第166話 北から西へ ~鴇汰 6~

 軽く夜食をとったあと、地図を広げて岱胡とやり取りを始めると、麻乃はソファで眠ってしまった。


 梁瀬に聞くと、もう麻乃からは情報をもらって、あとは地図とメモで十分だと言う。

 部屋の隅に置かれたソファに、鴇汰は視線を移した。


「あんな小さいソファでよく寝られるよな」


「俺らじゃ苦しくて寝てらんないッスね」


 鴇汰のつぶやきに、岱胡が笑う。

 穂高が書き込みをした地図を見ながら、岱胡は麻乃の地図を広げて比べてみせた。


「だいたい、穂高さんと同じですけど、俺はこの右側のルートより、左側を通るほうがいいと思いますよ」


 そう言って、奉納場所に向かって川の左側を指した。


「なんでよ?」


「高低差があるんで、同じ川べりでもこっち側のほうが低いんス。だから城から見えにくい、ってことは見つかりにくいってことですからね」


「ふうん……」


「実際、敵兵と遭遇したときは右側にいたんッスけど、崖の高さも相当ですよ。あの穂高さんでさえ飛び込むの躊躇するんですもん。思わず突き飛ばしちゃいましたよ」


 そういえば、穂高も岱胡に突き落とされたと言っていた。


「それから暗くなってからですけど、テントは絶対に遮光タイプで、細心の注意を払わないと駄目ですよ。火は絶対使っちゃ駄目です」


「火も使えないのかよ! だって、そしたら飯は?」


「日中、作っておいてください」


 聞けば聞くほど、なにもかも面倒だ。

 鴇汰は髪を掻き上げると、鼻で大きく息をはいた。


「鴇汰さんは知ってるでしょうけど、あの国は血を重んじてますから、鴇汰さんの容姿ならまだしも、俺や麻乃さんなんて捕まったら即、処刑台ッスよ」


 ――そうだ。


 あの国では混血や異人を忌み嫌う。

 鴇汰も一見ロマジェリカの外見だけれど調べられてハーフだと知れたらアウトだ。


 たとえ純血であっても、混血の血を生しただけで殺されてしまう。

 かつて鴇汰の両親がそうであったように――。


「豊穣を無事に済ませても、上陸ポイントに戻るまでまったく気は抜けないってことか」


「ですね。慣れれば普通のことなんですけど、最初はキツイと思います」


「あいつより腕が劣るぶん、足手まといにならないように気合入れないとな……」


 眠っている麻乃のほうへ視線を向け、自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉を、岱胡は聞き逃さなかったようだ。


「二人とも、そこらの雑兵相手ならなんてことないでしょ、大丈夫ッスよ」


「渡る前からこんなに不安なのは初めてだ」


 どれだけ地図を見たところで、なんら変わりはないとわかっていても、頬づえをついたまま何度もルートを指でなぞった。

 岱胡は梁瀬のほうを見て、地図とメモに釘づけになっている姿を確認してから、鴇汰に額を寄せ、声をひそめた。


「俺、ずっと鴇汰さんは彼女持ちだと思ってたけど違ったみたいッスね」


 思わず大声が出そうになるのを、鴇汰は辛うじてこらえた。

 前に穂高が、叔父の式神と一緒にいるところを見たのは岱胡だと言ってたっけ。


「馬鹿! あれは式神! 変な勘違いすんじゃねーよ」


 声を殺して岱胡を睨みつける。


「浮気や二股とかする野郎は、俺、信用できないッスけど、フリーなんですもんね。なんの問題もないッスよね」


「なにがよ?」


「さっきから不安そうですけど、お目付け役もいないことだし、案外いい旅になるかもしれないじゃないですか」


 言い終わるか終わらないかのうちに、岱胡の頭を思いきり引っぱたいた。

 パーンといい音が会議室中に響き、梁瀬がびっくりした顔でこちらを向いた。


「なに? 今の音?」


 顔が燃えているように熱い。

 絶対、赤くなっている。


(この馬鹿……唐突におかしなことを言いやがって……)


 そう思いながらも返す言葉が出てこなくて、鴇汰は隠すように頬づえをつき、二人から顔をそむけた。

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