第145話 修復 ~麻乃 5~

 調理場の中は、また沈黙が続いた。

 入り口の向こうからは、食堂のざわめきが響いてくる。


 考えないようにしようと思っても、さっきの女性を思い出し、叔父だという鴇汰の言葉が麻乃の頭を巡る。

 それが本当なんだとしたら、いると思っていた彼女の存在はないということか。


 視線が何度も鴇汰に向いてしまい、ホッとしていることに気づく。

 当の本人は、呑気に流し台に寄りかかって食事中だ。


(待てよ……? だとしたら、柳堀で聞いたことは……)


 ガキのころから一緒になるなら、と決めてた相手がいると、鴇汰は言った。

 麻乃が鴇汰と初めて顔を合わせたのは鴇汰が十五の時で、ガキという年齢かどうかと考えると、首をひねるところだ。


 それでも、真っすぐに麻乃の目を見て『麻乃じゃないと駄目なんだよ』と言った。


(あのときは、確かおクマさんのチョコレートケーキを食べてて、段々、味がしなくなって、蝋を食べてるみたいで……)


 あれが本当のことだとしたら――。

 聞かなかったようになにも答えないままの麻乃に対して、腹が立つのも当たり前だろう。

 そのうえ、言い争いまでして悪態をつき、殴ったうえに斬りつけようとして……最悪だ。


(でも……好きだって言われたわけじゃないし……)


 いろいろと考えていたせいで飲み込んだものがおかしなところに入り、思いっきりむせて口の中のものを吹き出してしまった。


「なんだよ? どうしたんだよ急に。大丈夫かよ?」


 鴇汰が驚いて食器を置き、台拭きを持ってきた。

 麻乃は咳き込みながらそれを制し、飛んだご飯粒を棚に置いてあったティッシュで拭き取った。


「大丈夫、ちょっと変なところに入っただけ……」


「ホントかよ。相当むせたろ? 顔が赤いじゃねーの」


 不意に頬に触れられ、目眩がする。

 なにか力が抜けていくような感覚に、麻乃は膝が笑って座り込んだ。


「どうしたってんだよ! 貧血か? 本当に大丈夫かよ? 片づけはやるから少し座って休んでろよ」


「ううん、平気」


 心配そうにのぞき込む鴇汰の視線をさけながら、膝をたたいて立ちあがる。


「傷、残りそうだな」


 もうかさぶたになった頬の傷に、鴇汰の指先が触れた。

 絆創膏の感触がする。


「これは油断してたから……」


 それ以上、言葉が出なかった。

 顔をあげると視線が合いそうで、目を伏せたままで答えた。

 頭の上を鴇汰のため息が通り過ぎる。


「あのとき……医療所のことさ、ホントにごめんな」


「あれは別に……言われても仕方のないことだって思うから」


 胸がギュッと痛んでうまく言葉が出ない。


「いや、あれは俺の八つ当たりだった。麻乃の口から修治の名前が出ると、なんかすげームカついてさ。あのときも、やたら腹が立って……つい、あんなことを言っちまって、ずっと後悔していた」


「……修治はあたしが生まれたときからずっと一緒で、あたしにとっては大切な家族で、だから手放しで頼ってたんだと思う。鴇汰のいうとおり、甘えていたな……って……」


 麻乃は調理台に寄りかかり、うつむいて鴇汰のつま先に視線を落とした。

 言葉を選ぶのに時間がかかる。


 鴇汰も隣に並んで立ち、同じように調理台に寄りかかった。

 腕を組んで、急かすわけでもなく黙って聞いている。


「当り前過ぎて、自分では気づかなかったけど……今はそれじゃ駄目だと思うから、一人でなんでもできるようにしようと思っているんだけど、それも思うようにいかないし……」


 麻乃は指先で爪を弾いて落ち着かない感情をごまかしていた。


「些細なことでもイラつくし、すぐカッとなってみんなに当たって、自分が駄目なのが情けなくて……」


「麻乃はなにも駄目じゃねーよ。俺がくだらないことを言ったせいで、迷わせちまったよな」


 鴇汰の深いため息が聞こえた。


「もうすぐ豊穣だし、あんな組み合わせになっちまって……それに、みんな麻乃のこと、本当に心配してるんだぜ」


「それは、ちゃんとわかってるよ」


「ロマジェリカは俺の故郷だけど、奉納場所は行ったことがねーし、でも、しっかり済ませないとマズイしさ、俺のことが気に入らないのはわかってるんだけど、ちょっとのあいだ、我慢してくれよ」


「気に入らないなんてことは……鴇汰のほうがあたしのことを気に入らないんでしょ。昔からずっと……」


 いろいろと思い出すことがある。

 医療所でのことも思い返すたびに切なくてたまらなくなる。


「俺がおまえのこと、気に入らないわけがねーだろ」


 とても静かに、ゆっくりとハッキリした口調で鴇汰が言った。

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