第141話 双紅 ~マドル 6~

 血に濡れた手で触れた髪は湿り気を帯び、風になびくこともない。

 淡い黄色の軍服も所々を赤く染めている。

 異様な雰囲気に、ジェの側近の数人が顔色を変えて振り返った。


 麻乃の周りの空気が張り詰めているのがわかる。

 怒りの感情があふれているのが目に見えるようだ。


「おまえと……それからそっちのあんた。この人の着替えを用意しろ……ちゃんとした服に着替えをさせるんだ」


 指を差された二人は、ジェを気にしながらも麻乃に従い、城へと着替えを取りに戻っていった。

 麻乃はそれを確認してからさらに側近の数人に向かって、濡れた布と、真新しいシーツを二、三枚用意するよう命令している。


「真っ白のシミ一つないシーツを用意するんだ、いいな?」


 その言葉に黙ってうなずき、弾かれたようにジェの側近たちは次々に城へと駆け戻っていく。

 最後に麻乃は、残ったものに城の裏手にある森にリュを葬るための穴を掘れと言った。

 なにが起きたのかわからないといったふうに、その様子を見ていたジェが、やっと我に返って麻乃に詰め寄った。


「なにを勝手なことを! あんたたちも、こんな女のいうことを黙って聞いているんじゃないよ!」


 渋々とながらも、麻乃に気圧されて命令を聞き、城の裏手へと向かって歩き出した側近たちを怒鳴りつけている。


「あんたがやらないから、あたしがやるだけだ。この人をくれると言ったじゃないか。あたしがどうしようが勝手だろう」


「私の側近たちを、こんなくだらないことのために使うんじゃないって言ってるんだよ! やりたきゃあんだが一人で……」


「くだらない……? あいつら全員、この人の仲間だろうが。言われなくてもこの程度のこと、やって当然だ」


 麻乃の言葉に、ついにジェがキレた。

 背を向けた麻乃に突然斬りかかる。

 麻乃は振り返りもせずにそれを避け、振りおろされたジェの剣は鈍い音を立てて地面をたたいた。

 それにカッとして、さらに攻撃を続けても、ことごとくかわされ続けている。


(どう止めに入ったものか……)


 考えあぐねていると、ついに麻乃も刀を抜き放ち、軽くジェの剣を弾き飛ばした。


「そんな腕前で、このあたしを倒せるとでも思ったか。あたしのやることに口を出すな。以前にも邪魔をするなと言ったはずだ」


 麻乃には敵わないと感じたのか、ジェの動きが完全に止まった。

 麻乃はひどく冷たい視線でジェを一睨みすると、刀を下から掬いあげ、そのまま斜めに振りおろし、鞘に納めた。

 ジェのドレスの胸もとがハラリと裂け、肌が露わになる。


「着替えるんだろう? さっさと行けばいい」


 歪んだ表情と、これまでに見たことのない目つきが、ジェを激しく憤らせているのがわかった。

 麻乃は素知らぬ顔で、戻ってきたジェの側近から濡れたタオルを受け取ると、リュの脇に屈み込んで、血濡れた顔や体を丁寧に拭いてやっている。

 マドルはとりあえず上着を脱ぐと、ジェの肩にかけてやった。


「まずは着替えを……それが済み次第、庸儀に向かいましょう」


 麻乃ではなく、先にジェに声をかけたことで少し気が紛れたのか、マドルを見あげたジェの目が媚びた色を浮かべた。

 どちらも互いの存在に憤りを感じている以上、早く遠ざけたほうが良さそうだ。


 それに、麻乃がこうも好戦的な態度に出るとは思わなかった。

 正攻法で向き合えば、今のようにジェが敵うことはないとしても、裏でなんらかの手を回されては麻乃に危害が及ぶかもしれない。

 ジェは手を貸そうとする側近を跳ね除けて、さっさと城へと戻っていった。

 汚れを奇麗に拭き取ったあと、女官の手を借りてリュの服を着替えさせている麻乃の後ろに立った。


「ずいぶんと手厚く送り出してやるのですね。貴女もこの男にはひどい目に合わされたのではないですか?」


「別に……こんなの、亡くなってしまったものに対しては当たり前のことじゃないか……亡骸をそのまま放っておくなんて、あたしにはできない」


 死んでしまった雑兵や敵兵の亡骸など、いちいち気にしていては、きりがない。

 残っているジェの側近も、そう思っていたのだろう。

 麻乃の言葉に意外だといいたそうな表情を浮かべている。


「これが戦争なら、それも仕方がないかもしれない。けど今は違う。あんたたちの仲間じゃないか。手厚く葬ってやってなにが悪い?」


 こちらの思いを察したのか、麻乃はそう言ってから、ジェの側近にシーツでリュの体を丁寧に包むよう指示を出した。


「悪いなどということはありません、ですが大陸では上級の兵でもなければ、こうまですることは少ない……それを考えると、貴女のしてくれたことはこのものにとっても喜ばしいことでしょう」

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