第179話 中央から南へ ~巧 1~

 巧は今朝、早くから起きて朝食の準備をし、久しぶりに家族揃って食事を済ませた。

 昨日は上の娘が演武で、なかなかの動きを見せてくれたのが、少しだけ誇らしかった。

 十歳で今年の最年少でありながら、数十人参加した中で、腕前は中の上といったところだろう。


 演習は十四歳から全員参加だけれど、演武はある程度の腕を認められないと参加できない。

 巧は十五のときに一度参加しただけだった。


 ふと、麻乃と修治を思い出す。

 二人とも、まだ十歳に満たないうちから演武に参加し、それからは毎年必ず出ていたようだ。


 蓮華になった年、部隊を組むうえでの選別で、地区別演習を見に出かけたとき、巧は初めて麻乃を見た。

 八歳という年齢にしては小柄でありながら、大胆な太刀捌きをする姿に惹かれた。


 絶対に印を受けるだろうと見込んで、自分の隊に引き入れようと目をつけ、何年も首を長くして待っていたのに、洗礼で麻乃が受けたのは蓮華の印だった。

 さすが、と思いながらも、ひどくがっかりしたことを、巧は覚えている。


 花丘にほど近い自宅から宿舎までの道程を、巧はスピードをあげて車を走らせた。

 視界のはしをチラチラと黒い影が動いていることに気づき、窓の外に目を向けると車に並行してツバメが一羽、飛んでいる。

 あわててブレーキを踏み込んだ。


 車からおりて手を差し延べると、頭上を旋回して指先にとまり、その姿をメモに変えた。


「誰……? ヤッちゃん?」


 メモを開いて中を確認してから奇麗に畳み、パンツのポケットに捻じ込んだ。車へ戻ると宿舎に向かい走り出した。

 宿舎には誰も訪ねてきていないことを確認すると、巧は軍部の部屋へ向かった。


 地図をまとめて束ね、荷物と一緒に積み込もうと車の前まできたところで、シタラを乗せた車が敷地に入ってきた。


(――来た。思ったより早かったわね)


 わざとなにも知らないふうを装って、そのままドアを開けて荷物を積んだ。

 こちらへ向かってくるシタラの姿に、今、気づいたかのようにあいさつをかわす。


 二言三言、話しをしたあと、守りとして持つように、と言われ、差し出された黒玉を受け取ると、おもむろにシタラがたずねてきた。


「麻乃はここへ来てはいないか?」


「麻乃……ですか? 常任になって以来、ずっと西に詰めているはずですが?」


「詰所にはいなかった。道場では中央に来ていると言っておった」


 瞬間、なにかおかしいと思った。

 梁瀬のメモでは麻乃は西詰所にいるようだ。

 道場の師範がそれを知らないわけがない。


(それが中央にいると言ったって?)


 それを言ったのは誰だ……?

 巧は、会ったことのある師範の顔を思い出しながら考えた。


(誰だかはわからないけれど、麻乃とシタラ様を会わせたくないようね……)


「私は昨日から自宅へ戻っておりました。ここへ来たのはつい今しがたなので、顔を合わせていません。はっきりとは言いきれませんが、もしかすると、東の地区別演習へ行っているのかもしれません」


「東……?」


「ええ、あちらには麻乃の道場からも参加がありますし、師範の方々の多くも向こうへ行っております」


 推し量るような目でジッと見つめてくるシタラの視線が、妙に冷たく感じる。

 小さくつぶやいた言葉尻が耳に届いてきた。


「……行きようがない」


 東区に詰所はない。

 蓮華に用があるというシタラには、行く必要のない場所だ。


 もしも東へ向かったとしても、向こうには高田がいる。

 たらい回しにされているシタラを見て、何か感じ取ってくれるだろう。


「私はこれから豊穣の件で南詰所へ向かいますが、野本と安部のぶんをおあずかりしていきましょうか?」


 シタラは無表情で巧を見ると目を細めた。


「よろしければ、北にいる上田と笠原のぶんもおあずかりしますけれど……」


「笠原には西で会うた。時間はかかるが北へも南へも足を運ぼうと思う」


「そうですか……」


 巧は礼をすると、車へ乗るシタラを見つめた。

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