第142話 双紅 ~マドル 7~

 そう言ってみたけれど、正直なところ、そんなことなどみじんにも思っていない。

 リュの亡骸などどうでも良かったし、むしろどこか遠くにでも捨ておけばそれでいいとさえ思う。


 けれど今、そんなことを口に出しては麻乃の反感を買うだけだ。


 ジェの側近たちも麻乃に賛同しているのか麻乃の下で動くことになんの苦も感じていない様子だ。

 一人が気を利かせて荷車をひいてきた。

 その上に亡骸を乗せ、城の裏手に向かって歩き出す。麻乃の横に並び、そのあとをついていった。


 鉄錆の臭いがして、麻乃の服にも髪にもかなりの量の血が染みていることがわった。

 紅い髪のせいで目立たないけれど、リュの血に塗れた手が触れていた。


「彼は……最後になにか言ったのですか?」


 事切れる間際、麻乃がリュの口もとに耳を寄せていた姿を思い出す。


「……最初、あたしをあの女だと思ったようだった。違うとわかってひどくガッカリしていた」


 そんな思いで逝ってしまうなんて可哀相な人だ。

 荷車を見つめたままでそう言った。


「それでも、最後に誰かに……貴女に支えられたんです。彼にとっては幸せなことでしょう……貴女には一言も残さなかったのですか?」


「あまり簡単に人を信用するなと言われた。自分こそがあたしを騙しておきながら、よくもそんなことが言えたものだ」


 懐かしそうに目を細めてから、麻乃は苦笑いをした。

 そんな表情を見たのは初めてだ。

 そしてさっきから時折、不快感を覚える。


「馬鹿な人だ……諜報なんて放り出してあの女と関わりを断って、あのまま島に残っていれば、こんな死にかたをすることもなかっただろうに……」


 最初に鬼神の情報を持ちだしてきたのはリュだ。

 そのときに、どうやら二人のあいだになにかがあったらしいとは知っていた。


 けれどそれがなんだったのか、マドルにはわからない。

 今また麻乃と同調してみたところで、過去に起きたことは知りようがない。

 当時のことを思い出してどう感じているかがわかるだけだ。


 これからするべきことに、なんの関わりもないのに知りたいと思った。

 常にそばにいた修治とのことも、周りをうろついていた鴇汰のことも、なにもかもすべてを――。


「思ったより早かったな」


 麻乃のつぶやきに、ハッと我に返った。

 見れば、森の入り口にほど近いところで、ジェの側近が四人がかりで穴を掘り終えていた。

 荷車からおろされたリュの亡骸が納められ、側近たちが少しずつ土をかけていった。


 こんもりと盛りあがった土の山に、一人が棒切れを立てた。

 それがひどく寂しげにみえる。

 この辺りもすっかり緑が枯れ、墓標を飾るものもない。

 それでも麻乃は、大木の脇にひっそりと咲いていた小さな花を摘んで添えると、ひざまずいて目を閉じた。

 ジェの側近も、大人しく同じように目を閉じて祈っている。


(――意外だ)


 ジェ以外には……マドルにさえ従うことのないこの側近たちが、素直に麻乃に従わされている。

 なにを感じているのか、うっすらとわかる気がした。


 たとえば戦いの最中、ジェを庇って倒れても、当然のようにそのまま捨て置かれるだろう。

 けれど、それが麻乃であったときには手厚く葬ってもらえる。

 自分が存在した証しが、こうして残るのだ。


 たった数回の快楽を与えられただけで、最後はゴミ同然のように捨てられるか、ただ添うだけで、最後の瞬間を過ぎても人として扱われるか、人の心情として選ぶとしたら後者だろう。


 今、ここにいる誰もが、つい今しがた起こったことを自分の身に置き換えて考えているに違いない。


 城から女官が一人、駆け寄ってきてジェの支度が整ったことを告げた。

 ジェの側近たちは戸惑いをみせて麻乃を振り返る。

 麻乃は肩をすくめ、早く行けと言って追い払うように手を振った。

 名残惜しそうにしながらも側近たちは城へ戻っていった。


「あなたも、早く行ったほうがいい。面倒なことは避けるつもりでいたのに、出かける直前に揉めごとを起こして悪かったよ」


 歩きながら麻乃はマドルを見あげて、申し訳なさそうな顔をした。


「いえ……私のほうは心配要りません。それより貴女のほうこそ、髪を洗って着替えを済ませてください、出かける準備は整っていますから」


 麻乃は黙ってうなずいた。


「それから、私の手のものにも言い聞かせてはありますが、くれぐれも日暮れ前には戻るようにお願いします」


「わかっている」


「それでは、私は先に……」


「あぁ、気をつけて」


 速足で歩きながら、今度は心地良さを感じていた。


(気をつけて)


 その、たった一言で。

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