第162話 北から西へ ~鴇汰 4~

 以来、鴇汰はずっと麻乃を見てきた。

 苛立ちや怒り、喜びも哀しみも、嬉しさも寂しさも、すべての感情を強く揺さぶってくるのは、いつでも麻乃だ。


 ここではほかのみんながいる。

 けれど豊穣のあいだは、完全に二人きりだ。

 なにか些細なことで、麻乃に対して怒りを覚えるようなことになったら……そんなときに、万一、敵兵と遭遇してしまったら……。


 冷静に対応もできず、連携も取れず、最悪の事態になってしまう可能性もあるだろう。


「俺自身、カッとして抑えられないときがあるのよ。向こうで何日も一緒にいて、また、麻乃を責めちまうようなことがあったら、俺たち、敵兵に……」


「鴇汰、滅多なことを口にするなよ」


 言葉をさえぎった穂高に肩をつかまれた。


「なにに気をつけなきゃいけないのか、自分でわかっているなら、防ぎようもあるだろう? 不安なことばかりを考えていると、どうしても気持ちがそっちに動いてしまう」


「修治のやつが……納得するだけの度量を持てって言っただろ?」


「あぁ、そんなことがあったね」


「でも俺、それがなんだかわからねーよ。麻乃が苛立っているときに甘やかすようなことをするのがそれか? 違うよな? けど、じゃあほかに、どうしたらいいんだよ。以前の俺ならできたことって、一体なんなんだ?」


 穂高は困ったような顔で、鴇汰から視線を外した。


「前は……今より冷静だったよ、頭の中で組み立てて行動していた。今の鴇汰は、まず行動ありきだ。それであとでひどく後悔する」


 グッと言葉に詰まる。確かに穂高のいうとおりだ。


「心配なのもわかる。行き先があんな国だしね。でも今はなによりまず、豊穣を済ませて一日でも早く無事に戻ってくること。それを優先したほうがいいんじゃないかな?」


「けど……」


「行く前から起こるかどうかもわからないことを心配するより、せっかく仲直りできたんだろう? そこから築いていくものを大事にしたほうがいいよ」


 不安材料が多過ぎる気がして、嫌なことばかりが鴇汰の頭をよぎる。

 鴇汰が不安になっていることで、それが麻乃にも伝わってしまうかもしれない。


 二人して不安な思いを抱えたまま大陸に渡るよりは、今日、聞いたことをもとにできるだけ早く、無事に帰ってこられるような予定を組み立てたほうがいいだろう。


(俺のせいで、また麻乃を迷わせるわけにはいかねーよな)


「叔父貴が今、ロマジェリカとジャセンベルの国境にいるんだよ。寄っていけって言われてるんだけどさ、やっぱやめたほうがいいよな」


「うーん……鴇汰の叔父さんは術に長けているから、なにかあったら力にはなってくれるだろうけど、国境沿いは小競り合いが続いてるだろうからね」


「だよな、絶対危ないよな。諜報の話しじゃ、レイファーの野郎も国境あたりに出てるみたいだし」


「今はね、下手をすれば城付近より危険かもしれないよ」


 鴇汰は前髪を払って頭を掻いた。


「まったく、叔父貴のやつさ、いつも勝手なことばっか言うのよ。まぁ、昨日はその勝手のお陰で助けられた部分もあるけどさ」


「本当に自由な人だよね。昔から話しも面白かったけど、行動も変わってたなぁ」


「大陸の珍しいお菓子だとか言って、変な草を食わされたことがあったよな」


 子どものころを思い出し、鴇汰が苦笑いでそう言うと、穂高も思い出したのか、思いきり笑い出した。


「あったあった、変な虫をつかまされたりもしたね」


「いい大人がさ、なにやってたんだかな」


 車の前で笑いながら昔の話しをしていると、地図と荷物を抱えた梁瀬が詰所から出てくるのが見えた。

 笑い過ぎて脇腹を押さえた穂高が、居場所を教えるように梁瀬に向かって手をあげた。


「二人ともどうしたの? やけに楽しそうだけど」


 車の後部席を開けて荷物を積み込みながら、梁瀬が問いかけてきた。


「ちょっと昔のことを思い出してたんだよ」


「そうそう」


 ようやく笑いがおさまって、鴇汰は何度か深く呼吸をすると、腕時計に目をやった。

 いつの間にか十一時を回っている。

 朝食が遅かったせいもあって、腹は減っていない。


「梁瀬さん、あんた昼飯はどうする?」


「僕は朝がゆっくりだったから、まだおなかは空いてないんだよね」


「そんならもう出ちまって、中央でなにか食っていく?」


「うん、そうしようか。じゃあ、あさっての夜には戻るから、穂高さんあとをよろしくね」


 そう答えた梁瀬を助手席にうながして、穂高を振り返った。


「馬鹿笑いしたら気が楽になったよ。とりあえず前向きにことを進めてくる。なにかあったら連絡入れるから」


「あぁ。わかった。気をつけて」


 鴇汰は運転席に乗り込むと、穂高に軽く手を振って北詰所を出発した。

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