第169話 シタラの眼 ~鴇汰 3~
鴇汰は、岱胡と梁瀬に手伝わせ、一度、きちんと机の上を片づけてから、ジャセンベルの地図を広げた。
岱胡とやり取りを始めたときには、もう外は明るくなっていて、ドアの向こうでにぎやかな声が聞こえ始めた。
麻乃は相変わらずソファの上で毛布にくるまり、背もたれのほうへ体を向けて丸くなっている。
鴇汰のところから顔は見えないけれど、肩の上下で寝入ったのはわかる。
梁瀬も気になるのか、チラチラと目を向けていた。
何度目かのあと、おもむろに立ちあがると岱胡の隣に座り、声をひそめて話しかけてきた。
「さっきの続きなんだけどね」
「さっきのって、術とか暗示のことですか?」
「違う違う。シタラさまのことなんだけど」
「あぁ。婆さまな」
もう一度、麻乃のほうを振り返り、寝ていることを確認した。
「麻乃さんて、シタラさまのことを、あまり良く思っていないでしょ?」
「そうかもしれないッスね、会議のときとか、ほとんど視線を伏せたままですもん」
「それと、西浜のロマジェリカ戦のときに、自分の隊員の腕を落としてるよね?」
そうだ。
西浜へ向かっている途中、穂高の隊員に担がれた川上と出くわしたことを思い出した。
(肩に手をかけようとして、腕がないことに気づいたんだ。あれは麻乃がやったことだったのか……)
「穂高さんは、毒矢に当たってほかに手がなかったって言ってたけど、麻乃さんのことだもの、きっと僕らの想像以上に自分を責めたと思うのね」
「でもその判断で、命を落とさせずに済んだんですよね?」
「そうはいっても、結果、彼は引退するしかなかったでしょ? おまけにあの日は、多くの隊員を亡くしているじゃない?」
ひどく苦い顔をして梁瀬は言う。
西浜の凄惨な光景を、鴇汰も思い出す。
確かに、あんなに大きな葬儀は、鴇汰が蓮華になってから初めてのことだ。
あの日、そんなことは考えもせず、鴇汰は自分の思いだけで麻乃を誘ったりしたけれど、麻乃は処理しきれない思いを抱えていたのかもしれない。
「僕はね、もしかしたらそれが原因で、自分の腕を落とされるような夢を見てるんじゃないかな、とも思うんだ」
「良心の呵責ってヤツですかね。けどそうしたら、婆さまのことはどうなるんスか?」
「そこなんだよね、持ち回りや豊穣や、納得のいかないことはたくさんあるけど、麻乃さんの意思をくんで西区の常任に了解を出したのもシタラさま。いくら良く思っていないとはいえ、自分の腕を落とすような嫌な相手に、どうしてシタラさまが投影されているのか……」
「単純に嫌いだから、とは思えねー感じだよな」
いつもは温和でふざけてばかりの梁瀬が、神妙な面持ちなのが、鴇汰の不安を掻き立てる。
「今は豊穣の前だしね、少しでも不安な要素があるなら、取りのぞいてあげたいじゃない?」
「俺、向こうに渡って、このあいだのようなことが起こったらと思うと、ちょっと怖い」
「あんなことは、そう滅多にないっしょ。それに不安な要素を取りのぞこうにも、もう豊穣まで一週間切ってますからね、下手になにかすると逆効果になったとき、ヤバイんじゃないッスか?」
それもそうか、と梁瀬はつぶやく。
「どうもなにもかも、腑に落ちないことが多過ぎて……最も、みんながそう思っているんだろうけどね」
「俺は最近、占筮なんて当てになるのか? って思うこともあるぜ。だって俺と修治の組み合わせのどこがいいんだよ? 婆さまもそろそろボケてきたんじゃねーか?」
苛立ちを紛らわすように、わざと毒づいてみた。
さすがに梁瀬がたしなめるように反論してくる。
「そこまではないでしょ。ボケたなんて……いくらなんでも、カサネさまやサツキさま、ほかの巫女たちが気づくよ」
「でも時々、演習場にきていたりするだろ」
「そんなはずはないよ。だってカサネさまとお会いしたとき、最近のシタラさまは具合が良くなくて臥せってることが多いって聞いたよ?」
だんだんとお互いの口調がきつくなってきて、鴇汰も梁瀬も、つい声のトーンがあがったせいか、麻乃が小さくうなって体を動かした。
岱胡がシーッと唇に指を当て、三人とも黙り込むと麻乃の様子を見守った。
安定した寝息が聞こえはじめ、寝ているのを確認してからまた続けた。
「けど俺、このあいだの演習で、あいつの後ろに婆さまがいるのを見てるぜ? あれは錯覚なんかじゃなかった」
「具合が悪くて臥せってるのに、西区まで来てるってのもおかしな話しッスね」
「だろ? このあいだの会議のときだって、どっか悪いようには見えなかったと思わねぇ?」
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