第197話 秘め事 ~麻乃 4~

「まぁ、ここへ来てから、いろいろありましたしね。ほかの区への移動に時間がかかるのが少しばかり不自由ですけど、それ以外はなんの問題もないですよ」


「本当に、なにも心配するようなことはありませんからね。あんたはさっさと奉納を済ませて、一日でも早く帰ってきてくれりゃあいいんですよ」


 麻乃はシートに背をあずけて二人を眺めた。


「うん、そうだね……あたしも今回ばかりは早いとこ全部済ませて、戻ってこようと思ってる」


「例年通り、安部隊長と一緒なら、そう気にするもんでもないんですけどね……」


 ミラー越しに小坂と目が合う。

 そんなことまでも気にかけてくれているのかと思うと、少しだけ切ない。


「まぁね……正直、こんなに長いこと、修治と離れた経験がないから不安もあるけどさ、あれで鴇汰もかなりの腕前だし、そう心配するもんでもないと思うよ」


「とにかく、こっちのことは任せておいてください。こっちを心配してる暇があるなら、早く帰ってくる、それにかぎりますから」


「わかったよ。じゃあ、今日は一日ゆっくりしてって、みんなにも伝えておいてよね」


 詰所に着いて、全員が中に入るのを確認してから麻乃は部屋に向かった。

 シャワーを使い、着替えを済ませて椅子に腰かけてくつろぐ。

 奇麗に片づいた部屋が、なんとなく落ち着かない。


(そういえば……鴇汰は中央に戻ったのかな……?)


 あの日……。

 西浜の防衛戦のあの日から、もうだいぶ経った。

 以来、これまでと違うことがたくさんあった。

 気がつけばもう豊穣が目前だ。


 部屋の壁に据え付けてある刀置きから、紅華炎を手にした。

 鬼灯と夜光が戻ってこないときは、こいつだけで出ないといけない。


 ふと思い立って、炎魔刀に手をかけた。

 静かに呼吸を整え、柄を握る手に力を込める。

 クッと動かした手首が、そのまま伸びることを拒まれた。


(……やっぱり抜けないか。これが抜ければなんの問題もないのに)


 覚醒していないと抜けないと、高田は言う。

 けれど、父も母も炎と獄を普通に使っていた。

 父は鬼神の血筋ではあっても、その能力は持っていなかったというのに。


 二人が亡くなった日、確かに麻乃も修治も、二刀を抜き放っている。

 それが、その日以降は一度も刀身を見ていない。

 手入れに出してはいるから、刀匠には抜けるのに……。


『抜けない刀を後生大事に帯びていてどうする』


 嫌でも高田の言葉を思い出す。

 いざというときに使えないんじゃ、たとえば紅華炎が弾かれてしまったとき、なにもできなくなってしまう。


 そうしたら……。


 修治なら、月影、あるいは紫炎のどちらかを託してくれるだろう。

 扱う武器の違う鴇汰とは、絶対にできない話しだ。


(……怖い。もしものことを考えると、どうしようもなく怖い)


 このまま起きていても悪いことばかりを考えてしまいそうで、ベッドに潜り込むと眠ってしまうことにした。

 横になったとき、黒玉が衿もとからはみ出した。


(そうだ。これもかばんにしまうつもりが、すっかり忘れていた)


 触れて眺めた。外してかばんにしまおうと思いながらも、また起きるのが面倒で、そのまま布団にくるまって目を閉じた。

 どのくらいの時間が経っただろうか。

 ゆらゆらと肩を揺すられて、薄目を開けると、岱胡の顔が目の前にあった。


「麻乃さん、起きてくださいってば」


「……岱胡? なに?」


 全然眠った気がしなく、大欠伸をして聞いた。


「玄関に周防さんが来てますよ。刀、戻ってきましたよ」


「ホント?」


 岱胡の言葉に飛び起きると、着替えもせずにパジャマのまま部屋を飛び出した。

 階段を駆けおりて玄関まで来ると、周防の爺さまのお孫さんが鬼灯と夜光を抱くようにして、唖然としてこちらを見ていた。


「あ……っと、すみません、こんな格好で……」


 とりあえず服は着てるものの、足もとは裸足のままだ。

 このまま二刀とも間に合わずに出なければいけないと思っていた。

 それが戻ってきて嬉しくてたまらなかった。


 だからといって、今の麻乃は人前に出る格好じゃない。

 せめて着替えくらいはしてくるべきだったと恥ずかしくなる。

 玄関のガラスに映った姿は、寝起きのままで癖毛が大変なことになっている。

 あわてて手で梳いて直した。

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