第183話 中央から南へ ~巧 5~

 クルクルと地図を丸めて帰り支度をはじめた岱胡に、それまで黙って様子を見ていた徳丸が声をかけた。


「なんだ、おまえ、今から戻る気か?」


「ええ、だって夜中までには戻ってくれって言われてますから」


「だって向こうには今、鴇汰もいるんでしょ? 人手はあるんじゃないの?」


 岱胡は何度か首をひねると、一度、チラリと修治に視線を移した。

 修治は椅子に腰かけたまま、腕を組んでうつむいている。


「人手はあるっていっても、麻乃さんのところの隊員は今、道場の手伝いとかで全員そっちへお邪魔してるんですよ」


「じゃあ、麻乃もそっちへ戻ってるの?」


「いや、道場のほうで豊穣の準備をしっかりやれ、って言われたみたいで、追い出されてきて詰所にいますけど」


「そんなら、こんな時間に暗闇ん中を走るより、泊まって明るくなってから帰りゃあいいじゃねぇか。事故でも起こしたらことだぞ?」


 う~ん、とうなって岱胡は頭をガリガリ掻いた。


「俺はそれでも構わないんスけど、鴇汰さんがちょっと不安そうなんですよね。また揉めたりしないかって。麻乃さん、変な夢を見たあとですし」


 巧は徳丸と顔を見合わせた。

 確かに、今、揉めたら手の施しようがない。


「岱胡、その夢で、麻乃が斬られたのはどっちの腕か、聞いているか?」


 不意に修治がそう問いかけた。


「え……っと、左腕って言ってました」


「左か……そのあと腕が痛むようなことは言ってなかったか?」


「鴇汰さんが痛むか、って聞いたら、痛みはないって言ってましたけど」


「そうか」


 良く見ると、修治は難しい顔をしている。

 いつものようにこぶしを口もとに当てている姿を見ると、なにか思い当ることがあるのだろう。


「左腕だとなにかあるの?」


 巧は思い切って聞いてみた。

 修治は暗くなってなにも見えない窓の外へ目を向けたまま、静かに話し出した。


「あいつ……ロマジェリカ戦のあと、良く左腕を気にしてやがったんだよ。火傷の痕がチリチリ痛むってな。それから忙しかったり演習で大怪我したりで、すっかり忘れていたが、今、その火傷の痕とやらはどうしたかと思っただけだ」


 ――左腕。


 まくりあげられた袖の下に、そういえば青黒い痣のようなものが見えていた気もする。


「だけど、あんなのだったかしら? 火傷の痕っていうより痣って感じだったけど……」


「おまえ、そいつを見たのか?」


「ハッキリと見たわけじゃないけど、袖口から見えたのよ。ちょうど手首と肘のあいだくらいかしら、青黒い痣がね」


「そりゃあ火傷の痕じゃないんじゃねぇのか? 色もそうだが、皮膚が引きつれたりするだろう?」


「程度にも寄るんじゃないですかね?」


「そりゃまぁ、そうだろうけど……」


 しっかり見たんじゃないから、それが絶対に火傷の痕だとも違うとも巧には言いきれない。


「なんだかさ……こう……なんていうのかしら……土台ばかりをあちこちに建てて、ちっとも積みあがらない積み木の山を作ってるみたいでイライラするわね」


「引っかかることばかりだが、なにがどうと問われると答えようもないしな」


 この数カ月、こんなことばかりだ。

 モヤモヤと気持のどこかで疑問を感じながらも、答えが見つからない。


「どれもこれも繋がっているのかまったく別なものなのか、それさえも良くわからない。ただ、わかってるのは……どれもたどった先は一つだ」


 修治は相変わらず窓の外へ目を向けたまま、けれど最後の言葉だけは言いにくかったのか、濁したことがわかる。

 口にしたら、言葉に発したら、すべてが悪い方向へ向かってしまいそうな……。

 巧の背中に悪寒が走った。


(行き着く先は全部、麻乃だ)


 ガタンと椅子の動く音がして、巧は飛びあがりそうなほど驚いた。

 音のしたほうを振り返ると、岱胡がかばんを肩にかけ、荷物をまとめているところだった。


「俺、やっぱ今から戻ります。なにもないでしょうけど、鴇汰さん一人で持てあましててもなんですから」


 ドアを開けると、なにかあったら連絡します、と言い残して速足で出ていった。


「あの子、変にスピードを出しても怖いから、私、途中まで一緒に行って、そのままヤッちゃんのところへ行くことにするわ」


「あぁ、そうしてやってくれ」


「じゃ、次は会議のときにね」


 心配そうな顔を見せた徳丸と修治を残し、岱胡のあとを追って詰所を出た。

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