第138話 双紅 ~マドル 3~

 感情に流された行動も、思慮のなさも愚かなことだといつも思っている。

 マドル自身はなにがあっても冷静に考え、決して感情に振り回されることなどないと信じていた。


 それが――。


 麻乃に関わってから、どこか冷静さを欠く。

 普段なら絶対に考えないようなことを思い、行動しようとしているさまざまな自分に気づかされる。


 感じたことのない不愉快さと、心地良さに揺さぶられ、突き動かされてしまう。

 思い通りにならないうえに拒絶されたことで、ついため息がもれ、そんな自分にまた苛立つ。


「泉翔付近には夜に着くのか……上陸は日中……正攻法でいくとは意外だな。夜襲でもするのかと思ったのに」


「これまでもそうでしたが、泉翔の内部は知りようがなく不確かです。首尾よく堤防を越えられたとして、夜間であっては動きようがありません」


「確かに、どの国からも夜間の侵攻は少なかったな……」


 資料から顔をあげた麻乃は、遠くを見るような目を窓の外へ向けた。


「それに貴女は殲滅はさせないとおっしゃった。ですから私たちも、制圧を目標として動くことを第一に考えました、その結果です」


 その先のことは貴女次第です、そう言って麻乃の表情を見た。

 ジッと資料を見つめていた視線が刀に移る。

 今まで麻乃は常に刀を二本持っていた。

 手もとにあるのが一本だけでは不安があるのだろうか。


「必要なものがあるならば、今のうちに仰ってください。こちらで用意できるものであればすぐにでも揃えましょう。たとえば武器など……」


「扱い辛い武器を何本持ったところで、なんの意味も成しやしない。必要なものは泉翔で手に入れる」


「そうですか。では、ほかになにか思いついたときには、女官に言いつけてください」


 麻乃がうなずいたのを確認してから、今日の昼から四、五日の間、庸義とヘイトへ出かける旨を伝えた。

 そのあいだ、できるだけ部屋で過ごし、どうしても城内で動きたい、外に出たいといったときには、必ず女官を連れていくように言い含めた。


「……窮屈な話しだな」


「ご存知ないでしょうが、この国は血を重んじますから、異人と見られたときに面倒な事態に……」


「いい。わかった。面倒なことはあたしも嫌いだ」


 外へ出られて兵と揉めるようなことがあったり、万一、皇帝に麻乃の存在を気づかれたりしては、せっかくいろいろと言い含めたことがすべて無駄になる。

 わかったと言うからには、本当に出ないだろう。


「ただ、一日だけでいい。行きたい場所が……あなたに助けられた日、あたしがいた川沿いの場所に」


「あの場所へ? ですがいくら貴女でも一人では危険でしょう」


「別に長居をするつもりはない。探しものがあるだけだ」


 そういえばあのとき、庸儀の兵士の武器と共に麻乃の刀を一刀置いてきた。

 まだあの場所にあるとも思えないが行かせないと目を離しているあいだに抜け出してでも探しに行くだろう。

 城から離れた場所では付き添うのが女官だけでは心許ない。


「わかりました、では、側近に車を用意させましょう。それでしたら時間もかからず危険も減るでしょうし……昼前に迎えにあがります」


「そうしてもらえると助かる」


「ですが、たとえ探しものが見つからなかったとしても、必ず陽が沈む前には戻るようにしてください」


「わかっている」


「それから、出航までに決まった詳細については、私の側近から逐一報告させるようにします。ほかになにか希望はありますか?」


 必要ないというように、麻乃は煩わしそうに手を振ってみせた。

 そのあとも何度か問いかけを含めて会話を繋ごうとしてみた。

 どうもうまくいかず、麻乃が少しずつ苛立ってきているのを感じ、部屋をあとにした。


 廊下へ出ると、窓の外はいつの間にか黒から濃紺に変わり、明け方の色に染まり始めている。

 部屋へ戻っても、ジェがいるだけだ。


 こんな時間に目を覚まされたら、少しも休む暇がないだろう。

 そう思うと部屋に戻る気になれず、そのまま軍部に向かい、これからの予定を詰めることにした。


 ちょうど昼夜の番の交代時間だったようで、詰所には多くの兵が控えている。

 側近を呼び集め、麻乃を送る準備を手配した。

 一番使えた男を、先だっての反同盟派と麻乃の争いで失ってしまったことを思い出す。


 残った側近の顔を見回し、仕方なくその中から人柄の落ち着いたタイプを選ぶと、地図を広げて川岸を指し、その場所に麻乃を案内するよう指示を出した。


「昼前に裏門へ案内しますから、そちらへ車の用意をしておいてください」


「わかりました、ですが……大丈夫でしょうか?」


 不安そうな顔でそう問いかけてきた。

 確かに、なにかトラブルがあった場合、側近が一人では対応しきれない可能性がある。

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