第168話 シタラの眼 ~鴇汰 2~

「ごめんね、痛かった? ちょっとした厄払いだからね、悪い夢を見ないように」


「うん、平気。ありがとう」


 時計を見ると、もう六時近い。

 外が薄っすらと明るくなっていた。


「シチュー、まだ少しだけ残ってるから食う? 多少は温まるだろ?」


「うん、じゃあ温め直してくる」


 立ちあがった麻乃が、そっと右手で鴇汰の手を引き離した。

 鍋を持って出ていく姿を見送り、ドアが閉まったのを確認すると、梁瀬にたずねる。


「あんたさっき、なにをしようとしたのよ?」


「ん……麻乃さんさ、最近ずっと変でしょ? ちょっと気になることがあったから、このあいだも術を試したけど、駄目だったじゃない?」


「ああ、あのとき。そうだったな」


「それでもしかしたら、どこかで暗示でもかけられてるのかと思って試してみたんだけど、こっちも駄目だった」


「どこかで、って、あいつ島から出ないのに、暗示なんかどこでかけられるってのよ?」


 梁瀬は妙に神妙な面持ちで首をひねった。


「それはそうなんだけど、なんか引っかかるんだよね。とても大事なことを見落としているって言うか……だいたい、夢の内容にしたって追ってくるのがシタラさまだなんて妙な話しだもの」


 それまで黙って聞いていた岱胡が、痺れを切らしたように聞いてきた。


「このあいだの術とか暗示とか、一体、なんの話しなんですか?」


 そういえば岱胡も、梁瀬の金縛りの中、動いていたっけ。

 梁瀬は面倒臭そうに手を振った。


「いいの、いいの。岱胡さんも難しいクチだから」


「全然、意味がわかんないから凄く気になるじゃないッスか。あ、気になるといえば、あの人、一人でやって平気ッスかね? 焦がすんじゃないですか?」


「それ、冗談じゃなくホントにヤバいぞ!」


 鴇汰はあわててドアを開けて走った。

 調理場へ飛び込むと、ぼんやり鍋を見つめている麻乃の横から手を伸ばして、火を消した。


「どうしたのさ?」


「少ししか残ってないんだから、そんな強火でかけると焦げるだろ」


 新しい皿を取り出して盛ると、麻乃に手渡してやる。


「早く食っちゃえよ、そろそろ賄いのおばさんたちが来るころだよな? 俺、これ片づけちまうからさ」


「ありがとう」


 鍋の底がほんの少し茶色くなっていたのを見て、危なかった、と鴇汰は思った。

 洗い物をどんどん片づけていきながら、後ろにいる麻乃を見た。

 もう、すっかり落ち着いたようだ。


「俺さ、これから岱胡と情報交換するけど、まだ時間がかかると思うから部屋に戻って、もう少し寝たらどうよ?」


「やだよ……部屋に戻ったら一人じゃん。みんながいる会議室でいい」


「麻乃がいいなら構わないけどよ。もう明るくなるぜ。あんなソファじゃ狭くて寝苦しくないか?」


 黙ってうつむいた後姿が、やけに弱々しくみえる。


「平気。でも邪魔だったら、人がいるほかの部屋に行く」


 うつむいたまま、麻乃は食べ終わった皿を洗い始めた。

 ほかの部屋……っていったって、人がいるのは談話室くらいだろう。

 でなければ、誰か隊員の部屋か?


(だめだめ。こいつ、こんな格好だぞ?)


「そんなの駄目。全然邪魔なんかじゃねーし、心配だから、俺の目の届くところにいてくれないと絶対に嫌だ。いいな? 会議室に戻れよ?」


 洗った皿を麻乃から受け取り、拭いて棚にしまった。

 麻乃が呆気に取られた表情で鴇汰を見つめている。


「うん……わかった」


 一言だけ言い、調理場の入り口に手をかけた麻乃は足を止め、振り返った。


「どうしたんだよ?」


「ん……さっきはさ、手を握っててくれて……なんか凄く安心できたんだよね。ありがとうね」


 消え入りそうな声でそう言うと、ドアを開けて出ていった。

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