第138話 下準備 ~鴇汰 1~
西区までの道のりを、重い気分で車を走らせた。
何度となく通っている山道が、鴇汰にとってはいつもより遠く感じる。
カーブに差しかかったところで不意に、以前、森の中でシタラの姿を見かけたことを思い出した。
思い返しても、あのとき、なんだってあんなところにいたんだかわからないままだ。
近ごろのシタラは、なにかおかしい。
毎回の持ち回りにしても、今度の豊穣の組み合わせにしても、占筮でいい卦が出てるとか言ってるけど、鴇汰が修治と組んでなにがいい卦なんだか、さっぱり理解できない。
(あの婆さま、もういい歳だし、もしかしてボケてきてるんじゃねーのか?)
ほんの少し腹が立ってきて、つい運転が荒くなる。
わかれ道まできたところで、このまま道場へ向かうか、詰所に寄ってみるか悩んで車をとめた。
詰所に麻乃がいるなら、道場へ行っても顔を合わせることはないだろう。
できるなら遠目でいいから顔を見たい。
(少しばかり返事を急ぐから、明日の昼には届いてないと困るのよ)
巧の言葉を思い出し、時計を見るともう十時を回っている。
仕方なく先に手紙を届けることにして、道場への道を急いだ。
道場のおもてを通ると、外では小さな子どもたちが基礎訓練をしている。
裏手に回り車をとめると、勝手口から声をかけた。
「どなた?」
中から奇麗で優しげな女性が出てきて、鴇汰はちょっと戸惑った。
「蓮華の長田と申します。今日は中村から高田師範に宛てた手紙をあずかって参りました」
「あぁ、先日の……少しだけ待ってていただけます? 今、父を呼んで参りますから」
「いや、あの、渡していただければ……」
言い終わらないうちに、女性は中へ戻っていってしまった。
(――父、ってことは、ここの娘さんなんだ)
数分待つと、体格のいい年配の男性が現れた。その威圧感に、鴇汰は思わず身構えた。
「お待たせしました。私が高田ですが」
「蓮華の長田と申します。うちの中村から、手紙をあずかって参りました」
「ほう、キミが長田くんか……」
(俺のことを知ってる?)
麻乃か修治がなにか噂でもしたんだろうか。
それともどこかで会ったことがあるんだろうか。
肩に提げたかばんから封筒を取り出して手渡すと、高田はその場で開封し、中の便箋を広げた。
急な行動に帰るタイミングを逃してしまい、所在なさげにしていると、高田の視線が鴇汰に向いた。
「手間をかけさせてすまなかったね。今日は休みなのかね?」
「ええ、まぁ……」
懐かしそうな顔でしげしげと見つめられ、背中がむず痒くなった。
「キミは確か、大剣を扱うんだったね? どうだろう、少し稽古をのぞいていかないか?」
断ろうと鴇汰が口を開いた瞬間、高田は、そうかしこまるなと言い、大きく笑って鴇汰の肩を引き寄せた。
背中を押され、有無を言わさず勝手口に押し込まれた。豪快さと強引さに、徳丸を思い出す。
「実はこの道場は刀や剣、槍、斧を扱うものは多いんだが、大剣は扱っていなくてね。私が使えるくらいなのだが、今は少しばかり体が利かず、見せることもままならない」
「はぁ、そうですか……」
高田の後ろを歩きながら、どう返していいのかわからず、鴇汰は間の抜けた返事をしてしまった。
「今年、洗礼で恐らく印を受けるであろう門弟が何人かいるのだが、その一人が大剣を使わせたら面白いのではないかと思ってね」
廊下の奥の稽古場から、子どもたちの声と打ち合う鋼の音が響いてくる。
「良かったら軽く、基礎稽古をつけてやってもらえないだろうか?」
「えっ? 俺がですか? でも今日は大剣を持っていません。それに俺は指導するような柄じゃ……」
「うちの門弟を相手に、アドバイスをしてやってほしいのだよ。大剣はここに置いてある得物では扱い辛いかね」
「そんなことはないと思いますけど……」
弱ったな、と前髪を掻き上げてから頭を掻いた。
高田が稽古場への扉を開けた途端、中からピリッとした空気が伝わってきた。
高田のあとを追って中へ入り、一礼すると、高田の斜め後ろに正座した。
道場中から視線を感じ、馴染みのない雰囲気に緊張してうつむいたままでいた。
「洸、ちょっと来なさい」
高田に呼ばれた少年は、前まで歩み出て膝を正して座ると、こちらに向けて座礼をした。
「これがさっき話したやつでしてね、洸と言います。洸、こちらは蓮華の長田くんだ。彼は大剣を扱うんだが、おまえ、どうだ? 大剣の稽古をつけてもらう気はないか?」
互いを紹介し、高田は洸に問いかけた。
「是非、お願いします」
観察するような視線で鴇汰を見ていた洸は、大きくうなずいてから、そう答えた。
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