シタラの眼

第167話 シタラの眼 ~鴇汰 1~

「もう。なんスか~! 素直な感想を言っただけなのに」


 たたいた頭をさすりながら、岱胡が訴えてくる。


「そーゆーことは、思っても口に出さなくていいんだよ!」


 鴇汰は動揺した気持ちを抑えようと組んだ足の爪先を盛んに揺らした。


「はいはい。わかりましたよ……って、梁瀬さん、どうかしました?」


「うん……なんかちょっと……」


 不貞腐れて答えた岱胡が梁瀬に声をかけた。

 振り返って梁瀬を見ると眠っている麻乃をのぞき込んでいる。


「嫌ぁーっ!」


 突然、悲鳴が部屋中に響き、なにか大きな音がした。

 驚いたのか梁瀬の背中がビクッと揺れ、岱胡が立ちあがった。


 鴇汰が席を立って駆け寄ると、麻乃がソファから落ちていて、梁瀬がその横で膝をつき、背中をさすっていた。


「どうしたの? うなされていたよ。なにか嫌な夢でも見た?」


「腕……腕が……」


 小さな体をさらに縮めるように、麻乃は右手で左の二の腕を押さえている。

 以前、腕が痛いと酷く苦しそうにしていたのを鴇汰は思い出した。


 麻乃の目の前に屈み込むと、左手を取ってギュッと握った。

 一瞬、その手を振りほどこうとして引いたのを、鴇汰は離さずに、さらに力強く握り締めた。

 動揺して泳いでいた麻乃の視線が、握られた手に焦点を定め、確かめるように何度も肘と繋いだ手を行き来した。


「……あれ?」


 少し落ち着いてきたようで、周囲を見回してもう一度、腕を見つめている。


「どうしたんだよ、腕、痛むのか?」


「ううん、痛みはない」


 麻乃はハーッと大きく息をはいた。

 ひどく手が震えている。


「怖い夢でも見た? 急に悲鳴をあげたから驚いたよ。ソファからも落ちたし、どこか痛んだりしない?」


 梁瀬は麻乃の背中を軽くポンポンとたたいて、心配そうに顔をのぞき込んでいる。


「婆さまが……巫女婆さまが……あたしを追いかけてきたんだ。なぜか左腕を狙ってて……逃げきれなくて、あたしの左腕が……」


「ただの夢ッスよ、俺には麻乃さんの腕、なんの変わりもなくみえますよ」


「いつもと違って、今度こそ斬られたと思ったのに……」


 鴇汰は思わず梁瀬と岱胡を見た。

 二人も怪訝な表情でそれぞれに視線を移す。


(いつもと……? こいつ、こんなに震えるほどの嫌な夢を何度も見てるのか?)


「ねぇ。婆さまって、シタラさまのことだよね?」


 梁瀬がそう問いかけると、麻乃はコクリとうなずいた。


「嫌かも知れないけど、どんな夢なのか聞かせてよ。ホラ、悪い夢は正夢にならないように人に話したほうがいい、って言うでしょ」


「……そうだっけ?」


 上目遣いに鴇汰を見た麻乃にうなずいてやると、麻乃は目を閉じて空いた右手で額を掻き、話し始めた。


「多分……西浜のあの戦争のあとからだと思うんだけど、婆さまに追われる夢を見るんだよね」


「それって頻繁に見るんスか?」


「ううん、最初はそうでもなかった。もしかしたら忘れてるだけかもしれないけど……」


 麻乃は時折、離そうとして手を引く。

 そのたびに、強く握り締めて離さないでいた。


 鴇汰は胡坐をかいて座り直すと、麻乃がまた手を離そうとするのを強引に引き寄せて指を絡めて握った。

 諦めたように麻乃は少し肩を落とし、また話し始める。


「でも毎回必ず、あたしの左腕を狙ってるってことだけは、ちゃんとわかるんだ。いつも振りきって逃げるか……立ち向かうんだけど、今日は……追いつかれて肘の辺りから斬り落とされて……」


 力が抜けて緩んだ麻乃の手は、震えが止まっている。

 それでも動揺しているだろう思いが、鴇汰に伝わってきた。


 そりゃあそうだろう。

 たとえ夢だったとしても、自分の腕が斬り落とされるなんて尋常じゃない。

 しかも相手は敵兵でも得体の知れないものでもなく味方であり身近である巫女のシタラだ。


「本当に怖かった……だって腕を落とされるなんて……そんなことになったら、あたしもう生きていけない」


 ずっと軽く麻乃の背中をさすっていた梁瀬の手が、突然力強くその背をたたいた。

 それと同時に頭の後ろで指を鳴らすと、麻乃の目をジッと見た。


「ねぇ、麻乃さん、アイス、食べたくない?」


 麻乃の視線がまず鴇汰を向き、岱胡へ移り、最後に梁瀬を見つめると、首をかしげた。


「なんだか冷えるから、アイスはいらないかな……」


「そう……」


 梁瀬の表情が、あからさまにガッカリしてみえる。

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