第143話 双紅 ~マドル 8~

 移動中のジェの機嫌は最悪だった。

 表門に用意された車に乗り込む際に、顔を合わせたジェと側近のあいだに、微妙な距離感が漂っていた。


 麻乃に手を貸したものたちは、全員がジェの罵声を浴びせられ、幌付きのトラックへと追いやられてしまい、最後までジェのもとに残っていた二人だけが、今、同乗している。


 庸儀までの道中、延々と毒づいているジェの言葉を聞かされ、うんざりした。どうやら全員を遠ざけ、増員した兵の中から気に入ったものを選び直して引きあげるつもりらしい。


 本人がそれで満足するというのなら、それでも構わないとは思う。

 今いる側近のジェに対する信頼が、どの程度まで落ちたのかはわからない。

 けれど今日のようなことは、隠そうとしても密やかに周囲に伝わっていくものだ。


 兵の中に浸透してしまうだろう不信感を、いつものやりかたで取り戻せると思っているのだろうか?

 信頼の薄れた関係から、ジェ自身の盾として使えるほどに夢中にさせるまで、どれだけの日数が必要になるのかわかっているのだろうか?


 泉翔へ渡るまで、あと数日だというのに。


 そんな手段を用いなくても、ただ当り前の行動で周囲のものを惹きつけた麻乃は凄いと思う。

 まったくもって面倒以外のなにものでもない。

 側近の件に関しては好きなようにやらせることにして、マドルは侵攻の際の作戦や物資の準備にだけ力を注ごうと決めた。


 庸儀に入ったころには辺りは夕闇が迫り、城に着いたときにはもうすっかり夜の帳がおりていた。

 もっと早くに着くと思っていたのがとんだ誤算だ。

 これから軍のものを集めて準備をするには、時間効率が悪過ぎる。


 迎えに出てきた兵に、明朝八時から、軍部の会議室に全員が集まるようにと伝達をさせた。

 用意された部屋に通され、マドルの伴ってきた側近たちと翌日からの予定を組み直すと、今夜はすぐに休むことにした。

 横になって一息つくと、不意に麻乃を思い出す。


(出発前に見送るつもりが、逆に見送られることになってしまった……)


 女官にも同行させた側近にも、もちろん本人にも早く帰るように言い含めてはあるが、本当に戻っているのだろうか。

 なにも起こりやしないと高を括って、ジェが裏で手を回したものたちに危害を加えられたりしていないだろうか。


 ジッとしていられずに立ちあがると窓の外を見た。

 外は真っ暗で、当然なにも見えない。

 それが一層、不安を掻き立てるのか、ついさっき庸儀へ着いたばかりだというのに、もうロマジェリカに戻りたくなっている。


 麻乃の意識に同調してみれば、今、なにをしているのかがわかる。

 様子さえわかれば妙な気持も静まるだろう。


(とはいえ、今、むやみに力を使うのが得策かどうか……)


 以前ほどではないにしろ、ほかのものと同調するときより麻乃のほうが消耗が激しい。

 今、疲労してしまって、なにかあったときに即座に対応できるかどうか疑問だ。

 それでも、どうしても気になってしまう思いと知りたいという好奇心に勝てず、横になると意識を飛ばした。


 最初に伝わってきたのは、ひどくガッカリした感情だった。

 暗い中を歩いている。

 どうやら外のようだ。まさか、まだ城に戻っていないのだろうか?


(ほかのものは残っていたのに……あんなに探してもないなんて……)


 麻乃の心がそう言った。

 武器は見つからなかったということか。

 良さそうな刀だっただけに、通りかかった何者かが持ち去ってしまったのかもしれない。


 甘ったるい匂いが鼻を衝いた。

 ふと横に視線を移すと、どこで調達してきたのか、ロマジェリカでは比較的多く見かける花を、女官が束にして抱えていた。


 向かう先に見えてきたのは城の裏手に作られたリュの墓だった。

 単純にリュを憐れむ想いだけが伝わってくる。

 かつてどうだったのかはわからなくても、今、特別な想いを抱いているわけではないと、ハッキリとわかった。


 刀が見つからなくても、日暮れ前には川沿いのあの場所を発ち、城へ戻ってからも言いつけ通り外へ出る際には女官を伴っている。

 マドルの言葉に耳をかたむけ、その通りに動いていると知った途端、ギュッと締めあげられたような痛みが胸に走り驚いて意識を戻した。


(今の痛み……こんな痛みは今までなかった……)

  

 疲労し過ぎたせいだろうか。

 それとも知らぬ間に体の内側を蝕まれているのだろうか。

 まだ、倒れるわけにも死ぬわけにもいかない。

 自分の体のことなのに、なにがどうなっているのかまったくわからないのが怖い。


(当分は力を使わないで体を休め、来るべき日のために備えなければ……)


 その日のために、これまでマドルがしてきたことを思い出し、決して失敗などしないよう、何度も何度も自分の描くヴィジョンを反芻した。

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