第32話 庸儀 ~巧 2~
「だってねぇ、こんなときだもの、仕方ないじゃない。敵兵に遭遇するよりは危険が少なかったでしょ?」
「まぁね。でも、今日のあれは、梁瀬さんに匹敵する走りだったかもしれない」
扉を閉めてランプに火を灯し、廃屋の床に腰をおろす。
食事の準備をしながら、巧は笑いが込み上げた。
「ヤッちゃんもねぇ。あんな運転で、良くこれまで事故を起こさずにいるわよね」
「それにしても帰りならまだしも着いて早々、こんなふうに接触する危険を感じたのは、これが初めてだよ」
穂高はランプを掲げ、廃屋を隅々まで見て回っている。
周辺に落ちているボロ布などを隙間に詰め込み、明かりが漏れるのを防いだ。
「幸先悪いわよね。黒玉のご利益もありやしないじゃないの」
「本当だよ。ほかのみんなはどうしているだろう」
「そう心配しなくても大丈夫よ。こんなこと、なかなかありやしないんだから」
「うん……まぁね」
「今日は遅いから、早く食べて休みましょう。距離を稼いだし、予定より早いけど、明日は一気に奉納場所まで行くわよ」
きっと、鴇汰のことが気になるのだろう。
心配しているせいか、穂高の表情が暗い。
うながして食事をさせ、早々に眠りについた。
廃村の外れに巧は立っていた。
村の裏手にある小さな沼へ向かいながら
(今日は三種類の薬草を摘み取らなくては……)
そう思っていた。
巧自身が考えていることなのに、妙な違和感を覚える。
なんだって薬草など摘み取らなければいけないのか。
それでも、これが巧の仕事で、必要なぶんだけは必ず見つけ、摘み取らなければならないことはわかっていた。
沼の周囲には見たことのない、真っ赤な植物が群生している。
(なによこれ……こんなに深くて濃い赤の植物なんて初めて見たわ)
摘み取ってみようと伸ばした手を、後ろからつかまれて阻まれた。
ハッとして振り返ると、シタラがたしなめるようにゆっくりと首を振る。
「……シタラさま?」
「触れぬほうが良い」
なぜなのかを問おうとしたとき、村のほうから悲鳴が上がった。
家屋のあいだから逃げ惑う村人たちの姿が見える。
シタラは巧の手を握ると、身を隠しながら、村の奥にある小さな家の中へ逃げ入った。
戸口から外の様子をうかがってみると、村人を無差別に斬り殺しているのは、長い髪を振り乱した女だ。
(あの女! 確か、ジェ……、だったかしら。でもあの黒髪は……?)
嬉々として剣を振るっている姿は、気がおかしくなっているとしか思えない。
徐々に悲鳴が少なくなっている。
(腕前のほどは知れてるわね。でも、誰も抵抗しないのは、武術に長けたものがいないからかしら?)
シタラは書棚から、古い本を数冊取り出してくると、それを巧に差し出し問いかけてきた。
「これを人目に触れぬところへ隠すなら、どこが良いか?」
真っすぐに巧を見つめているシタラの目は、最後に見たときと違って暖かな光を携えている。
「人目に触れないところと言っても、私はここのことは良くわかりません」
そう答えたのに、体は本を受け取ると、部屋の中をぐるりと見回し、窓辺に近づいた。
外はもう、なんの音も聞こえず、人の気配もジェのそれしか感じない。
なにかを探しているのか、ジェは一戸一戸に踏み入り、家中を荒らしているようだ。
音を立てずにそっと窓を開けると、その戸袋に本を落とした。
シタラは小さくうなずき、それで良い、と言った。
「シタラさま、これは一体どういうことですか? それにあの女……確か赤髪なのに黒髪で……」
それには答えずに、ジッと巧の顔を見詰め、首に手を伸ばしてきた。
突然のことに思わず身構えると、シタラは巧が身につけているはずのない黒玉のペンダントをつかんだ。
「まこと、たやすい。おまえたちは本当に、どこまでも温いお子たちだ。己が感覚を信じなさい、疑わしきことは納得のいくまで追及するのだよ。八人もいるのだから、もっとしっかりなさい」
シタラは黒玉を引き千切って放り投げた。
「でも……それはシタラさまが私たちにくださったものではないですか?」
「目に見えるものすべてが正しいわけではないと、おまえたちは知っているはず」
そのとき、ドアが勢い良く開いた。
驚いて振り返ると、ジェが不敵な笑みを浮かべ、剣をかかげている。
「まだ生き残りがいたのかよ」
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