第165話 陰陽 ~鴇汰 2~
「おまえ、そんなところでなにをやっているんだ?」
怪訝な表情で鴇汰を見ている修治は、資料の入ったかばんと車の鍵を手にしていた。
「いや……ってか、なに? あんた、どこか行くのか?」
バツが悪くて、ろくに答えもせずに逆に問い返した。
どうやら一足先に道場へ向かうようで、やっぱり気になるのか、多香子の様子も見たいらしい。
豊穣の前に麻乃から聞いて、ずっと具合が良くなかったのは知っていた。
けど、病気じゃないし、かつて巧のそれを目にしている。
わかっていれば食べられるものも用意してやれるから、鴇汰としてはそう心配するものでもない、とは思う。
そうは言っても、それは鴇汰が当事者や親しい間柄じゃないからかもしれないが。
気になるのは、修治がこの話しを知っているのかどうか、ということだ。
麻乃には、確実にわかるまでは滅多なことを口にするな、と言ってあった。
そのあとハッキリわかったのだろうか?
鴇汰の目から見て、どうも修治はなにも聞かされていないような気がする。
(自分の子どもができたなんて言ったら、もっとこう……こんなときでも、あの人になにかしてやろうと思うんじゃねーのかな?)
それとも、こんなときだからこそ、殊更に自分の感情を表に出さないようにしてるんだろうか?
とりあえず、なにか食べられそうなものを、また作っていこうと思ってそう言うと、それより鴇汰自身のことと、あとのことを頼むと言われた。
そんなふうに言われると、俄然、やる気が出てくるのが不思議だ。
返事をすると、修治は満足した表情を見せてから出かけていった。
ホッと溜息が出る。
「彼は――ずいぶんと疲れているように見えるね」
背後でクロムがそう言った。
「そうかも。今、仲間が誰も戻ってないから、あいつが全部仕切ってるみたいだしな」
「鴇汰くん、少し気をつけてみていてあげたほうがいい」
「なんでよ? そんなに悪そうに見えるのか?」
「悪そうと言うより……思い詰めているんじゃないか? 張り詰めているのがわかるよ。少しは気を緩めないと、ちょっと危ない判断を下しそうだ」
敷地を出ていく車を見えなくなるまで見送った。
クロムがおかしなことを言い出したせいか、急にわけのわからない不安が押し寄せてくる。
これから起こることに抜け出せないほどの暗雲が立ち込めてきそうで嫌な気分だ。
「良くわかんねーけど、叔父貴がそう言うなら気をつけてみてるようにするよ」
「鴇汰くんは、ああいうしっかりしたタイプ、嫌いなんだろう?」
また、クロムが笑う。
心の中を見透かされたようで軽くイラッとした。
「別にしっかりしたタイプが嫌いなんじゃねーよ。ただ……あいつはいつも……」
いつも思う相手に添っていたから気に入らないだけだ。
けれど、そんなことで人の好き嫌い云々というのが恥ずかしくて、言葉を濁した。
「どうやら芯は同じようだね、とても良く似てる」
「なにがよ?」
「キミと彼がね。どちらも陰陽になり得る……同じにはならない。必ず一方が動き、一方が支える……芯は同じなのに面白いことだ」
――似てるって?
鴇汰は修治とは水と油だと思っているし、みんなもそう思ってるに違いない。
似てるなんて言われたのも初めてのことだ。
一体どこをどう見れば、そんな考えにたどり着くのか……。
どうにもクロムの感覚にはついていけない。
「ありえねーよ。そんな話しを聞いたら、あいつだって鼻吹いて笑うぜ」
「そうかい? 意外と自分では気づかないものだよ。似ているからこそ気に入らない、そんなこともあるからね。まぁ、馬鹿な子にはわかるまい」
「……馬鹿って言うなって何度も言ってんだろ!」
キッと睨むと、鳥は羽ばたきを数回してから、近くの木へ飛び移った。
「さて、私はそろそろ行くよ。今日は恐らく西区にいるけれど、明日は東区に顔を出してくる予定だ。昼にはもう一度、連絡をするから」
そう言い残し、麻乃の道場がある方角へ飛び去っていった。
結局また、どこの誰に会いに行くのかさえも聞けないままになってしまった。
『あとを頼む』
修治にそう言われたけれど、今の鴇汰になにができるだろうか。
元々、麻乃の隊員たちには今一つ覚えが良くない。
そこに加えて今回の事態だ。反発されても仕方がない。
だからと言って岱胡に押し付けるわけにも行かない。
とりあえず今は岱胡と今夜の準備をしながら、北区へ移動してからの支度を進めるしかなかった。
(おまえ、一体今、どこでなにをしてるんだよ……)
西浜に続く空を見上げ、麻乃のことを思った。
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