第140話 下準備 ~麻乃 2~

 麻乃は、しょぼくれた様子の琴子たちを励ましながら、ぼんやり稽古を眺めていた。


「そういえば今日、洸はどうしたの?」


「ずいぶん前に塚本先生に呼ばれて中に入ったよ」


「ふうん……」


 道場の入り口に目を向けると、十五歳組の子どもたちが、中をのぞき込んで熱心に見入っている。

 耕太たちもそれに気づき、十六歳組の注意力が散漫になった。


「なんだろう? なにかやってるの?」


 琴子に問いかけると知らないと言う。


「洸が型か演武でもやってるのかも。麻乃ちゃん、ちょっと見てきていい?」


「駄目だよ、あんたたち、まだ稽古中……」


 言い終わらないうちに琴子を先頭にして、耕太たちまで入り口に駆けていってしまった。


「ったく……しょうがないな」


 中をのぞいている子どもたちの中でも、女の子たちが妙に浮足立っているように見えるのが気になり、麻乃も琴子のあとを追った。


「誰? あれ。新しい先生かな? ちょっとカッコイイよね」


「洸ってば、大剣に持ち替えるのかな?」


 ヒソヒソと女の子たちの話し声が聞こえてくる。


「麻乃ちゃん、なにか聞いてる?」


 琴子が振り返って問いかけてきた。


「あたしが知る訳ないでしょ」


 そう答えたものの、なんとなく嫌な予感がする。


(大剣に……新しい先生?)


 子どもたちの背中に隠れるようにして、中をのぞいた。

 洸がやけに真剣に大剣を振るっている。その横で動きを注意している大きな姿。


(やっぱり……鴇汰だ)


 洸がそれに対して、妙に素直にいうことを聞いているように見えるのが腹立たしい。


(あたしのいうことには、ろくに耳も貸さない癖に)


 慣れていないからか、力で振り回そうとしているのが麻乃にもわかった。

 次の瞬間、洸の大剣を鴇汰が蹴って弾き、その体を確かめている。

 洸に向かってなにかを言うと、その頭を思いきり引っぱたいた。


(馬鹿なやつ……あんなことをしたら、洸は絶対に反発してくるのに)


 麻乃がそう思ったのに反して、洸は神妙な顔つきで黙って鴇汰のいうことを聞いている。


(嘘! どうしてあんなに素直なの?)


「こいつ、筋力と基礎、今のうちに取り戻さないと、印を受けても役に立たなくなりますよ」


 鴇汰が大剣を抱え、高田に向かって言ったのが聞こえた。


「筋力と基礎? あいつなにを言ってんの?」


 そうつぶやいた麻乃の隣で、正次郎が答える。


「洸のやつ、近ごろ技の稽古ばかりで、基礎をサボってたんだよ」


「あんたたち、それを黙ってみてたの?」


「だって、あいつ、絶対バレないから、って言うし」


「馬鹿だね! バレないわけがないじゃないか! 技なんかより、今のあんたたちには基礎が重要なんだよ!」


 思わず怒鳴りそうになったのをこらえ、麻乃は声をひそめて怒った。


「俺たちに言うなよ、こっちはちゃんとやってるんだからさ」


 耕太が口を尖らせた。

 洸はすっかり小さくなって、高田に小言を喰らっている。


 麻乃は鴇汰に目を向けた。

 このあいだ、中央で自分がしたことを思い出し、胸がギュッと痛む。


 塚本と話しながら洸に向けていた鴇汰の視線が、こちらを向いた。

 麻乃と目が合った瞬間、鴇汰の表情がこわばったことに、また胸が痛む。


「お話し中に申し訳ありません、俺、そろそろ失礼します」


 鴇汰はすぐに視線を逸らすと、高田の前まで行き、洸の隣で座礼をしてそう言った。

 高田はなぜか、それを渋っているように見える。


 そもそも、鴇汰がどうしてこの道場に高田と一緒にいるのか。

 鴇汰を引き止めようとしている高田の後ろから、道場に入ることなど滅多にない多香子が、顔を出した。


「父さん、私、なんだか具合が……少し横になりたいんだけど、食事……どうしようかしら?」


「そうか……弱ったな。このあとは明日の準備に手がかかるから、人手はないぞ。それにあれだけの量を作れるほどのものもいないしな。まさか抜くわけにもいかんだろうし……」


 困り果てた高田の顔と多香子の青ざめた表情を見た鴇汰は、立ちあがりかけたまま止まった。


「あの……俺がやりましょうか?」


「しかし食事の支度だぞ? それに、ここにいる全員のぶんだから、かなりの量になる」


「別に大したことないですよ。俺、そういうの得意ですから」


 鴇汰は驚いた高田にそう言うと、立ちあがって多香子に向き直った。


「具合の悪いトコを申し訳ないんですけど、なにがどこにあるのか、それだけ教えてもらえますか?」


 そう言って多香子について、調理場へ向かっていった。

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