第33話 襲来 ~鴇汰 1~

 ――イライラする。


 まだ外が真っ暗な午前四時、鴇汰は打ち合わせどおりに休ませていた予備隊や訓練生を起こし、各拠点もすぐに対応ができるようにすべての準備を整えた。

 それから数時間が経ち、もう陽は頭上まで昇ったと言うのに、敵艦の現れる様子はまるでない。


 昨夜は雨が降りそうなほど重い雲が広がっていたのが、今は雲一つない青空だ。

 とても敵兵が近くまで来ているとは思えないほど、海岸には穏やかな波音が響いているだけ……。


 西浜に庸儀の兵が既に上陸していると連絡があってから、気を張って待ち構えている。

 それが一向に上陸してこない。

 それどころか、敵艦の姿さえ確認できないままで待っている身としては、緊張感が高まり過ぎて苛立ちが募る一方だ。

 隊員たちも緊張のせいで疲労してきているのが、手に取るようにわかった。


 それに……。


 西浜が庸儀だとすると、この北浜はヘイトかロマジェリカだろう。

 そしてロマジェリカなら、そこに麻乃がいる。

 誰もが否応なく麻乃を意識しているのも、口に出すまでもなくわかる。

 何度となく監視隊ともやり取りを重ねているけれど、情報はまったく上がってこなかった。


「……ったく、一体どうなってるってんだ」


「西も南もまだなにも言ってきませんから、どちらもここと同じ状態なんでしょうね」


 空腹を覚えることで、更に苛立ちが増すのを危惧した元蓮華に勧められ、つい今しがた軽く食事を済ませてきた。

 まだ緊張感は解けないようだけれど、隊員や予備隊、訓練生は大分落ち着いたようにも見える。


 それなのに鴇汰だけはまだ気が収まらない。

 それどころかジッと座っていられないほど、焦りと怒りが沸き立ってくる。


 ロマジェリカに当たれば、麻乃だけでなくマドルもいる。

 麻乃が連れ去られた日のことが何度も頭をよぎり、泉翔へ戻ってから見た夢が胸を締め付ける。

 まるで麻乃を物のように扱っていた癖に、夢の中では一番近いところに立ち、触れていた。


(あの野郎だけは、どうあってもただじゃおけない)


 そう思っても、もしも対峙したときになにか術を使われて動けなくなったら……。

 またなにもできないままになり、敵兵を中央へ通してしまうかもしれないし、下手をすれば雑兵ごときにあっさり倒されてしまうかもしれない。


 鴇汰だけでなく、味方の誰もにそれが当てはまるのも怖くてたまらない。

 大会議室でテーブルを挟み、向かいに腰を下ろしている隊員たちの顔を見回す。


 鴇汰の部隊が二十人、穂高の隊から二十人、岱胡と梁瀬の隊からは十人、そして予備隊と訓練生を合わせて五十人残した。

 他には元蓮華が二人詰めてくれている。

 いつもの防衛戦とほとんど変わらない人数だ。


 この北浜にどれだけの軍勢がやって来るのか、まるでピンと来ないけれど、これまでの数倍だろうことはわかる。

 海岸は捨ててルートをとおし、分断してたたくにしても、本当にこの人数で回せるのか……?

 そんな不安も感じてはいる。


 それでもやらなければならないし、やられるわけにはいかない。

 視線に気づいた相原が顔を上げ、目が合うと、うっすらと笑いを浮かべた。

 その顔を見た瞬間、なぜか、ここにいる全員は大丈夫だ、そう思った。

 誰一人、失うことはない。

 なにもかもが、きっとうまく行く。


 内側から沸き立つ感情が胸を逸らせ、なんの根拠もないのに確信めいた思いが鴇汰を奮い起たせているのがわかる。

 それに合わせて鬼灯も腰元で熱を帯びて熱い。

 胸がジワジワと速度を上げて脈打つたびに、全身を駆け巡る血の流れが聞こえるかと思うくらい、集中力が高まっていった。


「……鴇汰隊長? どうしたんです?」


 古市が怪訝そうな目でこちらを見た。


(――いや、なんでもねーよ)


 そう答えようとしたのに、声にならない。

 鼓膜がビリビリと震え、ピンと突っ張っているかのように耳の奥が痛み、視界がぼやける。


 隊員たちが立ち上がった拍子に動いた椅子の音が、異様に大きく聞こえ、同時に目の前から完全に光が失われた。

 ざわめきと床に膝を付く感触だけが、鴇汰の体に届いた。

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