第146話 修復 ~麻乃 6~

「柳掘で俺、言ったよな? 俺は……」


 鴇汰の言葉をさえぎって、麻乃は手で鴇汰の口をふさいだ。

 そしてそのまま、唇に人差し指を当て、静かにするように鴇汰に指示をしてみせ、鴇汰がうなずいたのを確認してから出入口にそっと近づく。


 廊下に顔を出すと出入口の両脇に、塚本と市原がおひつを抱えて立っていた。


「先生……二人とも揃って立ち聞きって……まったく、悪趣味にもほどってもんがありますよ!」


 腕を組んで仁王立ちになり、麻乃は二人を睨みつけた。


「馬鹿、別に立ち聞きをしていたわけじゃないんだぞ、なぁ?」


「そうそう、なんていうか、入っていくタイミングが……な」


「食堂、今から片づけに行きますから、二人はどうぞ、子どもたちを連れて稽古に戻ってください!」


 苦笑いをしてみせる二人の手からおひつを引ったくると、蹴りを入れる真似をして二人を追いやり、調理場へ戻った。


「まったく、うちの先生たちってばホントに……」


 呆気に取られた顔をしていた鴇汰が、急に笑い出した。


「いいじゃんか。嫌いじゃないぜ、ああいうの。梁瀬さんを思い出すよ」


 ククッと笑いを噛み殺している。

 その姿を見て、麻乃はホッとしたのと同時に幸せな気分になった。


「じゃあ、あたしは片づけをしてくるよ」


「あ、あのな……」


 出ていこうとした麻乃の左手を、鴇汰がつかんだ。

 フワリと温かい感覚が腕を伝わってくる。


「柳堀で言ったこと、あれは本当だからな」


 カッと顔が熱くなる。

 麻乃は握られた手をジッと見た。

 いつになく真面目な雰囲気に、気持ちがまだ追いついていかない。


「……もしかして忘れてたりする?」


 そう問われて小さく首を振った。


「いまさら焦るつもりもないけどよ、それだけはちゃんとわかっててほしいんだよな」


「あたし……今はいろんなことがあり過ぎて。考えなきゃいけないこともあり過ぎて。豊穣のことだって地理情報すら頭にないでしょ? だから……」


 フッと鴇汰がまたため息を漏らした。


「わかってるよ。豊穣のことは、一人じゃなくて一緒に考えようぜ。ルートとかさ。俺、今週は休みだから、できるだけこっちに顔出すからよ」


「うん……そうだね、そのほうがいいよね」


「急がないから。全部片づいてからでいいから。ゆっくり考えてくれればそれで。な?」


「あのね、あたし、ずっと以前からあの人が鴇汰の彼女だって思ってた。今日、違うんだっていうことはわかったけど、そんなに急に納得できないっていうか、気持を切り替えられないし……」


「……ああ、それもわかってる」


「でも、ちゃんと考えるから。時間はかかるかもしれないけど、ホントにちゃんと考えるからさ」


 いつもはなかなか言葉にできない思いが、今日は普段より引き出せた。

 気恥ずかしくて、今すぐでもここから飛び出していってしまいたいのに、足がそれを拒否しているように動かない。


 ずっとそばにいたいという思いも胸の奥をかすめていた。

 どうにかそれを抑え込み、鴇汰の手をそっと引き離す。


「片づけ、急いでやってきちゃうから、夕飯の支度、手伝うことがあれば用意しておいてよ」


 そう言って食堂へ向かった。

 ずっとかたくなになって、小さなことにまでこだわっていた気持ちがほぐれていく気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る