第198話 秘め事 ~麻乃 5~

「いえ、こちらのほうこそ、すっかり遅くなってしまって……間に合わないんじゃないかと思ったのですが、なにせ鬼灯がひどく急かしたようで、どうにか間に合いましたね」


「……急かした?」


「ええ、本当にうるさいらしいですよ、こいつは。こうも早く戻りたがるんじゃ、よほどあなたのことが気に入ったんじゃないかと、爺さまも言っていました」


 とても柔らかな口調でそう言われ、ちょっと照れ臭さを感じながら差し出された鬼灯と夜光を受け取った。


「ありがとうございます。間に合わないんじゃないかと思って、本当は少しだけ不安だったんです。手もとには紅華炎しかなかったので……」


「戻られたら、今度は紅華炎と組ませる刀を見にいらしてください。相性の良さそうなものを用意しておきますから」


「はい、そうさせていただきます」


 ペコリと頭を下げると、爺さまの孫は穏やかな笑顔を見せ、詰所を出ていった。

 車に乗り込むところでもう一度、頭を下げ、敷地を出ていくまで見送る。


「ずいぶんと感じのいい人ッスね」


 いつの間にか、岱胡が横に立っていた。


「うん、物腰が柔らかいよね。歳はトクさんか巧さんくらいなのかな? 刀に関しては頼りにできそうだし、ちょっとカッコイイよね? 泉翔の男にしては小柄だから、あたしと並んでもそんなに変じゃない気がするし」


 鬼灯と夜光を抱えたままなんの気なしにそう言うと、岱胡は上から下まで麻乃を眺めてきた。


「そんなちょっとカッコイイ人の前に、そういうオシャレな格好で出てきちゃう麻乃さんのほうが、よっぽどカッコイイと思いますけどね」


「うっ……うるさいな! これはしょうがないの! もう間に合わないと思ってたのが戻ってきて嬉しかったんだからさ!」


 裸足のせいで、足が冷えてくしゃみが出た。


「でも良かったよ、これで安心して大陸に渡れる。そりゃあ、不安がまったくなくなるわけじゃないけどね」


「あと三日ですもんね、ホント、ギリギリでしたね」


 ペタペタと足音を立て、廊下を戻りながら、岱胡を見あげた。


「ねぇ、明日はこっちを何時に出るの?」


「さ~?」


「さぁ、って……」


「鴇汰さんにも聞いてみないと。あ、何時に出ます?」


 岱胡の視線が上に向き、釣られて視線を移すと、鴇汰が階段をおりてきたところだった。


(まだこっちに残ってたんだ……)


 欠伸をしてこちらを見ると、まず岱胡に答え、そのあと麻乃を見てあからさまに眉をひそめた。


「何時ってなにがよ? ってか……麻乃……なによ、その格好……あっ! 裸足!」


「今ちょっと……これから、もう少し寝るから」


 夜中に多香子と話した自分の言葉を思い出して、鴇汰の顔がまともに見られない。


「じゃあ、岱胡、出る時間を決めたら、あとで教えて」


 鴇汰の横をすり抜けて階段をあがり、急いで部屋へと戻った。

 冷えた廊下のせいで、すっかり足が冷たくなっている。


 鬼灯と夜光を置こうとしてふと思い立ち、一度抜いてみることにした。

 夜光の柄を握ると、フッと一息ついてから静かに抜いた。

 安定した落ち着きを感じる。


 ただ、なにかをためらうような戸惑うような思いが伝わってくる。

 急に大陸へ渡る不安が増した気がして、そっと鞘に収めた。

 次に鬼灯を手にした。


『よほどあなたのことが気に入ったんじゃないか』


 そういわれたことを思い出す。

 癖があると言われ、高田は良い顔をしなかったけれど、気に入られているかもしれないだけあって、嫌な気はまったくしない。


 柄を握った途端、なにかみなぎるものを感じた。

 大陸で、やらなければいけない、なにか大切なことがあるような気がして落ち着かない。

 抜き放つと、突然、左腕に刺されたような激しい痛みを感じて、刀が麻乃の手から滑り落ちた。


「……っつ」


 しばらく忘れていた腕の痛みに、背筋が寒くなる。


「こんなときにまた……なんでまた今ごろ……」


 落とした鬼灯を鞘に収め、二刀とも刀置きにかけると、不安を拭い去るように布団に潜り込み、左腕を押さえてギュッと目を閉じた。

 もう痛みは引いて、なにも感じなくなった腕をさする。


(言えない……誰にも言えない……明日の会議では、修治にだけは気取られちゃいけない)


 そう思った。

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