第8話 若き軍師 ~マドル 8~

 着々と準備を進めるあいだ、マドルは再度リュに暗示をかけて、聞き出せるかぎりの情報を手に入れた。

 出発前日、血相を変えたジェが部屋へと駆け込んできた。


「この時期に、泉翔へ侵攻するなんて、どういうことなんだい!」


「どうということもありませんよ。ジャセンベルが侵攻するという情報が入りましてね。兵の割かれる今がチャンスだという皇帝の命で動くだけです」


「だからって、わざわざ……あんたが行く必要なんてないだろう!」


「これでも私は、この国で一番大きな部隊の軍師です。ほかのものを行かせて、万が一にも泉翔を落とされたら立場がありませんからね。手柄をみすみす誰かに渡すような真似を、私がするとでもお思いですか?」


 鼻息を荒くしたジェは探るようにマドルを見つめている。


「どうかしましたか? なにか問題でも?」


「別に。ただ、あんたのことが心配なだけだよ」


 ジェは体をマドルに寄せ、そう答えて強引に唇を重ねてきた。

 その肩を押さえ、マドルは体をスッと離す。


「明日は陽が昇る前に出発しなければなりませんからね。今夜はお帰りください」


 部屋の扉を静かに開け放し、外へ手を向けて出ていくよう、ジェをうながす。

 思い通りに動かないマドルに恨めし気な視線を向けると、思いきり扉を閉めて出ていった。

 泉翔へ行くことで、本物の鬼神を目にするかもしれないと危ぶんでいるのだろうか?


 うっかり今夜、一緒に過ごしたら、明日の出撃を妨げられるかもしれない。

 マドルは今夜は眠ることを諦め、部屋の鍵をしっかりと閉じた。


 留守中に忍び込まれてもなにも見つからないよう、ジェの部屋から写し取ってきた書類のすべてを焼き捨てる。

 何度も読み返し、記憶に納めた今、形に残るものは邪魔でしかない。


 侵攻の準備を始めてから、ロマジェリカ国内と庸儀から一般の成人男子を併せ、およそ一万人を集めてきた。


 それだけの人数を暗示にかけたとして、すべてを動かせるのか。

 一定以上の距離を置いたとき、どこまでがマドルの術中範囲なのか。

 そして他人を介して、マドル自身の意識がどこまで届くのか。


 どんなに強い暗示をかけても死んでしまえば動かなくなってしまう。

 動かなくなった兵を、最大、何人まで術で動かすことができるのか。

 どれも、これまで試してみたことはない。


 国内の術師たちは、五、六人、多くても十人程度が限界だけれど、マドルはもっと多くの人数を動かせる。

 ただ、どれだけ動かせるか正確にはわかっていない。

 それを実験的に確かめるには十分すぎる数だ。


 泉翔は、いつでも少数部隊でやってくる。

 ジャセンベルが島の北側を攻めるとの情報が入ったため、ロマジェリカは西側から攻めることにした。

 もしかすると、鬼神は北側に出るかもしれない。

 そうなると、今回準備したことのすべてが無駄になってしまう。

 けれど、確信に近いなにか予感めいたものがある。


(西側に、必ず来る)


 暗示をかけた兵には、油を染み込ませた胴衣を着けさせた。

 開戦後、様子を見て火をかけて混乱を起こす。

 それに乗じて意識を近づけ、繋ぎをつけるつもりだ。


 今回の侵攻で泉翔が落ちるなどと、マドルは微塵も思っていない。

 鬼神を手に入れる準備を整えることさえできればいい。

 あとはただ、かかかるのを待つ。


 夜明けが近づいてきた。


 これまでマドルは、なにをするにも常に力を抑えてきた。

 今度ばかりは、抑えることなく持てるかぎりの力を出さなければならない。

 たとえ最後にはひどく消耗して、苦しい思いをしたとしても失敗するわけにはいかないのだから――。


 マントをまとうと、ロッドを手に部屋を出て側近を誘い、戦艦の待機している港へと向かった。


「マドルさま、泉翔が見えて参りました!」


 呼び声に、船内から甲板へあがった。

 ゆっくりと入り江が迫ってくる。


 砂浜の奥、堤防の上には泉翔の戦士が立ち並ぶ。

 その兵数はやはり少ない。

 合図をすると、各戦艦に振り分けられていた雑兵が飛び出していった。


 念入りに暗示をかけられた兵は、迎え撃つ泉翔の戦士に斬りつけられても怯むことも倒れることも忘れ突き進んでいく。

 砂浜までの距離は思ったより近い。

 それでも人数が多いぶん、人の姿を見分けるのは難しい。


 マドルは側近の一人からスコープを受け取ると、それをのぞいた。

 ぐるりと見回したとき、赤茶色が視界を過ぎり、ハッとしてその色を追いかけた。

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