第161話 北から西へ ~鴇汰 3~

 コツコツとノックが聞こえ、開いたドアから梁瀬が顔を出した。


「なんだ、梁瀬さんか。どうしたんだよ?」


「うん、今そこで、鴇汰さんが来てるって聞いてね」


 中に入ってドアを閉めた梁瀬は、机の上に視線を落とした。


「地理情報、取りに来たんだ?」


「あぁ、もう時間もないし、俺、あの国のことはほとんど覚えちゃいねーから」


「そういえば僕もあの国を離れて長いから、覚えていないな……今はどうなっているんだろうねぇ」


 机のそばまでくると、地図をのぞき込みながらぽつりとつぶやく。


「梁瀬さん、もう収集は済んだのかよ? 確かヘイトだろ? 修治のところに行ってきたのか?」


「そうそう、今回、修治さんとトクさんは南で一緒だから、そっちで地理情報のやり取りするって言っていたんだけど、僕は麻乃さんのところに今夜にでも行ってみようと思ってね」


「今夜?」


「うん、一人からより、二人から聞いたほうがより詳細が取れるでしょ? だからね」


「俺、ここで穂高に情報をもらったら、そのまま西区に行くけど、一緒に行く?」


 梁瀬は地図から目を外すと、鴇汰を見てクスリと笑った。


「ここへ来ているって聞いて、もしかしてそうじゃないかなって思って顔を出したんだ。乗せていってよ」


「そんなら、準備だけ済ませといてくれよ。昼飯食ったら出かけるつもりだからさ」


「ありがとう。助かるよ」


 そう言って会議室を出ていった梁瀬の背中を見送ってから、あらためて穂高に詳細を聞き、メモを取った。

 もう細かなことや場所は覚えていないけれど、城にほど近い街に住んでいた昔、まだ周辺は緑が多かった気がする。


 穂高の話しを聞いていると、そのイメージからはずいぶんとかけ離れているようだ。

 最も泉翔に来てからもう十九年もたっている。

 そのあいだにはさまざまなことがあっただろうし、土地がさらに枯れていったとしても、なんの不思議もない。


「まぁ、こんなところかな? 西詰所には今、岱胡もいるんだろう? 岱胡からも話しを聞いてみるといい」


「そうだな。ジャセンベルの情報を伝えたあとにでも、一緒にさらってみるよ」


「あいつは視点が俺たちとはちょっと違って、なにか違う話しも聞けるかもしれない。なにしろ川の水量に気づいて飛び込もうって言い出したのも岱胡だしね」


 穂高は赤ペンに蓋をして鴇汰に差し出してくると、広げた地図を丁寧に丸めた。


「俺は岱胡と持ち回りで一緒になることが多いけど、あいつ、つかみどころのないヤツだよな」


「あまりおもて立って感情も出さないしね。でも援護をしてくれるときは凄く頼りになる」


「腕がいいからな」


 荷物をまとめると、半分を穂高に持ってもらい、車に積み込んだ。


「そういやさ、ロマジェリカと庸儀、ヘイトは同盟を組んだんだよな」


「あぁ、そうだね……」


「やっぱり様子が変わってんのかな。例えばそれぞれの軍が頻繁に行き来しているとか……」


 穂高は腕を組むと、車のボンネットに寄りかかり、空を仰いでいる。

 その横に立ち、同じように車に寄りかかった。


「行ってみないとわからないことが多いよ、今は特に……ね」


「だよな……けど……」


 言い淀んだ言葉が喉の奥に詰まって、なかなか出てこようとしない。

 穂高がチラリと視線を向けてきて、フッと息をはいた。


「心配なんだろう? 麻乃のことがさ」


「それもあるけど……もしもまた、このあいだのようなことになったらと思うと、それが怖いんだよ」


 この国へ来てから叔父に料理を教わって、それがあんまり面白くて、料理人になりたいと思っていた。

 国を守ろうとする人々の思いは常に感じていたけれど、鴇汰の手がそれを担えるとは思えなかった。


 穂高をはじめ、東区の子どもたちがそれぞれに道場へ通うのを尻目に、叔父のレシピを自分のものにすることだけに勤しんでいた。


 それが穂高と親しくなって連れられていった地区別演習で、小さな体で、大きな大人を相手に刀を振るう麻乃の姿を見たとき、気持ちが突き動かされた。


(あんなふうになりたい。あの子は絶対に戦士になるんだろう。それならその隣に立ってみたい。同じ目線で同じ世界を見てみたい……)


 そう思った。

 叔父が大陸に戻った八歳のとき、なにも言わずに密かに道場へ通い詰めた。


 稽古を重ね、腕があがっていくのと同時に、この国を守りたいと思う気持ちも強まっていき、鴇汰自身の目指すものへと変わっていった。

 そして十六歳の洗礼で、鴇汰は蓮華の印を受けた。

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