば即座に判断できることも、ワンクッション置かざるを得ない。
それが良しと出ればいいけれど……。
「ロマジェリカと庸儀の件なんだけど」
食事が済み、穂高と巧が食器を片付け終えたのを見計らって、梁瀬は昨夜から今朝にかけて見たことを伝えた。
同盟三国の出航準備は、梁瀬が考えていた以上に早く進んでいる。
兵数はもとより船の数が多い。
庸儀では、もう使われることのなくなった船を修繕してまで数を増やしていた。
たどり着くことを優先して見えるのは、今度こそ泉翔を落とし、拠点とするつもりでいるからだろう。
巧が不安そうな面持ちで呟いた。
「そんなに? 私たち本当に間に合うのかしら?」
「うん、船の準備は進んでると言っても、やっぱり物資が整わないみたい。特に庸儀がひどいようだよ」
「だろうね……あんな土地じゃ、本来あるべきものもなくて当然だと思う」
庸儀の様子を思い出したのか、穂高が首を捻った。
「それでもクロムさんは昨日の時点で五日後って言った。完全に整わなくても泉翔は資源が豊富だし、それを狙って出るとすると……」
「やっぱり当初の予定は狂わないわね」
「やつらも必死だろうしな」
「ロマジェリカの軍師、マドルって言ったっけ? あちこち飛び回ってるしね。引き連れていく兵の多くは、暗示にかけられると考えていいと思う」
「あれを連れていくってのか? そいつは厄介だな……」
昨日になって梁瀬の術はすこぶる上達した、と自分で思う。
躍起になって練習をしてもうまく行かなかったのに、昨日、目が覚めて一番に出した式神は、難なく音を拾った。
試しに向かわせたハンスのところでも、しっかりと会話ができた。
驚きながらも喜んでくれたハンスの顔が忘れられない。
「でもね、僕らが相手にした傀儡みたいなのとは違って、半分以上はただの暗示なんだ」
「ってことは、倒れても起き上がるわけじゃないのね?」
「うん。あの変なのも混じってるし、恐れを取り除いているとしたら厄介なのには変わりないんだけどね」
三人は押し黙ったままでいる。
梁瀬を含め、修治と岱胡、恐らくは鴇汰も妙な敵兵は目にしている。
もう一度、それが目の前に現れれば、的確な指示を出せるだろう。
けれど泉翔の多くの戦士たちは、それを知らない。
見たことのない数、加えてためらいもなく闇雲に向かってくる敵兵に、どれだけ対応できるんだろう。
巧が両手で顔をこすり、大声を上げた。
「あーっ! もう考えても駄目! これだけはいくら考えたって埒が明かないわ。みんなを信じるしかない。私らが育てた戦士たちは、そんなにヤワじゃない!」
「……そうだね」
潔い巧のセリフに、穂高が苦笑して答え、一息つこうとコーヒーを淹れてくれた。
濃かったのか、巧が顔をしかめたのを見て、梁瀬はいつもより多めに砂糖とミルクを足した。
濃いコーヒーは麻乃が好んで良く飲んでいる。
麻乃の飲むコーヒーと同じ濃さを口にすると、ほとんどの人が今の巧と同じ顔をしたっけ。
「それから麻乃さんなんだけど……」
つとみんなの視線が梁瀬に向く。
なにも迷いがないわけじゃない。
言わずに済ませることができるなら、本当は言いたくはない。
「今、麻乃さんは自分の意思でロマジェリカにいる」
「それって操られてるとか、強い暗示にかってるわけじゃないってこと?」
「馬鹿な……麻乃が自分の意思で泉翔を襲撃しようなんて、考えるはずがねぇ……」
これまで一緒に過ごしてみてきた麻乃は、誰より泉翔を愛していた。
それは麻乃に関わったなら、誰もが感じ取れることだ。
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