第137話 双紅 ~マドル 2~
(強過ぎる術を使えることは、いつでも自分を危険に晒し、他人からの妬みや嫉みのもとでしかなかった……)
だからこそ、幼いころから城にあがるまでは、マドルは力をひた隠しにしてきた。
使うことで周囲に利用され、邪険にされるのは耐えられなかった。
たとえ回復の術だとしても大き過ぎる力は、いつも疎まれるだけのものでしかなかったのに――。
それが今、真意はどうあれ、麻乃は手放しにマドルの力を欲してくれている。
他人から求められる思いに生まれて初めて胸の奥で心地良さを感じた。
(不安な思いを……感情を隠さずにいることも、私に対してそれなりに心を開いている、ということだろうか)
部屋の片隅に控えている女官にそろそろ休むよういいつけ、部屋を出るのを見送った。
まだ窓の外を眺めている麻乃に近寄ると、その肩に触れた。
眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべて振り返った麻乃をそっと抱き締めてみる。
触れるのは初めてではない。
その身を捕えたときも、暗示にかけて大怪我をさせてしまったときも抱きかかえはした。
けれど、どちらもただそれだけだ。
今は腕に、胸に、人の感触と体温が伝わってくる。
こうしてみて小柄であることに改めて気づく。
腕の力を緩めて少し身を離すと、こちらを見上げている麻乃の視線とぶつかった。
紅い瞳に自分が映っているのがわかるほどに近い。
そのまま唇を寄せようとした瞬間、脇腹になにかが触れたのを感じた。
視線を移してギクリとする。
「……なんの真似だ?」
無表情で見つめ返してきたその目に、戸惑いの色を浮かべて麻乃はそう言った。
いつの間に抜き放ったのか、脇差しをマドルの脇腹にしっかりと当てている。
そのまま手を滑らせれば、なんの抵抗もできずに斬られてしまうだろう。
「あなたには感謝している。傷を治してくれたことも、迷いを断ってくれたことも。だからこそ、その見返りに自ら動いて、大陸に危害が及ばないようにするつもりだ」
「それはもちろん、ありがたいことだと思っています」
「あなたもそれを望んでくれると思っていた。大陸を守りたいという強い意志を感じた、だからだ。それが……求められることがこんなことならば、あたしはあなたを買い被り過ぎていたのか?」
麻乃にそう問われ、マドルが今しようとしたことが、ジェのしていることとなんら変わりがないと気づいた。
どうしても欲しければ、手段を選ばなければ方法はいくらでもある。
とはいえ、こうまで言われた以上、そんな浅はかな真似はできないし、なにより得られそうな信頼を失くすデメリットのほうが大きい。
自分の行為につい、含み笑いが漏れた。それをどう受け取ったのか、麻乃は安堵の表情を浮かべた。
「失礼しました……先のことを考えて、少しばかり不安が過ぎったものですから。私ほどではありませんが、回復術の強い部下を貴女につけましょう。少しの傷ならば、そのもので十分でしょうから」
麻乃から体を離し、椅子に腰をおろす。
女官が持ってきた水差しから二つのグラスに水を注ぎ、向かい側の椅子を麻乃に勧めた。
脇差しを収めて椅子に腰かけた麻乃は、さっき渡した資料に目を通している。
「西浜で防衛を突破すれば、あとは中央へ向かうだけだ。自分の身をも守れないやつが近くにいるだけで気が削がれる。いないほうがマシだ」
「戦闘のおりには、術師のほとんどは身を潜めています、その心配は無用です」
「この資料……各浜から中央に向かうか……一週間後じゃあ、物資調達が間に合わないんじゃないのか?」
「ええ、貴女には不本意なことでしょうが、各浜の拠点を抑え、現地で調達させていただきます」
手もとに落としていた視線をマドルに向け、フンと鼻で笑った。
「あたしたちが手塩にかけて育てた部隊だ。簡単に抑えられると思わないほうがいい。十分な物資を持ってしても、中央にたどり着けるのは恐らく半数以下だ」
「そうだとしても、私たちはやるしかありません。それに貴女が上陸するとなると、主立った兵力は貴女のあらわれたところへ呼集されるでしょう。私たちはそこを衝く」
「そこまで覚悟しているなら、あたしはなにも言わない。出兵させるも控えさせるもあなたたち次第だ」
そう言ってまた、麻乃は視線を資料に戻す。
信頼が得られたかもしれない、近づいたかもしれないという思いを打ち砕くような、突き放した物言いだ。
リュには許されてマドルには許されなかった、たった一歩の距離にも、戸惑いと不安を掻き立てられる。
リュなどに劣っているとも思えないのに……。
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