第3話 安息 ~マドル 3~

「こんなところにいたのですか」


 立ち止ってマドルを見つめている表情とは裏腹に、麻乃は高揚しているような憤りが抑えきれないような、奇妙な雰囲気だ。


「大体のことは女官から聞きました。ですから、あまり出歩かないようにと……お怪我はありませんか?」


「あたしが、あんな程度に手こずって怪我を負うわけがない」


 これでも本気で心配をしていたというのに、それが心外だと言わんばかりの視線で見上げてくる。


「それに誰も死なせちゃいない。あさってには問題なく動ける。二度と手を出す気にならないように、一人だけ腕を落としてやったけどね」


 フン、と忌々しそうに鼻を鳴らして顔を背けた。

 なぜか服が濡れている。

 淡い黄色の軍服が所々薄く朱色に染まっているところを見ると、近くの水場で返り血を落とそうとしたのだろう。

 横を向いた頬にも乾ききっていない血の筋が延びていた。


「あの女にも良く言っておくことだ。今度またあたしに構うなら……」


「……頬に血が」


 そっと左手で触れ、親指で拭ってから手のひらで頬を包んだ。

 何日も城にこもり、退屈していたところに、久しぶりに思う存分体を動かしたからだろうか。

 わずかに赤みを帯びた頬から熱が伝わってくる。


 そのまま肩に手を回して抱きしめようとした瞬間、激昂する感情と、半ば殺気を含む意識を感じた。

 ビリッと静電気を発したような痛みが左手に走り、思わず手を引いた。


(今の痛みは……)


 一瞬であっても刺されたような強い痛みで、全身に冷や汗を掻くほどに驚いた。


「……くっ」


 麻乃のほうも痛むのか、左腕を押さえて上半身を丸めている。


「大丈夫ですか?」


 差し伸ばした手を思いきり払い除けられた。

 細めた紅い瞳がキッとマドルを睨む。


「――あたしに触るな!」


 その一言と払われた手の痛みは、今まで燻らせていた思いと苛立ちに火を点け、一気に爆発した。

 きびすを返し、部屋へと続く廊下に向かって歩き出した麻乃の左腕を、後ろから力強く掴み取る。


「触るなと言った――」


 麻乃が振り解こうとして上げた腕を、グッと掴んだ。

 マドルのほうが歳は下であっても体格差があるぶん、麻乃よりは力が強い。

 掴んだ腕を服の上からでも通るほどにきつく握り締め、睨み据える瞳に向かって呟いた。


「……堕ちろ」


 力が抜けてガクンと崩れ落ちた麻乃の体を、両腕でしっかりと支えた。

 意識がないのを確認してから抱き上げる。


(こんなにも気にかけて尽くしてやっているのに。これまでも何度も傷を治してやっているのに。一体私のなにが不満だというのか)


 どこか一線を引いて、そこから先へ近づかせようとしない。

 まったくマドルを受け入れようとしない。


(今、命があるのも、自由に動き回ることができるのも、誰のおかげだと思っている……)

  

 歩むほどに苛立ちが増していく。


(――どうしてくれようか)


 このあいだは寸前のところで拒絶をされたけれど、今日はその心配もない。

 それならばいっそ行き着くところまで行ってしまうのもいいかもしれない。


 マドルが受け入れられずに、ほかに誰がいるというのか。

 未だ誰も現れていやしないのに。

 内側から沸き立つ感情を抑えられないまま、廊下を曲がった。


 なんの迷いもなく自分の部屋に戻るつもりでいたのに、廊下の奥から走ってくる女官の姿が目に入り、部屋の手前で立ち止まった。

 何日も世話をしていれば情が湧くのか、意識のない麻乃を見て青ざめている。


「藤川さま! まさかお怪我を……」


「いえ。疲れていたのでしょう。意識を失われているだけです」


 それを聞いて安心したのか、ホッと深く息を吐いた。

 女官が見ている前で部屋へ連れ帰るわけにも行かず、奥の部屋へ運び、ベッドへ寝かせた。


「衣服が汚れているので、着替えをお願いします。念のため怪我の有無も確認しておいてください。すべて済んだころに戻ります」


 そう頼んで部屋を出たものの、どうにも気が収まらない。

 また軍部へ戻り、建物の中にある小さな医療室の前に立った。


 中から人の気配を強く感じる。

 麻乃が一人の腕を落としたと言っていた。

 恐らく、その処置をするだろうと思ってきてみれば予想通りだ。


 コツコツとノックをしてドアを開き、庸儀の兵たちが驚いて身構えた瞬間を狙って金縛りにかけた。


「まったく……余計な真似をしてくれましたね。なにもなければ見過ごそうと思いましたが……」


 手にしたロッドで床を何度かたたきながら、全員の姿を眺めた。

 元側近の男が言っていたとおり、全員が見事な体躯だ。

 これが一斉に襲っても、麻乃は軽く退けたのか。

 トントンと一定のリズムを刻むロッドの音に、この場にいる全員が身体を揺らすのを確認した。

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